インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王がツクラカンに到着された時、空は暗く、低温で荒れ模様の天候だった。法王は壇上で高僧方と挨拶を交わされたのち法座に着かれた。法話会開始の読経が手短に終了すると、法王は聴衆に向かって次のように語られた。
「この本の奥付に註釈があり、そこにケンポ・クンガ・ワンチュク師が、“法王からテンギュル(論書)の典籍、バヴィヤ(バーヴァヴィヴェーカの別名)の『中観心論頌』の伝授を要請された” と書いています。ワンチュク師は、『中観心論頌』の自註『思択炎(論理の炎)』に基づいて註釈を付ければ解説の伝授の系譜を作ることが可能であると示唆されました。そこで私は、“そうすれば仏法のために役に立つので、最善を尽くしてください” と要請し、83才のケンポ・クンガ・ワンチュク師は台湾訪問時に骨折治療を受けるかたわら、これらの註釈を整えてくれました」
「アーリヤデーヴァ(聖提婆)は『四百論』の中で、仏陀の少し隠された教えに関して疑いを持つ者に対しては、空性は二諦(二つの真理)に基づいて説明すべきだと述べています。これは世俗の現れと究極のありようの間にはギャップがあるということについて語っています」
「無知ゆえに世俗の現れと究極のありようの違いがわからず、人は腹を立て、相手を打ち負かそうとします。しかしそれでは、狭い見かたが目標とする完全な勝利も実現できません。しかし、もしその逆に人々が慈愛を育んだなら、それまでの敵も友人となるでしょう」
「私たちは誰もが幸福を望んでいますから、そのためにも生活を営む環境を大切にしなければなりません。それと同時に、私たちはいかに多くを他者に頼っているかを知り、心の平安が心身の健康にどのように貢献しているかを認めなければなりません。創造主としての神の存在を認めるもの、そうでないものとこの世界には様々な宗教がありますが、どの宗教もそういったことをどのように実践するべきかについてアドバイスをしています。仏陀の教えは、縁起の見解を認識することに基盤を置いているところが独自の特徴です」
「“無明とは現実のありようを誤解していることである” とは、『四百論』の中にあるアーリヤデーヴァのお言葉ですが、無明はすべての煩悩の土台として行き渡っています」
「無明を克服するためには、縁起の理解に努力しなければなりません」
無明は、僧院の外壁などに描かれている十二支縁起の図にも、年老いた盲人の姿として描かれています。十二支縁起の第1の事象は根源的無知(無明)であり、死を意味する死体の絵図で終わります。私たちは無明によって輪廻の中に導かれていくのです。私たちの行いが意識に習気を刻み、それによって誕生と死が生じます。仏画には月を指し示される仏陀のお姿が描かれることも多いですが、それは滅諦と道諦という悟りへの道が表現されているのです」
「あらゆる苦難は無知が原因であり、すべての事物は独自の力で存在しているという誤った考えが邪見を生み、執着と怒りを増大させるのです。ですからアーリヤデーヴァは再びこのように助言されています」
ここで法王は、仏教における2種類の目標を示された。一時的な目的として、来世において天や人間としての良き再生を得ること、究極の善き目的として、解脱に至ることである。法王はナーガールジュナ(龍樹)の『宝行王正論』から、来世における善き再生の因となる16項目を挙げられた。それには避けるべき13の行為があり、10の不善行(殺生、盗み、邪淫;嘘、両舌、暴言、綺語;貪欲、悪意、邪見)が含まれている。これに追加して避けるべき3種の行いは、飲酒、不品行(誤った方法で生活の糧を得ること)、他者を害することである。また、さらに励むべき3種の行いとして、敬意を持って施しをする、称えられるべき人を称える、慈愛を高めることである。
究極の善き目的である解脱を実現するためには、自我に対する誤った見解を捨てるだけでなく、煩悩も断滅する必要がある。そして、空を理解する智慧には菩提心という支えが不可欠となる。法王は、空の意味を理解し、『般若心経』の真言に示されている通りに悟りへの修行道を歩むべきであることを明らかにされた。さらに法王は、菩提心とは他者を助けるために仏陀になりたいと願うことであると定義され、空の理解は、始め、中間、終わりのすべてにおいて常に重要なものであり、たゆまず励んで論理的探究と心の訓練を重ねて、仏陀の教えに確信を得るべきであると指摘された。
『中観心論頌』とその解説の読誦を再開された法王は、第3章「真如の智慧の探求」、第4章「声聞の真如に入る」、第5章「瑜伽行派の真如に入る」というところまで読み通されて、そこで今日の法話を締めくくられた。
そして法王は、明日は『中観心論頌』の解説の伝授を完了し、明後日は文殊菩薩の許可灌頂を授けると自信をもって告げられた。悪天候のため、法王はいつもより足早にツクラカンを後にされ、階段の下で車に乗って法王公邸に戻られた。