インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
本日午前中、紛争地域から来た青年指導者たちとアメリカ平和研究所(United States Institute of Peace / USIP)の一行が、昨日につづいてダライ・ラマ法王と対話を行った。法王は謁見室に入られると、朝の挨拶の言葉と共に近くの人たちと握手された。
対話の進行役であるアメリカ平和研究所の会長ナンシー・リンドボーグ氏は次のように語った。
「こうした会議に参加してくれた青年指導者は、ここにいる皆さんを含めてこれまでに106人になりますが、だれもが平和構築の担い手になることを心に決めた青年たちです。今日の午前中のセッションでは、特に教育について話し合いたいと思います」
まず、ベネズエラから来た若い女性リーダーがこのように述べた。
「私の国では、人々は互いに憎み合って対立しています。人々に寛容の心を持ってもらうにはどうすればいいのでしょう?」
法王はそれに答えて次のように語られた。
「やられたらやり返すという復讐を個人の間で行うことは、どんな場合であっても意味がありません。私には、ポーランドで共産主義勢力に対抗するために連帯運動を行ったレフ・ワレサという友人がいますが、受け入れられない状況に対して、ときには断固たる態度で臨むことも大切です」
法王は次に、自分の国では若者が信頼されていないと訴える南スーダンの青年に助言された。
「先輩たちが何を言おうと気にすることはありません。あなたが行っている活動を実際に見れば、きっと感銘してくれるはずです」
アフガニスタンから来た若者は、自国の村の人たちは教育に対して ―― 特に少女の教育に対して ―― 理解がないと嘆き、こうした問題にどのように対応したらいいかと訊ねた。
法王は答えられた。
「私は昨日、長い時間をかけて凝り固まった宗教的態度や社会的習慣を変えるのは難しいという話をしました。教育の重要性を理解してもらえるよう、少しずつ、倦むことなく取り組まなくてはなりません。そうすれば、いずれ状況は変化します。もっと早い変化を望むのであれば、革命を起こすしかありません」
次に、ナイジェリアで平和大使を創設した青年が質問した。
「法王は若い頃、法王の取り組みに反対する人々にどのように対処されたのですか?」
法王は次のように答えられた。
「関係者を教育し、より現実的な視点を持ってもらうことで解決しました。人々の視野が狭く、情報が行き渡っていない場合、そこにある問題の根源は無知ですから、解決策は教育しかありません。1962年に発表されたチベットの民主憲章にはダライ・ラマの権力を制限する条項が含まれていましたが、私が政治的な指導者の立場から退いたとき、人々はそのことをなかなか受け入れてくれませんでした。それでも私は政治的な責任者としての職を退きました」
次に法王は、ソマリアから来た青年に対して次のように述べられた。
「長引く暴力的な紛争をやめさせる唯一の正しい方法は、対話を通して問題を徹底的に話し合うことです。武力行使のような古い考え方はこの21世紀にふさわしくありません」
また、ビルマから来た青年に対しては、法王は次のように語られた。
「仏陀は教えを説く際、相手によって異なる教えを説かれていました。それは、人々の気質や関心がそれぞれ異なっていたからであり、その違いを尊重していたからです。これと同じように、宗教的伝統の違いも尊重しなくてはなりません。たとえ、相手の哲学的視点が明らかに矛盾しているように見えたとしてもです」
次に、コロンビアの平和を目指す若き女性指導者が述べた。
「子どもの頃の私は不安でいっぱいでした。今、私は健全な心を育むにはどうしたらいいのか考えています」
これに対して法王は次のように答えられた。
「初めに、自分自身の心を平穏にしなくてはなりません。心がかき乱されていると、より多くの問題が生じてしまいます。私たちは、世界の人口増加や地球温暖化、気候危機など、さまざまな問題に直面しています。しかし、こうした問題について、ただ考えるだけでは十分ではありません。私たちは実際に行動を起こさなくてはなりません。ただし、行動を起こすためには実行可能な解決策があるかどうかを知る必要があります。仏陀は苦しみの正体について明確に述べておられますが、同時に、苦しみとはある原因や環境に起因するものであり、取り除くことができると説いておられます。重要な第一歩は、そこに問題があることを知ることです。問題の存在を認識し、その後で解決策を探すのです」
ここで法王は、ご自身が深い感銘を受けたという8世紀のナーランダー僧院の偉大な導師、シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』より、次の偈を紹介された。
その後、法王はクスクス笑ってこう付け加えられた。
「シャーンティデーヴァは同じ『入菩薩行論』の中で、もっと役に立つことを述べておられます。
次に質問に立ったスーダンの若者は法王に対し、違いを乗り越えて互いに協力させるためにどのようにチベットの人々を導いているのかと訊ねた。これを受けて、法王は次のように答えられた。
「チベットは社会全体が仏教の教えと非暴力の強い影響を受けていて、これが大きな効果を上げています。昔、チベット人はモンゴル人のように好戦的でした。しかし、仏陀の教えに出会ったことで、より平和で慈悲深い民族になったのです」
「最近、多くの中国人がチベット人の根底にある非暴力の精神を評価するようになっています。亡命中の12万人のチベット人にとって、インドは心のふるさとです。チベット人は、相手がインド人であろうと、スイス人であろうと、アメリカ人であろうと、共に暮らす人々と良い関係を築いています。実際、インド南東部にあるオリッサ州の部族地帯やアメリカのシカゴ市でさえ、チベット人がいることで町が前より平和になったと言われています」
ダマスカスからトルコに亡命したシリア人の若き指導者は、自分たちを受け入れてくれた人々に対する感謝の気持ちを述べ、難民を受け入れてくれた国々に対してチベット人はどのように感謝を示してきたのかと質問した。
法王は次のように回答された。
「私たちの状況は特殊かもしれません。8世紀に、仏教、特にナーランダー僧院の教えの伝統がインドからチベットに直接伝来し、それ以降、チベットでは仏教が信仰されてきました。つまり、チベット人はインドに対して特別な思いを持っているのです」
「私が初めてインドを訪問したのは1956年ですが、そのとき、ラジェンドラ・プラサード大統領やサルヴパッリー・ラダクリシュナン副大統領、ジャワハルラール・ネルー首相のほか、多くのガンジー主義者たちと親交を深めることができました。その後、1959年に私たちがチベットから亡命すると、こうしたインドの高官たちはすぐに私たちを受け入れてくれました。私たちは私たちで、心の底から尊敬している国にたどり着いたと感じました。インドには仏教の聖地であるブッダガヤがあるからです」
「インド政府は、私たちが僧院の教育システムを再建できるように支援してくれました。チベットの僧院では、僧侶や尼僧が20年以上もかけて学ぶことができるのです。現在、私は古代インドの知識を現代のインドに復興させようと努力しています。私が知る限り、インドは現代教育と心の働きに関するインド古来の知識を結び合せることのできる唯一の国であり、こうした結びつきは世界が成し遂げなければならない火急の課題なのです」
続いて法王は、平和を推進する方法を訊ねたコロンビアの青年に対して次のように答えられた。
「暴力的であることに正当な理由はありません。一方で、穏やかで思いやりのある心には、そうした心を持つにふさわしいもっともな理由があります」
また、ご自身の来世について問われた法王はこのように答えられた。
「転生者によって引き継がれていくダライ・ラマ制度は封建時代にできたものであり、すでに時代遅れです。しかし、自分の来世について考えるなら、ダライ・ラマ1世のようでありたいと思います。ダライ・ラマ1世は、極楽や浄土に生を受けるより、苦しみにあふれたこの輪廻に人間として生を受け、苦しんでいる人々を助けたいと望まれたのです」
法王は次に、希望を持ち続ける方法を訊ねたクルド人の青年リーダーに対してこう述べられた。
「自分たちの文化とアイデンティティを守ろうとするクルド人の不屈の精神は大変素晴らしいものです。私たちは21世紀を生きており、古い考え方に縛られる必要はありません。すべてのクルド人がひとつの場所で共に暮らせる日が来ることを心待ちにしています。そうした目標を達成するひとつの方法として、国連のような性質を持つ世界組織をつくってみてはいかがでしょう?国連のように各国の政府を代表するのではなく、実際に人々を代表する国際組織を作るのです」
閉会にあたって、ナンシー・リンドボーグ氏が法王に対して深い感謝の気持ちを示し、その他の多くの人に向かって「皆さんがいなければ、この対話は実現しなかったでしょう」と述べた。
法王は最後に次のように語って対話を締めくくられた。
「時間は決して止まりません。時は常に過ぎていきます。過去を変えることはできませんが、未来は私たちの手で変えることができます。より良い未来をつくるために、知性をフルに活用して今すぐ行動を起こしましょう。今置かれている状況は幸福なものではないかもしれませんが、私たちはこの状況を変えることができます。落ち込んでいても意味がありません。昔、人は孤立した小さな集団の中に閉じこもっていたかもしれませんが、現在、技術が私たちを結び付け、互いに協力することができるひとつの人間社会が生まれました。これから、世界が良い方向に変化していくことを楽しみにしています」