インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝の雲ひとつない青空の下、冬の明るい日差しに包まれて、ダライ・ラマ法王は公邸からほど近いキルティ・ジェパ僧院へと車で向かわれた。僧院の門でキルティ・リンポチェが法王をお迎えし、中まで案内した。僧院の広場は僧侶、尼僧や一般信者たちで埋め尽くされていた。法王はツォンカパ大師と二大弟子の布製のタンカの前でしばらく立ち止まり、開眼供養の祈願文を唱えられた。そして、その少し先まで歩き、ダージリンのスケ・キルティ僧院の若い僧侶たちが問答しているところを見ると、また移動してキルティ・ジェパ僧院から出版された本の展示をご覧になった。
そして法王は、僧院教育のシンポジウムのために用意された大きなテントのステージにある椅子に座られた。法王の左側の席にはチベット民主政治の三権(立法、行政、司法)と中央チベット政権(CTA)の代表者が座り、右側にはキルティ・リンポチェとサムドン・リンポチェ教授が座った。
キルティ・リンポチェが法王にマンダラ供養を捧げ、仏の身・口・意を象徴する仏像・経典・仏塔を捧げた。続いて、仏陀への礼拝、無常をはじめとする仏教の教え、廻向という三つの内容を持つ『釈迦礼讃』、「ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの礼讃偈」、そしてジャムヤン・ケンツェ師が書かれた法王に捧げる長寿祈願文などを含む吉祥偈が唱えられている間に、お茶やデシと呼ばれる甘いご飯が聴衆に配られた。
キルティ・リンポチェは、聴衆への挨拶の中で法王が招待に応じられたことに感謝を表明した。チベット人たちがリンポチェに、法王からカーラチャクラの灌頂をアムドで授けていただきたいとしきりに頼んでくるが、リンポチェもその願いを受け入れられたらという一縷の望みを持っているようだった。リンポチェは続いて、キルティ・ジェパ僧院を1990年代にダラムサラに創設したことと、チベット本土で僧院を修復したことについて述べた。
キルティ・リンポチェは、今回のシンポジウムは若い僧侶と尼僧たちへの利益を最大化する目的で集まっていただいたと説明され、次のように述べられた。
「チベット本土の人であろうと難民であろうと、若い僧侶や尼僧たちは歳を経るにつれ、多くの困難に直面するでしょうから、彼らを導くための、戒と律(内面・外面の規律)が必要です。そこで、僧院における訓練に焦点を当てた議論を行えば彼らにとって役に立つだろうと考えました。また、若者たちのための一般的な僧院教育も議論する予定でいます」
「また最近では、法王の転生者についての会議がありました。もちろん皆、法王が私たちの社会の中に生まれ変わってくださればと望んでいるのですが、私たちが今できることは法王にそのようにお願いすることだけです。法王の転生者が生まれたら、そのお世話をすることが私たちの責任です。法王は、将来においては小さな家族の一員として生まれることを望まれていると表明されましたが、ダライ・ラマとしての偉業をサポートするにふさわしい安定した組織が必要です。結論を申し上げると、法王にはご健康であられるようお願い申し上げます」
チベット亡命政権議会の議長であるペマ・ジュンネ氏が、僧院などを学びの場として再建する困難な事業を、年長の世代の人々が法王の指導の下に成し遂げたいきさつを話し、またこのシンポジウムのテーマを称賛して、成功を祈念すると述べた。
ロブサン・センゲ首相は、キルティ・リンポチェが法王のご指導を亡命下においてよく守ってこられたことを称賛し、次のように述べた。
「チベットでは、中国への同化政策が60年も続いています。しかしここ亡命社会では、我々の伝統を守ってくることができました。何万人もの命がチベット問題のために犠牲となりましたが、その中でも、焼身抗議を実行したのは、チベット本土のキルティ僧院があるンガバの出身者が最も多いのです」
また、ロブサン・センゲ首席大臣は、法王がカンギュル(経典)とテンギュル(論書)を、科学・哲学・宗教の三つに分類し、再整理されたことについて述べた。仏教における心の科学に関する記述は、信じる宗教が何であれ、誰にとっても利益となるものである。
続いて法王が、キルティ・リンポチェを始め、中央チベット政権の指導者やシンポジウムに参加した全員に、次のように挨拶をされた。
「ロブサン・センゲ首席大臣が指摘したように、カンギュルとテンギュルの内容は、科学・哲学・宗教の三つに分類して考えることができます。仏教科学の分野では主に心の科学が広い範囲において利益をもたらします。哲学的見解の基本となるのは縁起の考え方であり、量子物理学の根底にある概念に一致しています」
「ナーランダー僧院の伝統のみが、仏教を理解するためには論理を用いるべきであると強調しました。古典的なテキストで説明されている論理的な考えかたをすることと、経典にある心理学的記述の両方が、完全に学術的文脈の中で使われています。ナーランダー僧院の伝統の多くが、現代科学と一致しているのです」
「同様に、ある時ゲン・ワンドゥ氏と、仏教を世界に復興させる〔シャンバラの〕ルドラチャクリン王について、そもそも仏教破壊のなりゆきが預言にどう書かれているかを話したことがあります。カーラチャクラの灌頂を授かることには人気がありますが、それを心のマンダラを伴って行じるのは容易ではありません。また究竟次第の六座グルヨーガについては、ジョナン派の中にのみ見いだせます」
「パンチェン・パルデン・イェシェはシャンバラ王国を訪れたと言われており、ポタラ宮には、彼がそこから持ち帰ったという穀類の山がありました」
「釈尊の教えの基礎となるのは愛と思いやりであり、それを基盤として悟りを目指す心、つまり菩提心を育てます。菩提とはここでは智慧を根幹とする悟りのことです」
法王はかつて科学者たちと対話をしたいと初めて発言した時、あるアメリカ人の友人が「科学は宗教を殺しますよ」と警告された話しをされた。しかし、法王にとってそれは怖れる必要がないという確信があったことであり、すでに40年もの間、科学者たちとの対話を互いに協力しあって行って来られた。
法王は、チベット仏教だけが、釈尊の教えを正しい根拠と論理の光を当てて検証する方法を守ってきたと繰り返された。また、以前サールナートでの討論を見ていて、時に経典の引用をするより、正しい根拠に基づいた議論のみをするようにと勧められた話しをされ、次のように述べられた。
「キルティ・リンポチェは熱心に仕事をしてこられました。特に僧院における教育課程の開発はチベットでも役に立ちます。リンポチェには深く感謝しています」
「私たちはナーランダー僧院の伝統とそこに残された叡知の守護者です。同時に、チベット語はそれを表現するのに最も適した言語です。このことに誇りを持つことは、すべてのチベット人にとって大いに励みとなるでしょうし、チベット問題のために焼身抗議をした人々の多くにも支えになっていたことでしょう」
サムドン・リンポチェ博士からも開会のスピーチがあり、このシンポジウムの目的は称賛に値すると述べられ、次のように述べられた。
「仏教の教えは幸せの源です。しかし、この教えが今後も残るかどうかは僧侶と尼僧たちに大きくかかっているので、彼らの訓練と教育は極めて重要です。キルティ・リンポチェの影響を受けてチベットでは多くの出家者たちが健全な教育を受けており、そのことに感謝いたします」
そして、キルティ・リンポチェが出版した60冊以上の本を読んで内容を確かめる時間が十分あるかどうかを質問された。それらの本の内、何冊かは要約することができるのではないか、とも言われた。
シンポジウム開催委員会の議長であるツェリン氏が、来賓や教師たち、そして百以上の僧院から参加した150人の僧侶と尼僧たちが、興味を持って参加してくれたことに感謝の意を表した。
法王は、来賓たちと昼食を共にしてから、講堂と護法尊の礼拝室を訪れ、公邸へと戻られた。友人や支持者たちが、カタ(チベットの儀礼用のスカーフ)を手に、笑顔で途中の沿道に並んで法王を見送った。