インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州マナリ
本日の雨模様の中、ダライ・ラマ法王から大悲世自在観音の灌頂を授かるため、約8,000人がマナリに集まった。法話会の会場にはテントがしつらえられ、満員の会場の外では、加えて五百名ほどが路上で灌頂伝授会に参加した。
法王は次のようにお話を始められた。
「今回の灌頂は、ダライ・ラマ五世の秘密のヴィジョンという法脈に連なるものです。ダライ・ラマ五世はネチュン神託官にお伺いを立てたあと、ポタラ宮殿の中で観音菩薩のリトリート(隠遁修行)に入られた時、ソンツェン・ガンポ王のヴィジョンをご覧になりました。ソンツェン・ガンポ王は観音菩薩の胸の位置から出現し、ダライ・ラマ五世をマンダラに導かれ、そこでこの九本尊の灌頂を授けられたのです」
「私が幼少の頃、タクダ・リンポチェから25種のビジョンに基づく一連の灌頂を授かりました。その後、インドに亡命してからトゥルシク・リンポチェより一連の長寿の灌頂を授かり、それらの集中修行を行いました。この一連の灌頂を授かっていた間、私は毎晩、次の日に授かる予定のご本尊に関連した夢を見ました。亡命後に、ダライ・ラマ五世のお姿を写したタンカ(仏画)の夢を見た時、五世は夢の中でじかに私の前に立ち、とても長いカタ(チベットの儀礼用スカーフ)を私にくださいました。そのようなことがあったので、私はダライ・ラマ五世との強いカルマのつながりを感じています」
法王は、今日の悪天候は残念であるが、と述べられてから、法王が灌頂の前行修法(準備の儀式)を執り行われる間、聴衆に観音菩薩の六字真言を唱え続けるよう受者たちに要請された。
「以前から、この灌頂会に直接参加することはできないが、インターネットを通して遠くから灌頂を授かることは可能でしょうか、との質問を受けていました。釈尊の時代にもそのような前例があります。時々出家の戒律を授かりたいが、釈尊と直接まみえることのかなわない人々に対し、伝令によって遠隔地で授与するという手段がとられていたのです。ですからそれと同様に、台湾その他の遠隔地にいる方で、観音菩薩に対する堅固な信心を持ち、灌頂を授かりたいという意思がある人なら、場所を問わず、伝授を受けることは可能です」
前行修法が終了すると、法王は仏教概論についての簡単な紹介をされた。
「日常生活において、私たちは多くを五感に頼って経験しています。しかし、眠りに入ると我々の感受作用は機能を停止しますが、その一方で、純粋な精神的意識は機能し続けます。無上ヨーガタントラには、睡眠中の夢の境地をヨーガ修行に活用するテクニックが説かれています。それによって、光り輝く本来の意識に到達するチャンスがあるのです。これと同じ様なチャンスは、意識を失った時や死に直面した時にも訪れます。熟達した瞑想修行者たちは、呼吸が止まり、脳も機能を停止して、医学的には死亡と診断されていても、微細な意識が肉体にとどまっている限り、身体も温もりを維持したままとどまるという現象を顕現することができます」
「無上ヨーガタントラの技法によって顕現する光明の意識は、般若波羅蜜(智慧の完成)の教えの中で説かれている空性の理解と結びついています。ニンマ派では九乗が説かれ、その中で最も高度な修行は内なるタントラ、つまりマハー・ヨーガ、アヌ・ヨーガ、アティ・ヨーガ(ゾクチェン)です。アティ・ヨーガでは、通常の粗いレベルの意識は使用せず、原初から存在している意識そのもの(光明の心)に基づいて修行を行います」
「修行者たちは、般若学について一般的な修行道の概要が示されている『現観荘厳論』に従って修行を行います。この書は教えの一般的な構造を示していますが、それに対し、密教の修行法は個別の弟子たちに対して説かれた特別な教えです。一般的な教えである顕教の文脈に従わなければ、特別な教えである密教の価値を理解することはできません。チベットでは、個別の弟子に対して秘密裏に説かれる密教の教えを必要以上に重要視してしまい、その結果、顕教の教えをおろそかにしてしまうことすらあるのです。亡命生活に入ってから、私が僧院や尼僧院における顕教の学習・研鑚を奨励するのはこうした理由もあるからです」
法王は聴衆に対し、本日の灌頂のご本尊である大悲世自在観音は、ワティ・サンポとして名高い白檀の仏像にそのお姿がはっきり刻まれている、と述べられた。その仏像はチベットのゾンカル・チョーデ僧院に長く祀られていたが、現在はダラムサラの法王のお傍に安置されている。ここで法王は、夢の中でワティ・サンポと直接交わした会話を回想された。夢の中で法王がワティ・サンポの仏像に、「空性を理解しておられますか?」と質問すると、仏像は「理解している」と答えられた。さらに法王が「直観によって理解されているのですか?」と質問すると、仏像は再び、「その通り」と返答されたそうである。
灌頂伝授会の中で菩薩戒授与の次第に入ると、法王は、発菩提心には、他者を利益したいという願いと、自分が悟りを得たいと望む二種の願いが込められている、と説明された。言い換えれば、有情を利益するために自らが成仏しようという意思を持つことである。
そして法王は、次のように述べられた。
「これが私の修行です。私は毎日目覚めた瞬間に菩提心を生起します。そして六座グルヨーガの修法を行う時に、その中で儀軌に従って正式に菩提心を生起しています」
その後、法王は分析的瞑想の一環として、如来の存在について考察するナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論偈』の一節を引用された。
法王は、この偈頌の「如来」を次のように自分に置き換えて考えると、大変効果があると述べられた。
午前中の儀式が終了すると、法王はいつものように演壇の端まで進まれ、会場の聴衆に対しあちこちに目を向けながら手を振って会場を後にされた。その後、近くのヒマラヤの麓にあるニンマ派僧院まで車で移動され、そこに安置されている釈迦牟尼像とパドマサンバヴァ像に参拝された。その後、同僧院から昼食会会場までの道のりを護衛とともに進まれた。そして、すぐ近くのオン・ンガリ僧院に戻られる前に、ニンマ派僧院の関係者たちとの写真撮影に臨まれた。
法王は、明日は『心を訓練する八つの教え』と『三十七の菩薩の実践』について解説すると発表された。