インド、ラダック地方レー、シェイ
ラダック・ムスリム調整委員会(The Ladakh Muslim Coordination Committee)は、今朝、シェイのシャー・エ・ハムダン寺院で、ダライ・ラマ法王に敬意を表してレセプションを開催した。法王は、スンニ派とシーア派、両方のコミュニティの指導者から歓迎され、続いて地元のイマーム(指導者)が祈りを捧げた。
正式な式典に先立ち、式典会場の近くにある1942年に建てられたシャー・エ・ハムダン寺院で、法王は祈りを捧げられた。法王はその後、さまざまな宗教団体の代表者、ラダック自治山間開発会議 (Ladakh Autonomous Hill Development Council / LADHC) の選任指導者、地元のイスラム教コミュニティの人々を含む信徒たちに挨拶された。
法王は、イスラム教の兄弟姉妹に会うのをいつも楽しみにしていると述べられた。チベット北東部にある法王の生まれ故郷の近くにはイスラム教徒が多く住んでいたため、法王はイスラム教の日々の祈りの習慣に慣れ親しんでいたことを思い起こされた。また、若く活発な子供だった法王の遊び仲間には、多くのイスラム教の子供たちがいて、みんな仲良くしていた。
そして、法王は次のように説明された。「その後、ラサに着いた時、チベット人と町の小さなイスラム教のコミュニティは友好的な関係にありました。そこに住むイスラム教徒たちは、敬意の印として、チベット政府が主催するお祭りにはいつも招待されていました。彼らのほとんどはインドから物品を輸入する商人でしたが、外の世界からのニュースや情報を伝えるという重要な役割も担っていました」
「1954年から55年にかけて中国を訪問した際、私は毛沢東主席をはじめ、数人の中国の指導者たちに会いしました。チベットに帰る前、最後に毛沢東と会見した際、彼は私の科学的気質を称賛し、私に指導方法についての助言を与えてくれました。しかし最後に彼は、『宗教は人民にとって麻薬だ』と打ち明けたのです」
「結果的に、私の『科学的な気質』は、心の平和を実現する方法としての心と感情の働きについて、科学者たちとの広範囲にわたる意見交換に関与することにつながりました」
続けて法王は次のように述べられた。「仏教の僧侶として、サンスクリット語とパーリ語の両方の伝統を持つ、他の国々の仏教徒たちとも交流することができました」
「幸せになりたい、そして有意義な人生を送りたいという点で、基本的に私たちは皆同じです。また、さまざまな宗教の伝統が異なる哲学的見解を主張しているとしても、それらは皆、信徒たちがあたたかい心を推進していくことを共通の目的としています」
法王は、現代の教育は主に物質的な目標に焦点を当てているため、心の平和を育むことに関しては不適切であると述べられた。もし、現代の教育を、長年のインドの根本原則である慈悲の心(カルーナ)と非暴力(アヒンサー)と結び付ければ、より完全なものになるだろうと法王は指摘された。マハトマ・ガンジーは非暴力の観点から “アヒンサー” について教え、紛争解決のための彼のアプローチは、世界の多くの地域で採用されている。怒りや恐れ、嫉妬から生じる多くの紛争は、他者への思いやりを育めば、解決することができるのである。
何百年もの間、西はラダックから東はアルナーチャル・プラデーシュ州まで、ヒマラヤ地域の人々は、共通の精神的伝統と思いやりの文化をチベットの人々と共有してきた。それは、歴史のあるナーランダー僧院の伝統から受け継いだ、深遠な仏教文化に由来する伝統である。私たちは皆、それを生かし続けるために努力している。法王は、ヒマラヤ地域の人々が法王に対して示す深い信仰心と信頼に感動していると自身の気持ちを表された。
続いて法王は、「チベット人は60年以上もの間、大きな苦難に直面してきました。それでも私たちは、チベット人の精神が揺らぐことなく、自分たちの文化を守り続けてきました」と述べられた。
法王は、ラダックでイスラム教徒と仏教徒が互いに親しく調和を保って暮らしていることに深い感謝の意を表された。そして最後に、ラダックの人々は長い間、法王の心に寄り添う大切な存在であると宣言してこの会見を締めくくられた。