インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝法王は、チベット舞台芸術研究所(TIPA:Tibetan Institute of Performing Arts)に向けて公用車でマクロードガンジの町を通り抜けられた。その道中の両脇には、微笑むチベット人たちをはじめとした歓迎の人々が、両手にチベット伝統の白いスカーフ(カタ)を持って列をなした。法王が通過される途中の村では、ヨンリン幼稚園の子どもたちが歌を捧げて法王を歓迎した。法王はTIPAに到着されると、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相、チベット亡命議会(TPiE)のペマ・ジュンネ議長、ソナム・ノルブ・ダグポ最高司法長官らによって歓迎を受けられた。その間、アーティストたちは歓迎の意を表して、法王に歌や踊りを披露した。
法王は、落成のしるしとしてテープカットをされてから、TIPAの新しいホールの扉を開かれた。そして法王はステージに設けられた席に案内され、そこでマンダラ供養と仏陀の身・口・意の象徴を捧げられた。TIPAのガワン・ヨンテン所長は、TIPAの設立60周年を記念して、3日間の会議が開催されたことを告げ、法王と、チベット民主制の三本柱である中央チベット政権主席大臣、亡命議会議長、最高司法長官、および、スイス・ノルザン財団のメンバー、他の来賓や要人たちに向けて、重ねて敬意を表した。
ヨンテン所長は、法王が1959年初頭にチベットから難を逃れて亡命し、一息ついたところでカシャック(内閣)を設立され、最初のチベットのNGOを設立するようガワン・ノルブ氏(通称ノルナン)を激励しできたのがカリンポンのチベット舞台芸術研究所であったことを、会場にいた人々全員に思い起こさせた。それ以後、500人以上の学生たちがこの研究所を卒業し、現在のTIPAには107人のメンバーがいる。
アムネ・マチェン協会会長のタシ・ツェリン氏は、チベット舞台芸術の第一回国際シンポジウムについて紹介した。ツェリン氏は、法王の指示の元で1959年8月18日に、最初のTIPAがカリンポンに設立されたことを説明した。同氏が話している間、法王は優しい笑顔で聴衆の顔を見渡された。
ロブサン・センゲ主席大臣は、すべての参加者に向けてカシャックを代表して挨拶をし、タシ・ツェリン氏の入念な説明の後に、舞台芸術について少し付け加えて話した。しかし、センゲ首席大臣は、TIPAの設立は法王の功績に数えられるべきであり、その結果として、どこにいても舞台芸術の教師をチベット人の学校に派遣することが可能になったことを強調した。
主席大臣はまた、チベット人は世界中にいる7,000万人の難民の中で、1つの小さなグループであることについて述べた。国連のレポートによると、7,000万人の難民の内、400万人の子どもたちが学校に行くことができないでいる。一方、チベット人はすべての子どもたちを教育し、チベット人の識字率は92%に及んでいる。
カシャック、ノルザン財団、TIPAのメンバーの中で最高齢者である93歳のサンポ・リンポチェに向けて、TIPAから感謝のしるしが贈られた。アーティストたちは、法王に向けて感謝の歌を捧げ、その主旨は、「私たちは貴方の優しさに対して恩返しができないけれども、貴方の展望を満たせるよう最善を尽くすことを誓います」という内容であった。金剛手を象徴する、ゴンパ(ブルーマスク)・ダンサーの像が法王に捧げられ、法王は集まった人々に向けてスピーチをするよう懇願された。
「チベット人の老若男女の皆さんがTIPAの設立60周年記念を祝うために今日ここに集まりました。私たちの歴史を振り返ってみると、ソンツェン・ガンポ王がチベット語を文字で記す任務を負った先導者であったことを想起するかもしれません。その後、ティソン・デツェン王がチベットに仏教を確立するために、インドからシャーンタラクシタ(寂護)を招かれました。サムイェー僧院には別の部署が設立され、シャーンタラクシタは仏教の文献をチベット語に翻訳するようにと助言されました。そして、パドマサンバヴァ(蓮華生)は障りを調伏するために誠意を尽くされました」
「チベット仏教の礎を築いた三大祖師である、ティソン・デツェン王、ナーランダ僧院の僧院長シャーンタラクシタ、成就者パドマサンバヴァが共に力を尽くされた結果、仏教はチベットの地に堅固に根付きました。それ以降、チベットは8世紀から9世紀にかけて統一されていましたが、その後で政治的に分裂しました。それにもかかわらず、ナーランダ僧院の伝統は私たちを結び付けたもののひとつとして、今日に至るまで保持されています。実際に、仏陀の教えを完全な形で受け継いでいるのは、チベット人だけなのです」
「私たちチベット人がインドに亡命してきた時、確かだと思えたことは、頭上の空と足元の大地だけでした。保護や避難所もなく、私たちは無力でした。それでも、60年以上にわたる苦難にもかかわらず、チベット本土にいるチベット人は不屈の精神を維持し続けています。彼らには自由がありませんが、彼らの断固とした決意が難民である私たちに、自身の文化と伝統を守るよう力を発揮するための熱意を与えてくれました」
法王は、インド政府の手助けと、ネルー元首相の個人的な関心が得られたことで、いかにしてチベット人が子どもたちのために学校を設立することができたかについて回想された。初めに、亡命した僧侶たちはヒマラヤ地域で道路建設の仕事についていたが、インド政府にアピールして、バクサの村に集結する場所が用意された。1,500名ほどの僧侶たちが勉学を再開するためにこの地に集まった。
やがて、チベットにあった三大僧院が南インドに再建され、そこで僧院のカリキュラムが復活した。過去にチベット仏教は、それがまるで真の仏教の伝統ではないかのように、「ラマ教」として一部の地域では認められなかったことについて述べられた。しかし後になって、チベット仏教はインドのナーランダー僧院の伝統を真正に引き継いだものであるという認識が広まり、根拠と論理に依存したものであるとして広く知られるようになった。
そして法王はこのように述べられた。
「今日、チベットの文化と仏教は、科学者たちの間でさえも敬われています。中国共産党の指導者内の強硬派は、それを弱体化させようとする虚しい努力の後、彼らの政策の誤りを認め、より現実的になってきています。私たちは、私たちの文化と伝統を守るために懸命に働いてきました。チベットの舞台芸術は、私たちの遺産として価値あるもののひとつであり、それらを生きたかたちで保ち続けてきたことは素晴らしいことです。若い世代の人々がきっと更に躍進させてくれることでしょう」
「私たちの闘争は真実に基づいています。中国は武力行使と銃の力に頼っていますが、長い目でみれば、真実に勝るものはありません。失意することなく、明るい希望を持ち続けましょう。私は今84歳ですが、あと10年から15年くらい元気に過ごせることを楽しみにしています。私も最善を尽くしますので、あなた方もそうしてくれると信じています」
ここでTIPAの秘書が、無事に式典の閉幕を迎えられたことに対する謝辞を述べた。また、法王のご来訪と、支援を提供してくれた他のすべての人たちに向けて感謝の意を伝えた。そして、法王の長寿の妨げとなるものがすべて取り払われ、世界に平和がもたらされることを願って式典を締めくくった。
聴衆の中から様々なグループが法王と共に写真撮影を行ってから、法王は、中庭を見渡せる建物のバルコニーで休憩をとられた。一般の人たちとTIPAのアーティストたちは自然にそのバルコニーの下に集まって、法王の長寿祈願と世界平和のために、哀調を帯びた歌を捧げた。
その後、法王を乗せた公用車はTIPAから更に山を上がり、法王は新しくできたハイアット・リージェンシー・ダラムサラリゾートを訪問された。法王はそこで、企業の主要パートナーの一人であるGS・バリ氏からの歓迎を受けられ、バリ氏は彼の家族や友人たちを法王に紹介した。法王は入り口でテープカットを行われてから、ロビーで伝統に従ってランプに火を灯され、祝福を授けられた。その後、法王は豪華な昼食を楽しまれてから、車で森の中の曲がりくねった道を下って法王公邸に戻られた。