インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
夜間降り続いた雨が上がり、今朝は輝く空の下をダライ・ラマ法王はツクラカンへと歩いて向かわれ、出迎えの人々の中を進みながら笑顔で挨拶を送られた。法王が法座に着かれると、僧侶たちによる読経が続き、最後に法王がナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論頌』の最後の偈を唱えられた。
そして法王は、法話の冒頭で次のように述べられた。
「昨日までに第5 章まで読み終えましたので、今日は『中観心論頌』の解説の伝授を終わらせたいと思います。チャンドラキールティ(月称)は『入中論』の次の偈において、仏陀がどのように空性についての聞・思・修の修行をされて悟りへの道を歩まれたかを記されました」
「グンタン・リンポチェが言われたように、皆さんは今生において恵まれた人間の生を得ただけでなく、仏陀の教え、特にナーランダー僧院の伝統の教えに出会いました。この伝統はチベットにおいて100巻のカンギュル(経典)と225巻のテンギュル(論書)として残されています。しかし、その教えから何の利益も引き出すことがなければ、指の間から水を漏らすようにせっかくの教えを無駄にしてしまう可能性もあります。今生を意義あるものとするためにできることをしっかり実践する必要があり、それによって来世も意味あるものとなるでしょう。『般若心経』の真言において示された資糧道から始まる悟りへの五つの修行道を一歩ずつ進むことができるように、自分の師に祈願してください。今あなた方は八有暇十具足(八つの悪い条件から離れ、十の恵まれた条件を得ていること)を備えた非常に稀な機会を得ているのですから、それを意義ある目的のために使ってください」
「私自身は、子どもの頃は勉強に興味がありませんでした。しかし10歳を過ぎた頃から変わり始めました。私の問答の相手であり、中観の見解を理解することに非常に熱心であった グドゥップ・ツォクニのおかげで、私も中観の見解を身近に感じ興味を持つようになりました。それ以来約70年もの間、常に中観の見解を心に保ち、亡命してからは毎日空性について考えを巡らせています」
「最初の頃、悟りを目指す心である菩提心については、すばらしいけれども、そのような心を育てるのは非常に難しいと考えていました。タクダ・リンポチェにそのようにお話したところ、リンポチェご自身は本物の菩提心を生起することができたし、正しく瞑想を続ければ私もそうなれることを確信している、と言われました。『大真言道次第論』について説いた時、私は本物の菩提心を起こすことはできないのではないかと感じていましたが、1967年にクヌ・ラマ・テンジン・ギャルツェン・リンポチェからシャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』の解説の伝授を受けてから、本物の菩提心を持つことは可能であることを理解し始めました。その時、クヌ・ラマ・リンポチェは、私にこの『入菩薩行論』をできるだけ多くの機会に人に教えるようにと言われましたので、今までそのように努力してきました」
「私はそのおかげで、過去40年以上にわたって菩提心に馴染むことができるようになりました。私はずっと怠けていたわけではありません。始めは怠け者の生徒でしたが、キャプジェ・ヨンジン・リン・リンポチェが持っておられた2種類の鞭によってしごかれました。その鞭のひとつは黄色で、私のための “聖なる” 生徒用でしたが、リンポチェがその鞭を使う時、私が感じる痛みが “聖なる痛み” になるなどという幻想は持っていませんでしたよ」
法王はこのように述べて笑われ、菩提心と空性について日夜、聞・思・修の修行を続けて、仏法の体験を深めるよう私たちを励まされて、次のように述べられた。
「昼の間に仏法に対して強く意識を向けていれば、夜眠っているときでさえ夢の中でもそれを思い出すことでしょう。夢の中で仏法についてのより深い理解を得ることができれば、特に効果的だと言われています。私が言えるのは、誰でも努力すればこういった体験を得ることができるということです」
「私は、悟りに至る五つの道の第二の道である加行道の禅定に留まることで得られるような空性の洞察の経験はありませんが、皆さんは努力を続けることによってそのような経験を得ることもできるのです。そして菩提心を生起する修行をしていれば、自分には敵と呼ぶべきものは全くおらず、すべてが友人であるということを悟ることができるでしょう」
「皆さんは、金剛怖畏(ヴァジュラバイラヴァ)など様々なご本尊の成就法(サダナ)を実践していますね。私もサキャ派のラムデ(道果説)の伝統を受け継いでいるので、呼金剛(ヘーヴァジュラ)の成就法を修行しています。もし、空と菩提心に関する正しい洞察力があれば、そういった密教の修行は大きな効果を生みます。しかし正しい洞察力がなければ、あまり進歩はないでしょう。顕教の道における経験が深まるほど、密教の修行も深遠なものになるのです。ニェンゴン・スンラブ師が言われたように、顕教における教えは仏道修行の一般的な構造を示していますが、一方で密教の教えは、一部は仏陀が僧形で説かれていますが、ほとんどはご本尊のお姿で説かれた特別な弟子たちのための教えなのです。教えの一般的な構造に関しても、基本から理解して堅固な基盤を確立することができたなら、密教の特別な修行も正しく理解できるようになるでしょう」
法王は、テキストの読誦を再開する準備をされながら、ケンポ・クンガ・ワンチュク師と出会った時のことを思い出された。 「ワンチュク師はチベットの生まれ故郷で長い間囚人となっていました。私は師が『入中論自註』と『量評釈』の両方の解説の伝授を受けていると聞いたので、これは重要だと思い、師からこれらの伝授を授かりました」
「私はまた、ケンポ・サンゲ・テンジン師がサムイェ寺において、カムから来たラマからカマラシーラの『修習次第』の伝授を授かっていることを知りました。通常こういう時は、そのような伝授を受ける前にキャブジェ・ヨンジン・リン・リンポチェに相談するのですが、この場合は時間がありませんでした。実際には、後になってリン・リンポチェがグナプラバ(功徳光)の『律蔵経』を私にくださり、リンポチェが持っていたすべての伝授を授けたと言ってくださいました」
ここから法王は、サーンキャ学派の基本原理について述べられている『中観心論頌』第6章を解説とともに読み始められ、続いてヴァイシェーシカ学派の基本原理を解説する第7章、そして「ヴェーダーンタ論者の真如について述べた第8章、ミーマーンサー学派の真如を確立する第9章まで読み進まれた。ここで一旦、今日はここまでにしましょうと言われたが、数ページしか残ってないので結局最後まで読まれることにされた。第10章は仏陀の一切智者性の成立が示されており、第11章は礼讃とこの論書の解題となっている。
法王は最後まで読み終わられると、「以上で『中観心論頌』の解説の伝授が完了しました。インドにはあきらかに主張を異にする見解が存在するので、このような論書には価値があります。先日ブッダガヤに行った時には、この論書の伝授もするつもりで持って行きましたが、体調が悪くなりできませんでした。ダラムサラでその努力の結果が満たされたのでうれしく思います。明日は文殊菩薩の許可灌頂を授与します」と述べられて、公邸へと戻られた。