インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、シンガポールから来た85名のグループが、ダライ・ラマ法王を訪ねてきた。このグループには、シンガポール人、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、インド人、カナダ人、中国人、フランス人、スイス人、その他数か国の人々が含まれている。彼らは皆、一期一会の対話によって世界を変革したいという願いに基づいて活動するクラブ1880のメンバーである。
法王は謁見室に入ると同時に全員に挨拶をされたが、特に最前列にいた少年に目を向けられた。そして、彼らのような21世紀に属する若い世代の人々が、教育を通して状況を変えようと努力するならば、一世代以降には、より平和で思いやりのある世界を目にすることができるだろうと示唆された。
代表のマーク・ニコルソン氏は、このグループのメンバーは異なる生い立ちや異なる信仰を持っているが、この世界をより良い場所にしたいという願いの元に団結した人々である、と法王に紹介した。それを受けて法王は、次のように述べられた。
「ここにおられる85人のみならず、この地球上に生きている70憶人のすべての人々が、それぞれ違う顔を持っています。しかし、私たちは皆、同じように生まれてきたのです」
「私は幼少期より、どのように自らの悪しき感情を克服するべきかということについて学んできました。時折、私の人生の中で困難に直面することもありましたが、 真に役立つのは、たとえどのような状況であっても心の平和を保つことはできる、ということを学んだことです。仏教的な考え方に基づいて言えば、私たちが生きているこの世界は問題に満ちており、それが輪廻の本質です。しかし、様々な問題に直面したとしても、いつも心の平和を保つことができればそれでよいのです。その方法は、菩提心を養うこと、他者を思いやること、そして、他者から受けた親切を忘れないことです。私の仲間である生きとし生けるものたちは、私と同じように喜びに満ちた生を送ることを望んでいるのですから、日々、他の生きものに対して温かい心を育んでいます。私たちは皆、仏性を持っています。他者もまた、あなたと同じであると思えたなら、誰に会おうとも、親しみを感じることは容易なはずです」
「私たちは宗教的であるかどうかに関わらず、温かい心を育むことで、全ての人々に恩恵をもたらすことができます。慈悲深い人々は、より平和的な傾向を持っていることに私は気づきました。もしあなたがそのようであるならば、たとえ悪い知らせを受けた時でさえ、心がかき乱されたり、苛立ったりすることもないでしょう。心の平和を保つためには、自らの悪しき感情を克服することが必要です。私たちは、健康なからだを維持するために気を配っているのと同様に 、健全な心を維持するための方法も学ばなければなりません。たとえ体調が良くても、心が苦しみに苛まれていたとしたら、あなたは不幸になってしまうことでしょう。私は、身体的衛生と同時に、感情的衛生も育成することを推奨しています」
「私たちは社会的な動物であり、自分が属している人間社会に依存して生きています。私たちの生存や幸福は、家族や隣人などに依存しているのです。今日では、全世界がまるで一つの人間家族のようです。私たちは世界経済を共有していますが、気候変動という難題に対しても共に取り組んでいかなければなりません。私たちは、70憶の全ての人間の幸福を考慮しなければならない時代を迎えているのです」
「誰一人として問題を望んでいる人はいません。私たちは今ここで、平和な時間を共に過ごしていますが、ちょうど同じこの時に、他の地域では宗教の名の下で暴力を含む様々な問題に悩まされている人々がいます。そのような状態で過ごすよりも、隣人たちと共に平和に生きる方がはるかに良いはずです。だからこそ、私はひとりの人間として、真の幸福の源である慈悲の心を世界に促進していくことを第一の使命としています」
次に法王は、異なる宗教間の調和を図るというご自身の第二の使命に触れられて、たとえ哲学的見解が異なっていても、すべての伝統宗教が愛を育むべきであるという共通のメッセージを伝えていることを述べられた。ある宗教では、この世界やそこに住む人々は神という創造主によって造られたと信じており、他の宗教では、全ては自身がなした行為に依存して生じると信じている。インドでは、慈悲の心を動機とする非暴力(アヒンサー)の実践という昔ながらの伝統が今もなお引き継がれており、この国では異なる宗教間の調和が実際の行動にあらわれている、と法王は語られた。
「次に第三の使命として、私はダライ・ラマという肩書を持つチベット人であり、600万人のチベット人が私に信頼を寄せています。2001年以降、私は政治的責務からは退きましたが、今もなおチベット文化の保護に努力しています」
「唐の歴史家の記録には、7世紀に、中国、モンゴル、チベットという3つの隣りあった王国が存在したと記されています。チベットのソンツェン・ガンポ王は中国の王女と結婚し、仏教をチベットに伝えることに貢献しました 。しかし、彼は中国の文字ではなく、インドのデーヴァナーガリー文字をチベット文字の手本に選びました。8世紀の仏教王ティソン・デツェンは、彼の母が中国人であったにもかかわらず、仏教をさらに学ぶためにインドを頼りとしました。彼は、偉大な学者であるシャーンタラクシタ(寂護)をチベットに招聘し、ナーランダー僧院の伝統をチベットにもたらしましたが、それ以来千年以上にわたって私たちはその生きた伝統を守り続けてきたのです」
「現在、ナーランダー僧院の伝統は、チベット人の間でのみ真に守られ、維持されています。チベット語は非常に豊かな言語であり、シャーンタラクシタがサンスクリット語の仏典をチベット語に翻訳する事業を推進したことによって、今日では、チベット語が仏教哲学を正確に表現するのに最も適した言語となっています」
「過去においてチベットは独立国でしたが、世界は大きく変化しました。今では、狭い一国の関心事より、いくつかの国に共通する関心事に重きを置く欧州連合(EU)の精神を、私は称賛しています。私たちは以前、チベット問題を国連に提起しましたが、1974年以来、チベットの独立をもはや要求しないことを決断しました。私たちが求めているのは、中国憲法に記されているように、チベットの文化や言語を保護する権利を含む、チベット自治区における権利です」
法王が質疑応答に入られると、最前列に座っていた少年が、「転生者であるということはどういうことかを知りたい」と質問した。法王は微笑み、「何も特別なことではありません。私は普通の人間です」と答えられた。
次に、空をどのように捉えたらよいかと尋ねられると、法王は、空は極めて重要な仏教の概念であることを強調された。ナーガールジュナ(龍樹)が空について説かれた時、空とは何もないという意味ではなく、一切の現象は現れているとおりには存在していないという意味である、と述べられている。事物は独自の力で独立して存在しているのではなく、単なる名前を与えられただけの存在でしかない。全ての現象は、他の因や条件に依存して存在しており、物質的存在ではないが、一刹那ごとの意識の連続体の流れとして存在する心も、それと同様である。
慈悲の心についての話に移ると、法王は、科学者たちが基本的な人間の本質はやさしさと思いやりであると断言していることを説明された。幼い子供たちは、互いの違いを気にかけることなく、ただ一緒に楽しく遊んでいる。その子供たちは、成長し、教育を受けることで、互いの違いを識別することを学んでいくにすぎない。法王は、現代教育が人間の内面的価値にもっと注意を払えば、人間関係ももっとうまくいくだろうと述べられて、子どもたちに本来的に備わっているやさしさと思いやりをますます高めていくようにと勇気付けられた。
「私たちは、社会的な生活を営んで生きていく類の動物です。私たちの未来や幸福は、私たちのまわりにいる人々に依存しています。互いの二次的な違いを強調し過ぎると、問題を引き起こしてしまうだけです。共通の利益を実現するためにお互い協力し、ひとりの人間であることにおいて私たちは皆同じであるということを思い起こすことの方が、はるかに有益なのです」
「私は毎日、自分の身・口・意(体・言葉・心)による行いが他者の幸福に役立ちますようにと祈りを捧げています。ですから、今日、皆さんと分かち合った私の思いが、あなた方のためになったなら、私はとても幸せです」
法王が会見の締めくくりとしてこのように述べられると、参加者からの感謝の言葉が贈られた。