インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
チベット暦で釈尊の降誕・成道・涅槃にご縁のあるサカダワの満月の今日、ダライ・ラマ法王は、法王公邸に用意された座り心地のよさそうな椅子に着座されると、ナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論頌』の最終偈を唱えられて、今日のオンライン法話会を始められた。
「この偈が私たちに教示しているのは、智慧を培うことにより、真実を誤って捉えている無知という煩悩を克服するべきである、ということです」
チャンドラキールティ(月称)もまた、『入中論』の中でこのように述べている。
「慈悲の心を育むことが仏陀の教えを引き継ぐ最良の方法であり、仏陀が私たちに向けられた思いやりへの恩返しとなります。ですから、慈悲の心を持って空の理解を深めていくことが重要です」
「今日は多くの方々がそれぞれ異なる場所で、仏陀と仏陀の悟りを祝われていることでしょう。今から私たちは一緒に菩提心を生起していきますが、今日は、私があなた方のために何かを唱え、私が唱えたことを皆さんに復唱していただくようなことはしません。私は一人の比丘ですが、それ以外は、私は皆さんと同じひとりの人間なのです。ですから皆さんもそのような気持ちで、全員一緒に菩提心を生起していきましょう」
「では、自分の目の前に仏陀釈迦牟尼のお姿をありありと観想してください。そして釈尊の周りには、ナーガールジュナやナーランダー僧院の17人の成就者たちのような、仏陀の教義を維持する偉大な継承者たちが取り囲んでおられます。私たちは今でもなお、その偉大なる方々が記された解説書を保持し、それらを読み、そこに書かれたことに基づいて体験を得ることができます。その方々に向けて私たちがすべき根本的な供養とは、彼らの著作を読み、偉大な方々が述べている意味を分析して、その理解を自分の中で統合させることです。また、慈悲の顕現である観音菩薩、智慧の顕現である文殊菩薩、利他の実践の顕現であるターラー菩薩などが、弥勒菩薩や地蔵菩薩と共に、あなたの目の前におられると観想します」
ここで法王は、ジェ・ツォンカパの『縁起讃』から次の偈を引用された。
法王は大型モニターの画面に映っている信者たちに向かって、法王と一緒に礼拝、供養、懺悔をはじめとする七支供養を唱え、仏陀に礼拝するようにと促された。そして、慈悲の心を動機として釈尊ご自身が菩提心を生起され、空と縁起について悟り、三阿僧祇劫にわたって功徳を積んでこられたことを想起された。仏陀は6年間の苦行をされたが、それは法王のすぐ後ろに安置されている「断食する仏陀」を再現した像によって、その様子が鮮明に表されていることを法王は述べられた。
「釈尊が悟りの境地に至られたこの吉祥なる記念すべき日に、皆さんと一緒にここで菩提心を起こすことはよいことだと私は考えました。次の20年位は私もここで参加したいと思っていますが、南インドの僧院にいる僧侶たちには、これを毎年恒例の行事にしてもらいたいと考えています」
それから法王は、自分と他者の目的を共に達成するためには、菩提心を育む必要があると述べられて、次のように語られた。
「私たちが皆、自分を大切にしたいと考えていることは言わずとも知れたことですが、そうであるならば、賢い利己主義を実践するべきです。そして、もし私たちが他者に対して優しく接することができるなら、自分も幸せな気持ちになり、周りには多くの友人が集うことでしょう。しかし、もし他者を疑いの目で見るならば、その人たちは私たちのことを信頼してはくれないでしょう。お金や権力を持っている人は魅力的に見えるかもしれませんが、利他の精神で他者に接するならば、それよりもずっと効果があります。菩薩戒の偈にもあるように、もしすべての有情を自らの客人として大切に迎えるならば、彼らをもてなすための何かを持ち合わせていなければなりません」
シャーンティデーヴァは『入菩薩行論』の中で次のように諭されている。
ここで法王は、発菩提心の誓願の偈を暗誦された。
続いて法王は、菩薩戒授与の請願文を唱えられた。
次に、法王は『入菩薩行論』の第3章から発菩提心の偈頌を繰り返された。
それから法王は続けてこのように述べられた。
「私たちはいかに他者を利益することができるかを考える必要があります。私たちには皆仏性が備わっていますから、私たち全員が一切智の心を明らかにすることのできる素質を持っています。私たちが持っている光明の心は、ひとりの仏陀の光明の心と何の違いもありません。私たちの心を一時的に覆っている煩悩という汚れは、心の本質ではないのです。私たちが正しい見解を育んで修行に取り組めば、それらの煩悩を取り除くことができるのです」
「仏陀の教えは “二つの真理(二諦)”」を基盤として説かれており、ナーガールジュナは、その修行の概要となるマイトレーヤの『現観荘厳論』の教えを学ばれましたが、その教えは二諦の理解と、その二諦を基に理解することができる四聖諦が土台となっており、更にそれは、仏陀・仏法・僧伽という三宝に対する帰依に基づいています」
祈りはすべての宗教的伝統においてその役割を果たしていますが、それだけでは十分ではありません。仏教では修行のために自らの心も使います。すべてのチベット仏教の伝統では、上座部仏教、大乗、密教(タントラ)という完全に包括された教えを保持しており、その中で、密教では最も微細なレベルの心を修行の中で用いています」
ここで法王は、あるカダム派の成就者が残された偈を引用された。
「よいカルマを幾度か漕ぎ出すことにより、私は人間としての貴重な生を得ることができた。それを好機として使い、三悪趣の奈落の底に陥ることがありませんように」
「私たちは、このサカダワという好機に菩提心を育む儀式を行うことができました。釈尊が悟りを開かれ、大般涅槃を記念するこの日にこの儀式を執り行えたことは、私たちに修行をするための勇気を与えてくれます」
儀式は、「仏教繁栄のための祈願文」、「菩提道次第の祈願文」、「真実の言葉」、「ダライ・ラマ法王に捧げる長寿祈願文」、そして最後の廻向偈の読誦によって締めくくられた。
法王は合掌をされながらスクリーンに映し出されたひとりひとりと目を合わせ、シンプルに「ありがとう」と挨拶して退室された。