インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王は、法王公邸で行われた心と生命研究所のオンライン会議に参加された。この会議に参加したのは、法王の他に、リチャード・デビッドソン博士、キャロライン・ジェイコブス氏、トゥプテン・ジンパ師、及びスーザン・バウアー・ウー氏で、それぞれ心と生命研究所の昔からのメンバーである。法王は予定より10分早く部屋に到着され、旧友であるリチャード・デビッドソン博士の顔を正面の大型スクリーンに認めると、笑いながら彼の鼻をポンと弾かれた。法王が博士に会われる時はいつも、彼のとても目立つ鼻を触り、ご自身の鼻で擦って、親しみを込めて挨拶されるのはニュージーランドで教わったやり方である。法王はスクリーンに映った人々に向かって、次のように述べられた。
「おはようございます。お互い大変遠くに離れているにもかかわらず、皆さんとこうしてお会いできるのはとても嬉しいことです。このようにバーチャルに集まって、多くの人のために貢献することができるからです」
スーザン・バウアー・ウー氏が法王に再会できた喜びを述べて、ご機嫌はいかがですかと尋ねると、法王は、「私の顔を見て判断して下さい。もうすぐ85才になりますが私はとても元気です。これは、利他心、つまり菩提心を育むことで心が鎮められているからだと思います。皆さんご存じのように、私が常に好んで唱えている祈願文は、
というものです。この願いを果たしたいと願うことで、私の人生は些か役に立ってきたのではないかと思います。パンチェン・ラマ1世は108才まで生きられたので、私の友人の中には、私も同じくらい長生きして欲しいという人たちもいます。そこで、私もあと20年ほど生きていたいと思っています」
バウアー・ウー氏はそれを受けて、「とても素晴らしいお話です。今日は法王のご参加を頂いて大変嬉しく思っています。最後にお会いしたのは昨年の11月でしたが、あれから世界はすっかり変わってしまいました」と述べた。
法王は、「私たちは心と生命会議を何十年もの間重ねてきましたが、それぞれの体験を共有する良い機会になりました。重要なのは、人類の知識に対してどれだけの貢献ができるかということです」と述べられた。
スーザン・バウアー・ウー氏は、この会議を10万人もの人々が聞いているだろうと述べたが、実際、14カ国語に通訳され、最終的な聴衆は90万人を超えている。彼女は、33年前の最初の心と生命会議では、法王が参加者たちの好奇心をそそり、世界を助けたくなるような刺激を与えられたことを述べてから、本日の会議の参加者を紹介し、司会者のキャロライン・ジェイコブス氏に進行を任せた。
キャロライン氏は次のように述べた。
「今日私たちは、現在の危機的な状況について話し会うためにここに集まっていただきました。私たちは柔軟な回復力と慈悲の心によって、どうすれば人類を一つに結びつけることができるのかをお尋ねしたいと思います。質問は五つあります。最初に法王にお伺いしたいのは、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行によって強い不安感が広がっていますが、どのような方法で不確定さや不安に対処すべきでしょうか?」
これに対して法王は次のように答えられた。
「この伝染病は非常に深刻な問題となっています。多くの専門家たちがワクチンの開発に努力されており、私から付け加えることは何もありません。研究者や医療関係者の方々が多くの人々を救うために自らの命を賭けて貢献されていることに心から感謝いたします」
「心に不安や恐怖があると、病気を悪化させてしまいます。安定した心を維持することが必要です。8世紀に現れたナーランダー大学の偉大な導師であったシャーンティデーヴァ(寂天)は、困難に直面した時は状況をよく吟味するようにとアドバイスされています。問題を解決することが可能であれば、嘆く必要はありません。しかし解決できない問題であるならば、それ以上悩むのは時間の無駄です。これは実践に即した考え方であり、恐れや不安を減らすのに役に立ちます。地球や銀河系の進化の流れの中では、ひとりの人間は小さな存在にすぎませんが、この人生が終わってもそれで終わりになるわけではありません。来世からまた次の生へと、微細なレベルの心の連続体が継続して行くのです」
「新型コロナウイルス感染症以外に今私たちが直面している多くの問題は、私たち人間が自分で作り出したものです。最近アメリカでは、人種差別に対する抗議運動が起きています。人種差別は、私たちが互いの違いばかりを強調し過ぎることから生じます。人類はみなひとつの人間家族であるという認識をさらに高めていかなくてはなりません。これは私の第1の使命であり、私はどこにいってもこの話をすることで責任をもって活動しています」
「インドの多様性を見て下さい。世界中の主要な宗教が、ここでは何の妨げもなく栄えています。インド国内の東西南北すべての地域では、それぞれ異なった言語や文字を使っていますが、すべての地域の人々がインド連邦の一部として共に生活しています」
「例えば、肌の色の違いをあまりに強調し過ぎると、それが何よりも重要なことに思えてしまいます。そのような狭い考え方よりも、誰もがみな同じ人間であることを強調した方がよいのです。ヨーロッパ連合(EU)を見てみましょう。その加盟国の人々は異なった国籍を持ち、異なった言語を話し、異なった文化を享受しています。過去においては互いに戦争し殺し合ったものですが、第二次大戦後にはそのようなことはなくなりました。その精神には見習うべきものがあります」
「私たちが直面している問題の多くは、私たち自身が、狭いものの考え方と煩悩によって作り出したものです。感情は私たちの生命の一部ですが、破壊的な感情である煩悩にはそれが正しいことを証明する基盤がありません。一方で、建設的な善い感情である慈悲の心などには、それを支える根拠があります」
法王は、量子物理学では、物質は客観的にそれ自体の側から存在しているように見えるが、深く探求していくと、その現れのように存在しているものは何ひとつないという考えを主張していることに言及された。個体の単独性は堅固なものではなく、深く調べていくと、物質的存在は微粒子から構成されており、その個体としての存在は、それを見る人の心の投影に過ぎないのである。
法王は、もし量子物理学の見解を受け入れるなら、煩悩を滅することも可能であり、煩悩には正しい根拠がなく、慈悲の心などの善き感情にはそれが正しいことを示す根拠があり、それは、瞑想と論理的なものの考え方によって高めていくことが可能であると再度述べられた。
キャロライン・ジェイコブス氏は「すばらしい!!」と声を上げ、リチャード・デビッドソン博士に「今のお話について何かお尋ねしたいことはないですか?」とマイクを向けた。
リチャード・デビッドソン博士は、まず法王に挨拶してから、新型コロナウィルスの世界的大流行の問題を取りあげた。中国の科学誌によると中国の人口の54%が、ウィルスの大流行により中程度から深刻な精神的苦痛を経験しており、中国以外の他の地域でも、他の科学者たちが同様な報告をしていることを述べて、世界中の人々がいつ感染するかもしれず、いつまで続くかもわからない不透明な状況に困難を感じていると言及した。
デビッドソン博士は、前出のシャーンティデーヴァのアドバイスについて、我々が対処できることとできないことがあるが、そこから学ぶことができるのは、自らの心をコントロールすることであり、恐怖や不安感が破壊的な影響をもたらそうとする時にはそれが特に重要であると述べた。
法王が懸念された、現在の米国における人種間の緊張について、デビッドソン博士は、35才から45才の黒人が死ぬ比率は他の層より10倍も高く、これは身体に関する深刻な問題であるが、一方で、人々の関心は恐れに支配されているので、デビッドソン博士は “恐れに負けないようにするには、心をどのようにコントロールすればいいか?” という質問と、“心を鎮めて平かな心(好き嫌いなどの差別を捨てて平等に利する心)を得るにはどうしたらいいか?”という主題について話し合いたいと述べ、法王は次のように答えられた。
「今行われている新型コロナウイルスの研究は続けていかなければなりません。ウイルスが原因なのですから、私たちの身体には抗体や免疫を作る可能性があります。しかし、人間の精神状態に関して言えば、恐怖は身体を弱体化させてしまいます。一方で、自信を持つことにより、健康を維持することができます」
「物質中心の見方をするならば、五感を通して生じる意識が優位になります。20世紀の後半までは、意識や心に関してあまり関心が払われませんでしたが、20世紀末に向けて、脳に影響を与える何かがありそうだと考えられるようになりました。瞑想や、呼吸をコントロールする訓練は意識に影響を与えるので、数秒から始めて数分へと次第に訓練していけば、心そのものに集中する助けとなります。私の友人には、心を対象として一点集中し、数時間もの間とどまることのできる人もいます。その状態を分析することができれば、心の本質を見抜く洞察力を得ることも可能です」
「そのためには、インド共通の伝統である、止(シャマタ:一点集中の瞑想)と観(ヴィパッサナー:鋭い洞察力)は非常に有益です。この修行によって心の活力を増し、空性を理解する鋭い洞察力に磨きをかけることができます。そしてこれは、世俗のレベルにおいても、学術的にも、客観的な対象に関しても実践することができます」
「リチャード博士は、意識が脳に対して与える影響を理解することにおいて大きな貢献をしてきました。その結果として、より多くの科学者たちが私たちの感情と内なる心の世界に関心を持つようになりました。怒りや恐れは人間の精神的現象の一部ですが、瞑想によって、そういったネガティブな感情(煩悩)は無益であると確信できるようになります。そのためには、心を鎮める方法を学ぶ必要があります。煩悩は、現代の多くの問題を引き起こした原因なのですから、煩悩の機能を分析することによって煩悩を断滅する方法を学ぶ必要があります。私たちには、人間の感情という分野においてなすべきことがまだたくさんあります」
法王の話を受けて、リチャード・デビッドソン博士が次のように述べた。
「心と生命会議を始めた最初の頃は、慈悲という言葉は科学の世界では使われておらず、その頃のどの本の索引を見ても “慈悲” という単語は見つかりませんでした。法王が全世代の科学者の世界に変化をもたらされたのです。慈悲の心が人間の感情全体によい影響を与えるということについて、20年前にはほとんど知る人がいなかったのですが、この間に多くの科学者たちが慈悲という観念を学びました。20年前にダラムサラで、“慈悲” を科学の地図に書き加えようと約束したことがありましたね。いまや、瞑想科学や瞑想神経科学という分野が存在する時代になっています」
「慈悲の心を高める修行をほんの少しするだけでも、自分でも気付かずに持っている潜在的な先入観や差別する心を抑制し、減らすことができます。しかし、この知見を広く伝えるにはどうしたらよいかという問題もあります。70億の人々がどのように学べるかについて、お伺いしたいと思います。私の好きな例えですが、ほんの少し前までは歯磨きをする人はあまりいませんでしたが、今では誰もが歯磨きをしています」
これに対して法王は、次のように答えられた。
「現在の教育システムには、心についての教育が欠けています。心や感情に対する理解を取り入れるべきです。ちょうど子どもたちに身体の衛生観念を教えるように、自分の感情を健全に保つ方法を教える必要があるのです。古代インドの伝統はこの点において大きな貢献をすることができるでしょう。例えば、心(心王:精神面の主な役割を果たす中枢部分)と心の働き(心所:心王の働きに伴って派生する精神作用)が区別されていて、心所には51の精神的作用があり、その機能によって定義と区別がされていますが、こういった内容を現代の学術的研究として学び直すこともできると思います」
「一般的に見ると、内なる心の世界についての理解が私たちには欠けているため、こういった知識を幼稚園から大学までの教育課程に組み込む方法も見出すことができるでしょう。一つの種が大きな木になるように、小さな始まりが心についての完全で洗練された理解に導く可能性もあるのです」
「古代インドの思想である “アヒンサー(非暴力)” は実際の行為であり、“カルーナ(慈悲の心)” はその動機となるものです。これらの思想を基盤としてインドに仏教が発祥したのです」
「既存の教育システムは人々を幸福にするものではありません。しかし、権威ある科学者たちにはそれについて問いかける権限があります。僧侶である私が呼びかけたとしても、あまり注意を引くことはないでしょうし、現代人なら科学者の発言には耳を傾けることでしょう」
続いてキャロライン・ジェイコブス氏は、抗議運動をしたり、世界を変えようとする若者たちへのアドバイスを訊ね、法王は次のように答えられた。
「世界は常に変化しています。科学も進歩しています。今日の世界は100年前とは全く違っています。20世紀は巨大な暴力の時代でした。人々は紛争を解決するのに、たやすく暴力に頼ってしまいました。しかし現代においては、意見の相違があった時は、徹底して話し合う方がよいのです。21世紀を対話の時代にしましょう!そして軍縮を目指すべきです。武器の生産は、お金と資源の無駄でしかありません」
「そのためにも教育が重要です。地球温暖化が進む中で、あとどのくらいの時間が残されているのかわかりませんが、その残された時間の中で殺し合うのは、死を間近にした老人二人が口論するようなものであり、全く無意味です。平和で、幸福であり、慈悲に満ちた社会で暮らす方が、どれだけよいことでしょう」
「皆さん、私たちはみな兄弟姉妹である人間を教育する責任があるのです。お金や武器ではなく、内なる価値こそが、個人のレベルでも人類全体でも、幸福を得るための究極の源なのです」
ここでキャロライン・ジェイコブス氏が、法王とリチャード・デビッドソン博士のおかげで対話が意義あるものになったことを感謝した。スーザン・バウアー・ウー氏は、法王がその智慧と温かい心を共有してくださったことに深く感謝し、早い時期に再会できるよう期待していると述べた。彼女は「無限の可能性」という、法王の科学の先生であった理論物理学者のデヴィッド・ボームについての映画が、今夜と法王の誕生日にも上映されることを全員に告知した。
そして法王は、次のように述べてこの会議を締めくくられた。
「大きな枠組みの中では、ひとりの人間が与える影響力は限られていますが、自らの頭脳を人類の幸福のために使うなら、その考え方は未来の世代の若者たちにとって役に立つことでしょう。私の経験では、利他心、つまり菩提心と、縁起のありようを深く毎日考察することは、煩悩を滅するために非常に役に立ちます。特に、今学んでいる若者たちのためにこの対話が些かでも役に立つことを、心より願っています」
そして法王は、目の前のスクリーンに映し出された大勢の参加者たちに向かって手を振られ、「ありがとう、さようなら」と挨拶された。