インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王は、デリー近郊のグルガオンにあるアミティ大学主催のウェブセミナーに、法王公邸からインターネットを介して参加された。公邸内の居室に入られた法王は、スクリーン上で迎え出た人たちに向かって合掌し、笑顔で挨拶をしてから静かに着席された。
アミティ大学副学長のPB・シャルマ教授は、対話の始めに法王に挨拶をしてから画面を調整し、「今、私たちは人類のためにどのような奉仕をすることができますか?」と法王に質問した。大学学長のアシーム・チャウハン博士は、アミティ大学は人間価値の奨励をモットーとして創立されたことを付け加えてから、「より慈悲深い世界を構築するために、私たちにできることは何でしょうか」と法王に尋ねた。
それに答えて法王は次のように述べられた。
「ありがとうございます。私の人生の経験の一部を皆さんと分かち合う機会を提供していただいてとても光栄です。私は常にインドの兄弟姉妹の皆さんを特に身近な存在として感じています。なぜなら、私は自分自身をインド思想の生徒だとみなしているからです。8世紀にチベットの仏教王ティソン・デツェンは中国の皇帝と親密な関係にありました。チベットは中国仏教の強い影響を受け、学びの面よりも瞑想修行の方を重要視していました。しかしティソン・デツェン王はナーランダー僧院の哲学者であり、また論理学者でもあった偉大な導師シャーンタラクシタ(寂護)を招聘しました」
「インドでは三千年以上前からアヒンサー(非暴力)とカルーナ(慈悲の心)の思想を掲げています。これらの思想は止(一点集中の瞑想:シャマタ)と観(鋭い洞察力:ヴィパッサナー)と同じく、仏陀釈迦牟尼によって説かれた真正な教えです」
「私たちはインドを、精神的に高度に発展した国、つまり聖地(アーリヤ・ブミ)であると見なしています。また、私たちは仏教徒として、イスラム教徒の人々がメッカへ巡礼に行くのと同じように、人生で一回はブッダガヤへ巡礼に行きたいという願いを長い間大切にしてきました」
「また私たちチベット人は、自分をインドの導師たちの “チェラ“、つまり、忠実な弟子だとみなしているため、私たちの間には特別な絆があります。しかしながら今日では、“インドの導師” たちは私たちが千年以上にわたって存続させてきた古代インドの知識にあまり注意を向けていないように見受けられます。私たちはシャーンタラクシタの教えを学び、そのアドバイスに従っています。また、常に論理的なアプローチを取り、すべてに対して懐疑的な態度で分析をしています。例えば、ナーガールジュナ(龍樹)の著作は私たちにとって非常に大切な教えであり、それ故、私は毎日ナーガールジュナのいくつかの偈頌を読誦しています」
「結局のところ、私たちが学ぶ理由は破壊的な感情、つまり煩悩にきちんと向き合い、煩悩を減らすためです。私の場合、毎日の実践は慈悲の心を根底とした利他の心である菩提心を養うことにあります。この誓願はシャーンティデーヴァ(寂天)の偈によって表現されています」
「一切の煩悩は利己的な態度を源として起こり、菩提心はこれらすべての煩悩を滅する対治として働きます」
「怒りや恐れの感情が生じた時は、これらの感情の対象は何であるかを調べてみてください。すると、これらの感情のほとんどは自分の心が生み出したものに過ぎないということに気付くでしょう。この理由から、あなたの心を悩ます人は、あなたに忍耐と慈悲の修行をする機会を与えてくれる人であり、それ故、私たちは自分の敵こそ恩深き師であるとみなすべきなのです」
続いて法王は、1959年に正式に学問を修了して以来、実践修行に精進し続けていると明言された。良い感情を高め、煩悩を減らす努力を積んできた結果、法王は作り笑顔ではなく、常に心からの笑顔を浮かべることができるようになったそうである。心からの笑顔でいられることは、内なる心の平和を反映していると法王は語られた。
「基本的に、私は古代インド思想のメッセンジャーなのです。特に、アヒンサー(非暴力)とカルーナ(慈悲の心)に関しては」と、法王はその点を明確にされた。
続いて質疑応答の時間に入り、最初の質問者は、暴力に直面した場合、平和と慈悲の心を保ち続けるためにはどうすればいいのかと法王に尋ねた。
「非暴力は慈悲の心から生じます。他者に対して思いやりの心を持つということは、あなたが他者を害さず、助けたいという願望を持っていることになります。人間としての知性を用いることにより、怒りが心の平和を破壊するものであることを認識することができます。怒りは私たちの家族や社会全体に対する友好的な気持ちを破壊してしまいます。私たち人間は社会的な生活を営んでいく類の生き物なので、親しい友人を必要としています。思いやりの心は友人を引きつけます。しかし、怒りと暴力は人間の本質に反するものです。私たちに必要なのは、皆で一緒に幸せな生活を送る方法を見つけ出すことです」
次の質問者は、優しい心を持った人が貪欲な人よりも苦しむ傾向があるように見受けられると述べ、法王はそうは思わないと答えられた。物質的な向上を第一に追求する現代社会は、内なる心の平和に価値を置かない。そのため、表面上は競争心の強い人たちが成功者のように見える。しかしこのような判断は内なる世界の価値を見落としている。古代インドの知識を明示したヒンドゥー教と仏教哲学者たちは、心の働きについてとても詳しく解説しており、この古代インドの知識と現代教育を結び合わせていくことが秘訣なのである。
「20世紀においては、マハトマ・ガンジーが非暴力のもたらす重要な価値について明白に説き、ネルソン・マンデラやマーチン・ルーサー・キング牧師などに深い影響を与えました。今世紀は、私たちがこのメッセージを更に広め、そこに慈悲の心を高める実践を含めていく必要があります」
「今日のインドでは、未だに豊かな人々と貧しい人々の間に大きなギャップがあります。私たちの兄弟姉妹であるこれらの人々に対して、もっと懸念を深める必要があります。この問題に対する取り組み方の一つは、慈悲の心と非暴力の大切さを行動に移して復活させることです。まずは、私たち一人ひとりが自分の心を訓練することから始めましょう」
「私の旧友で、長い間チベットの強制収容所に収容されていた僧侶がいます。彼は収容所から解放された後、インドに亡命しました。その後、この人が強制収容所で体験したことについての話を聞いていた時、彼は時おり危機感に襲われたことがあったと言いました。私は最初、彼が自分の身の危険を感じたのだろうと思っていましたが、その詳細を話してもらったところ、彼を拷問した中国人官吏に対して慈悲の心を失いかけたという危機が何回かあったと言ったのです」
ここでアミティ大学の創立者、アショク・K・チャウハン博士が法王のお言葉を聞けたことをとても誇りに思い、今日の教えがインド人の生活に変化をもたらすであろうことを確信していると述べた。続いてチャウハン博士は法王のご友人のプラディープ・チョベイ博士を参加者に紹介し、チョウベイ博士は法王の元気なお姿を拝見できたことをとても嬉しく思うと語った。
それに対して法王は次のように述べられた。
「インドのために、私に貢献できることがあればどんなことでもするのが私の務めであり、私は古代インドの知識を世界中の人たちに伝えることができます」
最後の質問に入り、博士課程の生徒が、「新型コロナウイルスの蔓延により私たちが体験している困難を認識しているが、鬱を乗り越えるにはどうすれば良いのでしょうか?」と尋ねると、法王は次のように答えられた。
「私が個人的に発見した解決方法ですが、自分の考え方を前向きに訓練することはとても役に立ちます。つまり、もし問題を解決できるのであれば、心配する必要はありません。言い方を変えれば、困難を克服する方法があるのなら、それを実行すればよいのです。そして、もし解決不能な問題であるならば、それ以上心配しても何の役にも立たないのですから、嘆く必要はありません。私たちが起こすべき行動は解決策を見つけることです。なぜなら、問題について心配するよりも、解決策を見出すために集中する方が明らかに賢明だからです。一方で、解決策がない場合や解決不可能な場合は、自分にできることは何もないのですから、心配しても仕方がありません。このような場合は、いち早く現実を受け入れる方があなたにとっても楽なはずです。これは問題に直面した時に、現実的な見方をする方法であり、とても実践的な方法です」
最後にアミティ大学を代表してシャルマ教授が法王に感謝の言葉を述べた。法王は笑顔で合掌し、オンラインによる一般講演を締めくくられた。