インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王は公邸からツクラカンへと歩かれ、一般の人びとと忌憚なく交流された。中庭では、法王のお目に留まりたいと熱心なあまり、人びとがフェンスに体を押し付けられていた。
台湾の人々による中国語の『般若心経』が唱え終わると、法王は経頭に最後の偈を動きのあるメロディーでさらに唱え続けるように依頼され、その間に、後で授与する孔雀明王の許可灌頂の前行修法(準備の儀式)を完了された。
法王は次のようにお話を始められた。
「まず『王への教訓-宝の首飾り(宝行王正論)』の第1章を読んでいきます。このテキストは空性について説かれているので、時に “慣習の確立” として言及されています。このテキストでは、来世における一時的な幸せ、つまり、来世において人間や天人としてのよい転生を得るための因について説明しており、それはとても重要です。なぜなら、その説明なしには、何が正しくて何が間違っているかを知るすべを持たないからです。私たち人間に優れた頭脳が備わっていることは、人としての生が貴重である理由のひとつです。しかしながら、私たちは解脱に至るという究極の幸せを目指す必要があります。来世におけるよい転生から得られる利益は確かにありますが、たとえよい転生を得たとしても、その転生も、煩悩と煩悩に支配された行為の影響下にあるため、遍在的な苦しみにさらされているからです」
「そのためには、功徳を積むだけでは十分ではなく、煩悩を滅する必要もあります。仏陀が苦・集・滅・道という “四つの聖なる真理(四聖諦)” について説かれたとき、心の過失もまた取り除かねばならないと説かれました。現実のありようを理解することにより、私たちは煩悩を克服することができるのです」
「私たちに不幸をもたらしているのは、私たち自身のかき乱された心です。煩悩は無知、つまり、現実のありように対する誤った考えに根差しています。アーリヤデーヴァ(聖提婆)が『四百論』の中で次のように書かれている通りです。
「無知を晴らすには、縁起の見解を理解する必要があります。空を説く時、ナーガールジュナ(龍樹)とその弟子たちは縁起の観点から空を説明されましたが、それは一度に虚無論と実在論の二つの極端を断じることができるからです」
「対象物には実体がないということを認識するために、空の理解は非常に重要です。チャンキャ・ルルペー・ドルジェは、“私たちの世界では人びとは空について語るものの、ある種の客観的に存在する対象に固執し続けている”と述べています。ダライ・ラマ7世は、“夢の中であたかも存在するかのように現れる馬のように、あらゆる事物はまるで存在しているかのように現れてくるが、その現れ通りに存在しているわけではない” と書かれました。すべての現象は固有の独立した対象物としてそこに現れてはきますが、その対象物に実体はありません」
法王は、テキストの始めの方にある有名な偈を唱えて要約された。
法王は、空の理解に関しては、粗いレベルから微細なレベルのものまであると述べられた。初地の菩薩は空を直観で理解しているが、第七地の菩薩は声聞乗の聖者たちよりも優れていると言われている。
法王は、テキストの一番最後の第5章に飛ばれると、菩提心がもたらす恩恵を綴った466の偈から菩薩の誓願20偈に注目され、法王ご自身も『功徳の基盤』を唱えた後、『心を訓練する八つの教え』とともに毎日これらの20の偈を唱えていると述べられた。
「このテキストの心髄はお伝えしました」と法王は聴衆に語られた。
「皆さん、本をお持ちなので自分で読むことができますが、その読んだ内容に基づいて自分自身を変容させるかどうかは、皆さんの手にかかっています。商品がたくさんある市場に行くようなものです。実際にどれを買うかはあなた方次第です。仏陀も“私は解脱に至る道を示した。しかし解脱できるかどうかはあなたの手中にある”とおっしゃっています。ナーガールジュナなどの偉大な導師たちが優れた論書を書かれているのですから、それらを何度も読んで、その内容について考えてください」
「以前、私はタクダ・リンポチェに、菩提心を培うことは難しくできそうもない気がするとお話したところ、あくまでやり通せばそのうちに菩提心の体験が生じてくるとおっしゃいました。私は亡命後、勉強し、瞑想し、実践修行をすることができましたので、もし完全な隠遁修行(リトリート)をすることができたなら、きっと成就できたであろうと思っています。ダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプも、もし隠遁修行を続けていれば、より高い理解を得られたかもしれないと述べておられます。しかし、全体的な目的は他者に奉仕することだったので隠遁修行をあきらめ、タシルンポ僧院を設立されました。ですから私もその例にならって、菩提心と空の理解の重要性を説いていこうと思います」
「今日ここにいる皆さんは私との師弟関係を結びましたので、私の仏法の兄弟姉妹であるとみなします。今生きている70億の人びとのために奉仕することが、私たち全員ができる実用的な実践です」
次に法王は、ご自身の4つの使命の要点を述べられた。第1の使命はひとりの人間としてであり、私たちのように社会的な生活を営んで生きている動物には思いやりが必要であることを人びとに喚起することである。私たちは皆、幸せになりたいと願っていて、他者に親切にすることは自分や他者にとって有益なことだからである。第2の使命は、異なる宗教間の調和と互いへの敬意を促すことであり、たとえ哲学的な見解が異なっていても、同じように愛と思いやりを育むことを目的としている。
次に、ダライ・ラマという肩書きを持つひとりのチベット人として、法王はチベット人の大多数が法王に希望と信頼を寄せていることに気づいておられる。そこで、法王の第3の使命は、政治的立場から引退されていても、チベットの壊れやすい環境を緊急に保護する必要があることから、チベットの環境保護に対する関心を高めることである。また、8世紀にシャーンタラクシタ(寂護)によってチベットにもたらされ、チベット人が途切れることなく生かし続けてきたナーランダー僧院の教育の伝統を維持することにも法王は深く関心を寄せられており、これが第4の使命である。
シャーンタラクシタ(寂護)は、チベット人が母国語で勉強できるように、仏典のチベット語への翻訳を提唱され、チベット語はその翻訳の過程で大いに豊かになった。最近チベットでは、強硬な中国の当局者たちがチベット語をチベット人のアイデンティティと結び付けて抑圧しようとしている。ここ亡命先のインドでは、チベット人はインド政府の助けと支援により学校を設立し、学びの場として僧院を再建した。これらはチベット語を保持する上で重要な役割を担っている。
チベット人の精神は依然として強く、非暴力に徹し続けている。160人以上ものチベット人が他者に危害を加える代わりに、焼身自殺による抗議をして命を犠牲にしてきた。法王は、1974年以来、中華人民共和国との関係において中道のアプローチを採ることを提案し続けてきたことを付け加えられた。
法王はさらなる使命として、心と感情の働きに関する完全な理解を含め、古代インドの智慧を現代のインドに復活させようと努力していることを述べられた。そしてインドは、古代インドの智慧と現代教育を結びつけることができる唯一の国であると示唆された。さらに法王は、非暴力への確固たる信念により、20世紀にマハトマ・ガンジーが成し遂げた効果的な例を指摘された。ネルソン・マンデラやデズモンド・ツツ大主教、マーティン・ルーサー・キングもこの例を深く心に刻んでいた。おそらく慈悲の心と思いやりは、21世紀も引き続き効果的であるだろう。
法王は最後に、中国と日本で広く知られている五大護法尊、またはサンスクリット語でパンチャ・ラクシャーとして有名な、智慧の仏母大孔雀明王(マハーマーユーリ)の許可灌頂を授与された。その過程で、法王は菩提心生起の儀式も執り行われた。
「この3日間、『宝行王正論』に焦点を当てて法話を行なってきました。有益であったと感じてくださればと思います。私は広範な本尊ヨーガの瞑想修行を続けていますが、根本となるのは菩提心と空を理解する智慧を培うことです。私は時に、夢の中でさえ菩提心について説法をしていることがあります。チベット人がシャーンタラクシタ(寂護)から学んだことを育んできたように、あなた方も私が述べた内容についての理解をぜひ深めていってください」
台湾からの参加者たちが中国語で『不滅の歌』を唱え、一連の法話会は終了した。『不滅の歌』は、法王のお二人の家庭教師、リン・リンポチェとティジャン・リンポチェによって記された法王のご長寿祈願文である。台湾人の弟子たちと少人数グループに分かれて集合写真を撮った後、法王はツクラカンの階段を車まで歩いて降りられ、昼食をとるために公邸へと戻られた。