インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
明日6日に84歳の誕生日を迎えられるダライ・ラマ法王の長寿祈願法要とそれに伴う大規模な儀式が、今朝、中央チベット政権(CTA:Central Tibetan Administration)を定年退職した元職員約300人とその家族約200人によって捧げられた。
中庭を通ってツクラカン本堂へと続く通路は、法要のための明るい色の装飾で荘厳され、モンスーン間近の曇天と対称をなしていた。ダライ・ラマ法王は、中央チベット政権の元主席大臣テンジン・ナムギャル・テトン氏、同定年退職者会の会長ロブサン・ジンパ氏、ナムギャル僧院の規律長テンジン・ノルブ師に先導されて、法王公邸からツクラカンへと向かわれた。
法王はいつもされるように、ツクラカン本堂に至る途中で何度も足を止められ、ご友人や支援者たちと挨拶を交わされた。法王に思いがけず言葉をかけられたチベット子ども村の生徒たちの多くは、興奮を隠せず、しばらく圧倒された表情をしていた。本堂内に入られた法王は、中央チベット政権の現主席大臣と内閣の大臣たち、最高司法委員会委員長、亡命チベット代表者議会の議長に挨拶をされた。そして法王は、法座の周りの元官僚たちの間を通って進まれ、ステージ後方に車椅子で来場していたニンマ派の長老ガルジェ・カムトゥル・リンポチェに歓迎の言葉をかけられた。
法王が法座に着かれると、中央チベット政権長寿祈願法要実行委員長のロブサン・ジンパ氏が、マンダラと仏陀の身・口・意(お身体・お言葉・お心)を象徴する品々を法王に献呈した。続いて元大臣たちが法王にカタ(儀礼用の絹のスカーフ)を捧げている間に祈願文の誦経が始まった。故トゥルシク・リンポチェによる礼讃文の中の、観音菩薩の化身である歴代ダライ・ラマへの礼讃偈の読経の後に、法王が不意にお話を始められた。
「今日は中央チベット政権を定年退職した元職員の皆さんが、私の長寿祈願法要を執り行う段取りを整えてくれました。皆さんの信頼と敬信の念、そして私たちの精神的な結束はとても強いものです。私の長寿を祈ってくれて感謝しています。先ほど、テンジン・ナムギャル元主席大臣がここまで私を先導してくれました。彼に初めて会ったのは、彼がまだ小さな子どもの頃でした。彼のお父さんは当時ムスーリーにあった中央チベット政権の官僚だったのです」
「亡命の身となり、私たちは多くの古い習慣から離れました。それは私にとって自由になることでもあったのです。以前の私は黄金の鳥かごの中で生きているようだった、と表現する人もいます。幸運なことに、家庭教師の方々のお陰で、私は十分な教育を受けることができました」
「私たちは国を失い、国外に逃れましたが、自分たちの宗教と文化とアイデンティティを保ち続けようと懸命に努力してきました。祖国を失ってから60年の年月が経ち、チベットにはいまだに自由がありませんが、ここインドでは長年にわたって結束が保たれていました。亡命先では、ナーランダー僧院の導師たちが書かれた仏教の古典的論書を勉強することができていますが、これはインドとチベットとのユニークな関係を暗示するものです」
「過去においては、チベット仏教はラマイズムであって、純粋な仏教の伝統ではないかのように言う人たちがいました。しかし、私たちが継承し続けて来たものは、ナーランダー僧院から受け継がれた生粋の仏教の伝統です。私たちは国を失いましたが、甚深で広大な仏陀の教えの教誡を勉強し、修行し、分かち合う機会を得ました。私たちはこれらの教えを母国語であるチベット語で説明することができるのです。そのお陰で、盲信によってではなく、論理と根拠に基づいて仏教の伝統を保持し、隆盛させてくることができました。その結果、今では他の仏教国や、今まで仏教に興味がなかった国の人々が、私たちが維持してきた知識に関心を寄せています」
「ともあれ、オペラのセリフにあるように、“年老いた私たちは、集まって楽しみ、祝おうではありませんか”」
「チベットは観音菩薩に守られている土地です。このことはチベットの歴史と、観音菩薩の化身である方々の記録から知ることができます。観音菩薩は千の眼と千の手を持たれています。一方で、私は直接一般の人々と話をし、つながることができますので、私は自分自身のことを観音菩薩が遣わされた使者であると考えています。亡命したてで、まだスワラグアシュラムに滞在していた頃、私は夢の中で、ラサのジョカン(トゥルナン寺、中国名は大昭寺)にある観音菩薩像の前にいました。その像は自ずと現れた五面の観音菩薩像として知られていました。観音菩薩は手招きして私を呼び寄せ、その胸に私を抱きしめてくださいました。そして、“元気を出して、諦めてはいけない” とおっしゃいました。後に文化大革命が起こり、その像は破壊されてしまいましたが、お顔の破片のいくつかは運び出され、後にダラムサラの私のところに届けられました。そのうちの数片は、ここにある千手観音菩薩像の中に私が収め、残りはその隣にある箱の中に安置されています」
「中央チベット政権のために一生懸命働いてきた皆さんは、これから数多の来世において観音菩薩に守られていくことでしょう。これは口先だけで言っているのではなく、根拠があって信じていることなのです。意識にはそれを生み出す実質的な原因があります。現在の心には、それを生み出す原因となった前の瞬間の心があり、そこには途切れることのない連続体が存在していますので、私たちはこれから来る幾多の来世について語ることができます。あなた方は仕事を通して観音菩薩との特別なつながりを持っていますので、きっと観音菩薩が面倒を見てくださるはずです。皆さんはそのような状況にあるのですから、慈悲と慈愛を育み、空性を理解する智慧を培うように努力してください」
「私たちの歴史において、大変な困難に直面している現在、あなた方はベストを尽くしてきました。ですから、皆さんが空の理解と菩提心を得る手助けをしてくださるように、観音菩薩に祈願してください。偉大な修行者であったミラレパは、“谷に住む施主と山の上に住む修行者は強い絆で結ばれ、両者は共に働くのだから、皆が共に悟りを得ることができますように” と祈願されました」
「人々が怒りや貪りという煩悩の力に駆り立てられて、世界中で大混乱が起こっているのを目にする時、愛と思いやりを育み、自分のしている仕事を世界平和のために捧げるようにしてください。私たちは一切有情の幸福を祈っていますが、現実に手を差し伸べて利益することができるのは、この地球に一緒に住み、意思疎通を図ることができる70億の人々なのです。ですから私はどこに行こうとも、あたたかい思いやりある心を育てるようにと、人々に推奨しています。やさしさと思いやりを持って日々の生活を送れるならば、必ずや、より平和で満たされた感覚を持つことがきるでしょう」
「私たちは皆いつか死んでいきますが、死を迎えた時に、法王のアドバイスに従ってベストを尽くしてきた、ということを思い起こすことができれば、後悔なく逝くことができるでしょう。数多の来世において、ずっと見守ってくださるように、観音菩薩に祈願してください」
僧院長のタムトゥク・リンポチェを導師として、ナムギャル僧院の僧侶たちが長寿祈願法要の儀式を開始した。この儀式次第はダライ・ラマ5世の秘密のヴィジョンによってもたらされた無量寿仏の成就法に基づいている。儀式の途中で、法王に供物を捧げる元官僚たちの長い列が本堂いっぱいに広がった。儀式の最後に、元主席大臣たち、元官僚たちが一人一人法王にカタを捧げた。その中には、抱きかかえられて法座のある壇上に登ったカムトゥル・リンポチェの姿もあった。
チベット舞台芸術団(Tibetan Institute of Performing Arts)のアーティストたちが、現代的な楽器とチベットの伝統楽器の両方を使って、称賛と感謝を捧げる歌を披露した。
儀式の締めくくりとして感謝のマンダラが捧げられる前に、法王は再び参加者に向かってお話を始められた。
「身体と言葉と心によって、チベット問題と代々引き継がれてきた我々の精神的遺産を保持するために尽くしてこられた皆さんは、意味ある人生を送ってきました。私もいつも長生きするように努めています。トゥルシク・リンポチェはタントン・ギャルポを模倣するようにとおっしゃいました。タントン・ギャルポは125歳まで生きた方ですが、やはりそれは少し難しいでしょう。瞑想行者の友人の中には、108歳まで生きたパンチェン・ロブサン・チューゲンを模範にしたらどうかと言う人もいます。それが可能かどうかは分かりませんが、私自身、90歳代か100歳までは生きられそうだと感じています。ともかく、私はいつも一切有情の幸福と仏法の隆盛を願い、祈願しています」
「私は現在まで、そのために幾ばくかの貢献をしてくることができたと感じていますし、長く生きられれば、それだけ、これからも人々の役に立つことができるでしょう」
「そうではなく、ただ長寿を望むだけであれば、意味がありません。それでは締めくくりとして感謝のマンダラ供養の儀式を始めてください」
長年、様々な分野で法王のために仕えてきた年配のチベット人たちが、順番に法王にカタを捧げ、法王は彼らの頭を愛情込めてそっと叩いて加持された。本堂の外では、法王をお見送りするために、たくさんの参列者たちが並んでいた。それに応えて法王は、微笑まれ、時に声をかけられ、握手をされながら中庭で待ち受けている車まで歩かれた。時間をかけて車に到着された法王は、昼食のために法王公邸へと戻っていかれた。