インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
ダライ・ラマ法王による一連の法話会最終日の朝、天気は快晴であった。法王がツクラカンに向かって歩かれる頃には、空は青く、太陽は雪をかぶった山々の上で輝いていた。中庭や本堂の周りに集まった人々は、微笑みながら合唱して法王を出迎えた。
法王は法座に座られると、まず始めに文殊菩薩の許可灌頂を授けるための前行修法(準備の儀式)を行うので、少し時間がかかると伝えられ、その間、参加者たちに文殊菩薩の真言である「オーム・アラパツァナ・ディ」を唱えているようにと指示された。そして、許可灌頂の儀軌次第を読み上げる準備が整うと、法王は、普通は儀式の始めに障りをもたらす魔の力を取り除くためにトルマを捧げることが一般的に行われているが、たとえ障りをもたらす者であっても、彼らを追い払おうとすることは、一切有情を救済したいという自分の願いに相反するものだと考えていることを述べられて、次のように語られた。
「この文殊菩薩の許可灌頂は行タントラに属しており、この低位のタントラは特別で甚深なる無上ヨーガタントラの前行にあたります。般若経の教えは、物質的な存在から一切智者の心に至るまで、すべての現象には固有の実体がないことを明らかにしています。ナーガールジュナ(龍樹)は対象物の空についての教えを『根本中論頌』の中で非常に明瞭に説かれています。しかし、対象物を捉える主体者の心という観点から見るならば、二次的で粗いレベルの意識と、原初から存在する光明の心、つまり微細なレベルの意識との間に区別がされているのです」
「仏陀の智慧の法身の実質因は、原初から存在する光明の心です。粗いレベルの心は実質因にはなりません。原初から存在する光り輝く光明の心は、空について瞑想する心です。これは仏陀が覚りを開かれたあと、すぐに語られた偈頌の最初の句を想起させます。それは次のようなものです。
「甚深にして寂静で、戯論から離れており、無為である光明、そのような甘露の如きダルマ(仏法)を私は発見した」
「ジャムヤン・シェーバは哲学学派について記した著作の中で、空については顕教(スートラ)の教えの中にも説かれてはいますが、空について瞑想する主体者の最も微細なレベルの意識については説かれていない、と述べています。所知障(一切智を得ることを妨げる障り)については顕教においても明らかにされていますが、所知障を断滅するための卓越した方便については、密教(タントラ)の教えの中で詳しく述べられているのです」
法王は、これから授与する文殊菩薩の許可灌頂は、リンジュン・ギャツァという儀軌次第集に含まれているいくつかの文殊菩薩の顕現の一つであると述べられた。法王はそれをタクダ・リンポチェから子供の頃に伝授されている。法王は、特に個人の修行者が、偉大で、広大で、深遠にして迅速な智慧を培い、高めることができるというこの修行を実践することを推奨された。この実践は、知性と批判的な分析能力を鋭敏にするものだからである。この実践はまた、一切有情を一切智の境地へと導く菩提心を育むことを土台とし、智慧を高めるものである。法王は、私たちが決断をする時は甚深なる智慧に頼り、何かについてより広い見かたを探求する時は広大な智慧に頼るべきだと述べられた。
そして、菩提心生起と菩薩戒を授かる儀式の段階に入ると、法王は、真正な仏教徒になるためには、三宝への帰依がその土台として必要とされることを示された。大乗の実践をするためには、菩提心を土台とする必要があり、大乗の実践は菩提心を維持した上で行わなければならない。法王は、十六阿羅漢は尊敬に値する存在ではあるが、彼らが教えを説いたという記録は何一つ残されていないことを述べられた。実祭に、仏教の教えの伝承はナーガールジュナとその弟子たち、アサンガ(無着)とその弟子たち、ディグナーガ(陣那)とダルマキールティ(法称)、さらにその弟子たちの著作に依存して存在している。
法王は、シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』から菩提心の徳を称える次の偈を引用された。
「私たちはバーヴァヴィヴェーカ(清弁)作の『中観心論頌』にケンポ・クンガ・ワンチュク師の註釈が加えられたテキストによって、『中観心論頌』の解説の伝授をすべて終えることができました。他に思い浮かぶことは、バーヴァヴィヴェーカがブッダパーリタ(仏護)の主張を批判したことです。その後チャンドラキールティ(月称)は『中観明句論(明らかな言葉)』の中でブッダパーリタの主張を擁護して、バーヴァヴィヴェーカの主張を批判し、それによって正しい見解を明らかにしています。これらのインドの偉大な導師たちの著作は、すべての現象には固有の実体があり、それ自体の側から成立しているという誤った見解を正すためにとても役に立ちます」
「今日は天気がよく気持ちの良い日です。私たちはこの法話会を無事終えることができました。皆さんとまた会える日を楽しみにしています。私はデプン僧院とガンデン僧院の僧院長から南インド訪問の招待を受けていますので、体調が良ければぜひ行きたいと思っています。私たちが積んだ功徳は、仏法と、とりわけツォンカパ大師の伝統の繁栄に貢献することでしょう」