インド、カルナータカ州ムンゴット
ダライ・ラマ法王はガンデン僧院シャルツェ学堂法主のジャンチュプ・サンゲ師に先導され、シャルツェ学堂からガンデン大集合堂までの道を歩かれた。大集合堂内には1,000人、外に設えられたテントには4,000人を超す聴衆が法王のご到着を待っていた。法王は大集合堂の奥に並んだ釈迦牟尼像の前でバターランプに火を灯されてから法座の前の椅子に着座された。
開会式の進行役であるシャルツェ学堂前法主のジャンチュプ・チューデン師が、法王を始め、ガンデン僧院座主、同僧院シェルツェ学堂法主、同僧院ジャンツェ学堂法主、外国から訪れた僧院長、導師、来賓方に対して歓迎の言葉を述べ、ツォンカパ大師の600年御遠忌を祈念して大師の人生・思想・遺産について話し合うためにこの会議が開催されたことを説明した。前法主はトゥプテン・ジンパ博士の方を向いて、これから行われる会議の概要説明を依頼した。
ジンパ博士は、ツォンカパ大師が創設されたガンデン僧院でこの会議が開催されることは、歴史的観点から見て非常に意味深いと述べ、また、ダライ・ラマ法王が基調講演を行ってくださることでさらなる吉祥がもたらされたと話した。ジンパ博士は、法王の弟子として、またガンデン僧院の元僧侶として、この会議に参加できることに感謝し、光栄に思うと語った。
ジンパ博士は、ツォンカパ大師はチベット仏教の歴史上で最も秀でた人物のひとりであると述べた。大師は1357年にアムドで誕生され、晩年の1419年には、大師の影響により学習拠点となる三大僧院が創設された。大師は広範囲にわたる教えを説かれ、同時に、批評的な理解と根拠を基盤とする、統合された理解を育むように主張され、戒律護持を強く唱導されたことにより、大変多くの弟子たちを魅了した。
ジンパ博士は、会議の日程は3日間で、午後開かれる2時間のセッションが合計6回行われると説明した。セッションではツォンカパ大師の人生・思想・遺産、中観と般若学への貢献、瞑想の理論と実践すなわち、菩提心と慈悲を中心とする修行の階梯と心の訓練、金剛乗の思想と実践への貢献を含むいくつかの主題に焦点が置かれる。そして博士は600年御遠忌に際して大師の偉業に敬意を表すること、大師の思想と精神的遺産について探究すること、大師の思想と教えの中から現在の生活に役立つ洞察は何かを吟味することの3つが会議の目的であると述べた。
最後にジンパ博士は、法王が、ツォンカパ大師が築かれた伝統の模範的導師として人々を鼓舞し続けてくださっていることに感謝の意を表し、この歴史に残る祝典に参加した全ての人々に謝辞を述べた。席に戻る前に博士は、最近出版された自著である『Tsongkhapa, a Buddha in the Land of Snows(雪の国の仏陀ツォンカパ)』というツォンカパ大師の伝記を法王に献呈した。
ジャンチュプ・チューデン前法主はジンパ博士の概要説明に謝意を表してから、法王に基調講演をお願いした。
法王は次のように講演を始められた。
「この国際会議は偉大な導師ツォンカパの円寂から600年経った御遠忌にちなんで開催され、ここで私たちは、大師の残された遺産について話し合おうとしています」
「世界中の様々な伝統的宗教のうち、インドで生まれたいくつかの宗教では止(高められた一点集中の力:シャマタ)と観(空を理解する鋭い洞察力:ヴィパッサナー)を育む修行が行われてきました。これはとても大切な実践です。また、愛と慈悲を培うことの重要性を説く宗教の実践は現代社会においても適切なものと言えます」
「釈尊が転じられた3つの法輪により、仏教がインドにおいて確立しました。初転法輪では、煩悩と煩悩に支配されてなした行いの結果、いかにして私たちが輪廻世界を彷徨うことになったのか、また、道諦(苦しみの止滅に至る実践道が存在するという真理)と滅諦(苦しみの止滅が存在するという真理)により、どのように輪廻から解脱できるのかが説かれましたが、本当に苦しみが止滅した境地に至ることができるのかどうかは、自分自身で探求する必要があります」
「ツォンカパ大師の二大弟子のひとり、ギャルツァプ・ダルマ・リンチェンは論理学を極めたという自負の元、ツォンカパ大師に論争を挑みました。ダルマ・リンチェンは大師が法話をされている場所に来て、壇上の法座の隣に座りましたが、大師はそのまま法話を継続され、大変深遠な教えを説かれました。するとダルマ・リンチェンは初めて帽子を脱いで壇上から降り、大師が自分より優っていることを認めました」
「ツォンカパ大師は瞑想の対象となるご本尊のヴィジョンをご覧になりましたが、尚もインドの古典的テキストの学習に重きを置かれました。大師はヴィジョンのなかで文殊菩薩から教誡を授かりましたが、それは難解で理解することができませんでした。そこで文殊菩薩は、更に学びを深めるようにと大師にアドバイスされました。大師はその後隠遁修行に入られ、ある日ナーガールジュナ(龍樹)と五大弟子の夢をご覧になりました。夢のなかで、青ざめた顔をした、ブッダパーリタ(仏護)と思しき人物が大師に近づき、大師の頭にテキストを置いて加持をされました。翌日ナーガールジュナの『根本中論頌』の注釈書である『ブッダパーリタ註』を読んでいた時、大師は空性と縁起に対する洞察を得られたのです」
「密教に関して言えば、ツォンカパ大師は特に秘密集会(グヒヤサマージャ)を学ばれましたが、また、ナーガールジュナの『根本中論頌』とチャンドラキールティ(月称)の『入中論』の註釈書『中観密意解明』も著されました。ですから、私はツォンカパ大師を第二のナーガールジュナだと考えています。ケドゥプジェの著書からは高慢な態度がうかがえますが、大師はいつも謙虚な姿勢を貫かれています。また、プトン・リンチェン・ドゥプは多くの主題に対して徹底的な分析を行われましたが、プトンに比べると、ツォンカパ大師の考察は、より明晰で深遠であるように感じられます」
「ツォンカパ大師の築かれた伝統は、勉学と修行を通してデプン、ガンデン、セラの三大僧院で今も鮮やかに生きた教えとして保たれています。私はここ数日間で、デプン僧院ゴマン学堂、同僧院ロセリン学堂、ガンデン僧院シャルツェ学堂において仏教哲学の問答を見る機会がありました。来春にはセラ僧院を訪れる予定です」
「もしチャンドラキールティの『入中論』の註釈書である『中観密意解明』や、ナーガールジュナの『根本中論頌』の註釈書『正理大海』、『了義未了義善説心髄』、密教についての驚くべき著作である『五次第解明灯』などという大師の著書を見るならば、なぜ私が大師を第二のナーガールジュナであると考えているのかが理解できるでしょう。このような包括的な遺産を残した導師が他に存在したでしょうか?これらの著作は正しい見解への洞察を得るために途方もなく役立ちます」
ジャンチュプ・チューデン前法主は法王の雄弁な洞察に対して謝辞を述べ、続いてドナルド・S・ロパーズ博士に最初のセッションの発表を依頼した。
ロパーズ博士は、博士の師であるラティ・リンポチェが法主を務めていた40年前に、南インドのガンデン僧院を訪れた際の個人的回想から話を始めた。博士はその後、チャンキャ・ロルペー・ドルジェの『宗羲規定』の研究に取り掛かり、最近その翻訳本を完成させて出版した。博士はゴマン学堂法主のモンゴル人、ガワン・ニマ師が博士に話した次の言葉を引用した。
「あなたはアメリカ人で、私はモンゴル人です。二人ともインドに来て、チベット語を話し、アムド出身のツォンカパ大師について語り合っています。これもカルマによる縁というものにちがいありません」
ロパーズ博士は仏教とキリスト教、とりわけチベット仏教とローマ・カトリック教会を比較して、教会の変革にはトーマス・アキナス、トーマス・ア・ケンピス、聖ベネディクトという3人の人物が影響を与えたが、一方、ゲルク派のツォンカパ大師はひとりで哲学、瞑想、行為の3つの統合を呼びかけたと述べた。
ロパーズ博士はチャンキャの『宗義規定』について長く研究する中で、テキストに出てくる大師の存在の大きさにいつも心を打たれて来たと述べた。大師ご自身は哲学学派についての書物は書かれていないが、どの主題についても必ず核心的な洞察を提示されていると博士は述べている。論理と分析と根拠によって確証を得ることを徹底的に遂行されたツォンカパ大師の姿勢は、現代社会に提示すべき大師の主要な訓戒であると博士は言及した。
ロパーズ教授は演壇に上って最近翻訳が完成した『宗義規定』についてのチャンキャの本を法王に進呈した。
ジャンチュプ・チューデン前法主はロパーズ博士の感動的な説明に対して謝辞を述べ、ゲシェ・ヤマ・リンチェン師に次の発表を依頼した。リンチェン師はチベット語で、ツォンカパ大師がいかに僧院の規律である戒律の勉学と実践について明らかに説かれたかを話した。大師はグナプラパ(徳光)の『律経』とダルマミトラの広大な註釈書を含む多くの古典テキストを勉強されていたのだ。
ゲシェ・ヤマ・リンチェン師は通常の著作集には納められていないツォンカパ大師の律蔵に関する2つの著書について言及した。1つは短く、もうひとつは長いテキストで、いずれも隠遁地オルカで書かれたものである。その中で大師は、初めて僧院の戒律を授かる人へのアドバイスと、授かった戒律をどのように保持していくのか、そして、戒律を破ってしまった時の修復方法に焦点を置かれている。
ジャンチュプ・チューデン前法主は、ゲシェ・ヤマ・リンチェン師の、律蔵を重要視された大師についての洞察に謝意を表してセッションを締めくくり、法王が開会式典開催の責を担ってくださったことと、著名な来賓方の列席に対して感謝の言葉を述べた。昼食休憩に入る前に、発表者たちは法王の周りに集まり記念写真の撮影を行った。
ガンデン大集合堂を後にされた法王は、ガンデン僧院シャルツェ学堂まで歩いて戻られた。法王は階段で立ち止まっては笑顔で聴衆に手を振られ、聴衆も拍手や、笑い声、手を振り返すことで喜びを表した。