今朝、ダライ・ラマ法王は約100人の有識者、研究者、外交官たちとの対話に参加され、全ての人間は精神的、感情的、肉体的な面において全く同じ立場にあると述べられた。私たち一人一人はみな同じ種類の脳を持ち、また知性に恵まれているという点でも同じである。それだけでなく、私たち全員が幸せを求め、苦痛から解放されたいと願っている点においても、全く同じなのである。
「近年、科学者たちは、人間の基本的な性質は思いやりの心であると述べています。私たち人間は、それぞれが住む地域社会に依存して生きているのですから、社会的な生活を営んで生きていく類の生きものなのです。まだ学校に入学する年齢に達していない小さな子供たちの心はとてもオープンで、彼らはすぐに友だちになることができます。一人一人がどの宗教を信仰しているかとか、国籍はどこなのかなど関係なく、とても仲良く遊びます。しかし、就学の年齢に達すると、宗教、人種、経済的背景、またこの国ではどのカーストに属しているのか、などといったそれぞれの二次的な違いについてこだわり始めます。そしてこのような類の識別は、『自分たち』と『他者』という意識を生み出してしまいます。しかし、私たちが今本当に必要としているのは、この世界に住む70億の人類は一つの人間家族であるという認識を養うことなのです」
次に法王は、ご自身の人生において、四つの使命があることを参加者たちに述べられた。まず第1の使命は、全ての人たちは幸せな人生を送りたいと願っているが、本当の幸せの源は私たち一人一人の心の中にあるということを伝えることである。自分があたたかい心を持っていれば、その人自身や家族、そして周りの人たちをより幸せにすることができるからである。第2の使命は、インドにおける長年の伝統である、異なる宗教間の調和を奨励することである。全ての宗教的伝統は愛と思いやりの心という共通のメッセージを伝えているが、私たち人間はそれぞれが違ったものを求め、気質も異なることから、宗教にも様々な種類が必要である、と法王は指摘された。
第3の使命は、一人のチベット人としてのものであり、チベットの人々が法王に多大なる信頼を寄せていることに関係している。法王は2001年に政治的責任者としての立場から完全に引退され、そして選挙によって政治的指導者を民主的な方法で選出し、すべての政治的責任を委ねたことを明白にされた。
「しかしながら、未だ私はチベットの宗教、文化、言語を保護することに専念しています。7世紀の初代チベット国王であったソンツェン・ガンポはインドのデーバナーガリー文字(サンスクリット語)を手本として文字を作ることを要請しました。そして8世紀に現れた仏教王ティソン・デツェンは、チベットに仏教を広めるためにナーランダー僧院の偉大なる仏教学者であったシャーンタラクシタ(寂護)を招聘しました。シャーンタラクシタによってチベットに根付いた仏教の教えは、ナーランダー僧院由来のサンスクリット語の伝統であり、それは論理と正しい根拠を強調したものでした。この基盤があるからこそ、チベット仏教が現代の科学者たちと対話をすることが可能になったのです。またナーランダー僧院の伝統は、非暴力の実践である『アヒンサー』と、それに基づいた慈悲の心、つまり『カルーナ』も取り入れています」
「最後に第4の使命として、私は、古代インドにおいて育まれてきた心と感情の働きについての知識を現代のインドに復活させることに専心しています。心と感情の働きについて理解することは、現代世界に生きる私たちにとって非常に適切なことだと私は確信しています。特にこの地インドにおいて、心と感情の働きについての知識と近代教育を結び合わせることが、私たちに共通の利益をもたらすと信じています」
続いて質疑応答の時間に入り、まずインドと中国の関係性についての質問があがった。それに対して法王は、隣り合わせの国として、お互いが平和に暮らせるよう務めることが好ましい、とアドバイスされた。そして、子供たちに宗教教育と基本的な人間価値のどちらを教えることがふさわしいのかとの問いには、宗教的実践は個人の選択であるが、ただ単純にあたたかい心を育むことはすべての人に利益をもたらすものである、と法王は示唆された。
また法王は、僧侶や尼僧たちだけでなく、在家修行者たちも仏教を学ぶことが大切であると強調された。法王は、以前ラダックで問答のクラスに強い関心を持ったシーク教の生徒に出会った時のことについて触れられ、縁起の見解について探求してみるようにと勧められた。その理由は、物事は他のものに依存することで存在しているからであり、独立した固有の実体というものは何一つとして存在していない、という空の見解に結びつくからである。この概念を元に、私たちの幸せは他者に依存して成り立っている、という考えを広げてみることで、思いやりの心との関連性についてもまた、理解を深めることができる。やさしさと思いやりの心を養う努力をすれば、自分の敵でさえ素晴らしい友人になることが可能である、と法王はアドバイスされた。
最後に、常識が希薄なものになってしまったのはどうしてか、という質問に対し、法王は、イギリスからインドに導入された近代教育のシステムは、心の訓練をあまり重視しないように見受けられる、と述べられた。その結果、人々は破壊的感情とどのように向き合えばよいのか、また心の平和を築くためにはどうすればよいのかが分からずにいる。時間はかかるかもしれないが、着実に努力を積み重ね続けることで、私たちは心と感情をよりよく変容させていくことができる、と述べて法王はお話を終えられた。