インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
本日ダライ・ラマ法王は、法王公邸より世界中にネット中継とビデオが配信される初のオンライン法話会に臨まれた。目の前に聴衆が一人もおらず、カメラに向かって話される初めての法話会となった。オンラインで参加したインドなどのチベット人入植地の僧侶、尼僧、在家信者ならびに世界各地の聴衆は、この法話会を鮮明な画像と音声で視聴することができた。聴衆の多くが法王の力強く元気なお姿を目にして喜んだ。
最初に法王は、「本日は、驚くべき技術のおかげで、皆さんにお話をすることができました。多くの友人から法話会の開催を要望されましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の規制がありますので、直接お目にかかることはできませんでした」と述べられた。
「本日の主なテーマは、ナーガールジュナ(龍樹)の六論書のひとつである『宝行王正論』です。私たちはこれらの仏典を継続的に学んでいます。今日は、テキストの冒頭に述べられている、一時的な幸せと究極の幸せ(来世における善き再生と永続する幸せの境地)を得るための16の要素についてお話しします。なお、テキストの後半には次の偈頌があります」
「これは発菩提心についての偈頌です。明日は、これについてお話しするつもりです」
「生きとし生けるものは皆、たとえ虫であろうとも、幸せを求め、苦しみを避けたいと願っています。このことに反論の余地はありません。私たちは物質的あるいは感覚的な喜びを求める傾向がありますが、心の平安がなければ、幸福であり続けることはできません。物質的な向上は私たちの生活環境を大きく改善してくれましたが、心の平安は、どこかの工場で作り出すことはできません」
「私は約70億人の人類の一人です。そして私は、自分の心がもっと平和になれば、人々はもっと幸せになるだろうと思っています。今日では、科学者たちもこの点について探求しています。古代インドの智慧には、心と感情の働きに関する深く豊かな理解があり、仏教もその一部です。古代インドの伝統は、愛や慈悲に関するアドバイスに加え、一点集中の瞑想や分析的な瞑想も高度に発展させてきました。こうした知識や手法は宗教的な実践だけにとどまらず、私たちの日常生活に取り入れていくことができます」
続いて法王は、ご自身の三つの使命について語られた。第一に、法王は一人の人間として、人々が幸せになるよう最大限の努力をすることを使命としている。具体的には、人間の持つ善き資質を高めることの重要性を人々が理解し、心の平和を得られるよう手助けをしている。第二に、仏教の僧侶として、世界の異なる宗教の間に調和がもたらされるよう全力を傾けている。第三に、チベット人として、法王はすでに政治的指導者の立場から引退し、それを選挙で選ばれた指導者に譲っているが、チベットの言語や文化の保存に取り組み、チベットの自然環境の保護を訴えている。
続いて法王は、7世紀のソンツェン・ガンポ王の時代に新たにチベット文字が作られ、その後、8世紀にシャーンタラクシタ(寂護)がチベットを訪れると、インドの仏教文献を主にサンスクリット語からチベット語に翻訳するようティソン・デツェン王に進言したことを述べられた。サンスクリット語は学術的な言語であるため、サンスクリット語の書物がチベット語に翻訳されたことで、チベット語に新しい言葉が加わり、言語としての豊かな広がりを得ることとなった。
シャーンタラクシタはナーランダー僧院の伝統を受け継ぐ偉大な学僧の一人であり、仏教哲学の学習と論理や根拠に基づく分析の重要性を強調した。これにより、実際に体験することのできる現象、正しい推論によって理解できるやや隠された現象、さらに第三の現象として、体験によっても推論によっても不可知な甚だ隠された現象があるが、これは、信頼のおける著者の記述を論理と根拠に従って分析することのみにより、受け入れることができる。
法王は、ご自身が最先端の科学者たちとの対話に臨む際にも、こうした理性的かつ論理的な方法論を用いていると述べられた。また、チベット語のカンギュル(経典)とテンギュル(論書)には素晴らしい教えが説かれており、特に心と感情についての深い理解が記されているので、チベット語の保存にも責任を感じている、と述べられた。
法王は、マハトマ・ガンジーは古代インドの知識をもちいて、非暴力が現代社会においてもいかに有効であるかを実証して見せたと指摘された。さらに法王は、アビダルマ(仏説に対する注釈)には、飢饉や武力に支配された世界や時代についての記述があると述べられた上で、現代の物質的発展の結果として、殺傷能力の高い武器の製造開発が推進され、それらの武器を誇りに思う人々や武器の製造・販売をビジネスにする人々が存在することを嘆かれた。
その一方で、武装解除の流れに賛同する人々もいる。彼らは、私たち人間が抱えている諸問題は強力な武器をもちいたところで解決しないと理解している。問題は執着から生じ、憎しみは力によって取り除くことはできない。敵を完全に征服し尽くすことは不可能であり、よって、完全な勝利をおさめる者は一人として存在しないのである。私たちは、究極的には、共に生きる以外に道はなく、問題は対話と交渉によって解決するしかない。さらに、外面の武装解除をするには、まず心の内面の武装解除が必要なのである。
そして法王は次のように述べられた。
「子供たちは、親の庇護に頼って生存しています。大人も、社会に依存して生存しています。なぜなら、人間は社会生活を営んで生きていく類の動物だからです。昔の人々は小さな人間社会の中で生活しており、それ以外の人々との交流はほとんどありませんでした。今日の私たちは経済的に相互依存しているだけでなく、地球規模の気候変動などの諸問題は、皆で一致団結して取り組む以外に解決の方法はありません」
「地球温暖化について言えば、私たち自身の経験から、それが実際に起きていると知ることができます。私が初めてダラムサラに来た頃は、今よりずっと頻繁に大雪が降っていました。アフガニスタンの上空を飛行機で飛ぶと、その不毛の大地がかつては湖であったことがわかります」
「私たちの抱える多くの問題は、かき乱された心が原因となって生じます。私たちは、友人や親族に執着し、敵には反感を持ちますが、それは、私たちが相互依存によって存在しているという事実から目を背けているのです。シャンティデーヴァ(寂天)は『入菩薩行論』の中で次のように明確に述べておられます」
「ナーガールジュナは『根本中論頌』の中で、行為と煩悩は戯論から生じる、と述べておられます」
「私たちは幸せを望み、苦しみを克服したいと願う点において、誰もが皆同じです。心の平和を育み、煩悩を克服することに、私たちはもっと注意を向けるべきです」
ここで法王はチベット語から英語に切り替えて話を続けられた。
「私が難民としてこの国に亡命したことは、一方では悲しいことです。しかし、別の面から見てみれば、そのことで様々な機会を得ることができました。私がチベットのポタラ宮にとどまっていたら決して会うことなどできなかったであろう様々な宗教の指導者、科学者、あらゆる職業や色々な人生を歩む人々に会うことができました」
「先ほど、私は人々が幸せになることを手助けし、もっと人類全体について考えるよう奨励することが私の第一の使命であると述べました。さらに第二の使命として、私は一人の仏教僧の立場から、異なる宗教間の調和を図ることが非常に大切であると考えています。なぜならどの宗教の伝統も、思いやり、自己抑制の大切さという共通したメッセージを伝えているからです。ここインドでは、すべての主だった宗教が平和に共存しています。異なる宗教の間に調和があるということは、より幸福で平和な世界を創造する上で、非常に大きな貢献になると信じています」
「第三の使命として、私はチベット人であり、600万から700万人のチベット人が私に信頼を寄せてくれています。私は政治的にはすでに引退していますが、チベットにおいて、千年以上も生きた教えとして継承されてきた最も完全な仏教の教えを保存していくことにも責任を感じています。私には、パーリ語の伝統に従う国々の友人も大勢います。一般的に言えば、私は仏教徒の皆さんに、学術的かつ論理的な方法で理解に至るよう奨励しています。というのも、仏陀は、“比丘と賢者たちよ、金を焼いて切って擦って純金かどうかを調べるように、私の言葉をよく調べ、単なる信心から受け入れてはならない” とアドバイスをされているからです」
「チベットでは、ナーランダー僧院の伝統が生きたまま継承されています。また、シャーンタラクシタの指示によってチベット語に翻訳されたインド仏教の経典や論書があります。これらの教えは非常に価値のあるものであり、保存すべきものです」
「チベットは世界の屋根と呼ばれています。チベットにはアジア全域の主要河川の源流があり、数十億人の人々に飲み水をもたらしています。こうしたチベットの自然環境の保護も私の使命です」
ここで法王は、再びチベット語に戻り、『宝行王正論』のテキストを読み始められると、テキストの要約であるナーガールジュナの一番弟子、アーリヤデーヴァ(聖提婆)の『四百論』から次の偈頌を引用された。
『宝行王正論』の第1偈は、一時的な幸せ、快適な生活、仏法(ダルマ)を修行できる等の良い転生について語っている。こうした良い転生は、その原因となる「不徳の行ないを慎む」という実践を積むことから生じる。当然ながら、十の悪い行い(不善業)を含む避けるべき13の行ないを慎しまなくてはならない。十不善業とは、殺生、盗み(偸盗)、不貞(邪淫)、嘘(妄語)、人を仲たがいさせる言葉(両舌)、乱暴な言葉(悪口)、無駄話(綺語)、貪欲、悪意(瞋恚)、間違った見解(無知)のことである。
また法王は、貧しい者たちに施しをするときは、相手に対する尊敬を持って施しをするよう最大限の努力をする必要があると述べられた。
アーリヤデーヴァの偈頌の2行目にある「次に、〔粗いレベルの〕自我を滅する」という箇所について、法王はチャンドラキールティ(月称)の『入中論』の偈頌を引用された。
続いて法王は、『般若心経』の空に関する「甚深四句の法門」すなわち、色即是空・空即是色 色不異空 空不異色について述べられた。
さらに加えて、密教の実践においては、すべては空牲に溶け込み浄化され、実体を伴う固有の存在は何もなくなり、身体と心(五蘊)に依存して存在する自我は、どこを探しても見つからない、と語られた。
法話会の締めくくりに、法王は再び、気候変動とそれに伴う地球温暖化の危機は10年毎に高まっており、私たちは、この問題に取り組まなくてはならない、と述べられた。
「今回は、このような形での初のオンライン法話会となりました。将来的には、質問を受けたり、視聴者の方々との交流ができたらと願っています。今は、皆さんに直接お会いすることはできませんので、それぞれの場所に離れていなくてはなりませんが、このような方法によって、一緒にディスカッションをすることもできることでしょう。今日はこれで終わります。また明日、お会いしましょう」