スイス、チューリッヒ
今朝、ダライ・ラマ法王は、9,000人を超える人びとが待つチューリッヒの屋内競技場ハレンシュダディオンへの短い距離を車で向かわれた。
法王は法座に着かれると、古代インドで自分の前世を覚えていた人たちが、独立自存の永遠なる自我が現世から来世へ移りゆくという見解をもたらしたことを説明された。インドの精神的伝統の多くは、「止」と「観」(高められた一点集中の力と空を理解する鋭い洞察力)を成就するための実践を共通の修行としている。
法王は「止」と「観」の瞑想について次のように説明された。
「まず、『止』の瞑想修行を実践することによって、気の散乱を取り除くための努力をすることです。カマラシーラの『修習次第』中篇では、心を一点に集中するための実践が9段階(九種住心)に分けて説明されています。惛沈(こんじん)(沈鬱)と悼挙(じょうこ)(昂奮)という二つの過失を対策を講じることによって修正していくことは『止』を成就するために非常に大切な修行です。私は以前、3年間に渡る瞑想の隠遁修行を終えた後、心が以前より鈍くなってしまったという修行者に会ったことがあります。彼は、誤って心を沈鬱な状態にしてしまったようです。このようなことがないように、『止』の瞑想をしている時は常に正知(監視作用)を働かせていなければいけません。つまり、二つの過失に陥らないように、堅固な監視作用に依存して心を見守ることが必要です」
「一方で、分析的な瞑想(観)は事物の本来のありようについて、つまり空を理解する鋭い洞察力を得るための実践です。“止” と “観” の瞑想は、インドの伝統に従う非仏教徒たちも実践している共通の修行となっています。そういった修行者たちは、私たちが属している欲界よりも微細なレベルの世界、つまり、色界、無色界に達するために実践修行に取り組んでいます」
「瞑想の修行を通して、仏陀釈迦牟尼は自我に対する捉われが私たちに起こる全ての問題の源であることに気づかれ、それと同時に、利他行を実践することが悟りへの道であることを発見されました。正等覚者(完全な悟りに至った者)となられた釈尊は、悟りを開かれた直後、次の偈に述べられているように思惟されて、菩提樹の下で49日の間沈黙を守られたのでした」
「しかし、その後釈尊の最初の5人の弟子たちがやってきて、釈尊に何を悟られたのかを教えて欲しいと請願したため、釈尊はその5人に四聖諦の教えをその十六の特徴とともに説かれたのでした。これが、釈尊のすべての教えを明らかに要約しています」
ニェングン・スンラブという導師の方が、仏教の教えの分類について述べられている。一つは一般的な教え、すなわち四聖諦と般若波羅蜜を含む顕教の教えであり、もう一つは特定の弟子に向けて説かれる教え、すなわち密教である。出家者の戒律も、一般的な教えである顕教の中に含まれている。例えば、仏陀は弟子たちに出家の戒律を与えられ、袈裟の着用方法についても細かい規律を与えられていたことが律蔵の中に記されている。出家僧たちはさらなる戒律を授かり、仏教の学派の一つである根本説一切有部律(Mulasarvastavadin)の伝統では、完全なる比丘の戒律(具足戒)には253の戒律がある。一方で、上座部(テーラワーダ)仏教の比丘の戒律は227と数が異なっているが、どちらの伝統も基本的には同じ戒律が反映されている。
昔からチベットでは、「世界の荘厳たる6人と至高なる2人」として尊敬されてきた8人の偉大な導師たちがおられたが、ここにはナーランダー僧院の偉大な導師たちの数名が含まれておらず、不完全であったので、のちに法王が更に9人の偉大な導師たちを加えられ、「ナーランダー僧院の17人の偉大な成就者たち」として、その仏画の制作も完成している、と法王は述べられた。
法王は仏陀釈迦牟尼から始まりナーガルジューナ(龍樹)、アーリヤデーヴァ(提婆)、ブッダパーリタ(仏護)、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)、チャンドラキールティ(月称)、シャーンティデーヴァ(寂天)、カマラシーラ(蓮華戒)へと引き継がれた深遠なる系譜への礼讃偈を読誦伝授された。そして、広大なる系譜は、マイトレーヤ(弥勒菩薩)による5つの論書を書き記したアサンガ(無着)とその弟ヴァスバンドゥ(世親)、4人の偉大な論理学者であったディグナーガ(陳那)、ダルマキルティー(法称)、ヴィムクティセーナ(解脱軍)、ハリバドラ(獅子賢)、ヴィナヤ(律)の偉大な導師であったグナプラバ(功徳光)とシャーキャプラバ(釈迦光)、そしてアティーシャであった。
「過去においては、西洋のライターたちがチベット仏教をラマ教と呼んで軽んじた時代もありました。しかし現在においては、チベット仏教はナーランダー僧院の真正な伝統を引き継ぐものであると広く認識されています」
続いて法王はナーガールジュナの『宝行王正論』についての解説に入られた。第一偈では、高い地位や裕福な人生は仏法の修行の妨げになると述べられている。このような人生は、十不善行を含む十三の避けるべき行いから距離を置き、善い因を積むことでよりよい変容をもたらしていくことができる。十不善行とは、殺生、盗み、邪婬、嘘、両舌(不和を生じさせる言葉を発しない)、悪口(あっく)(荒々しい言葉)、綺語(真実に背く偽りの言葉)や無駄話、貪欲、悪意、邪見、以上の十の悪い行いを慎むことである。更に飲酒、間違った方法で生計を立てること、他者に害を与えること、この三種の行いも慎むべきである。また十善行に加えて、敬意のある布施、尊敬に値する人に敬意を表す、愛、この三つを加えたものが十三の善き行いとされている。
法王は『宝行王正論』の第1章を素早く読み進められ、ナーガールジュナが毎日読誦するように勧められた466偈から488偈までの20偈に焦点を当てられた。続いて法王は、シャーンタラクシータの弟子カマラシーラが中国の禅僧との問答に勝利した後、ティソン・デツェン王の要請により、カマラシーラが全3篇から成る『修習次第』を記された経緯について説明された。法王は『宝行王正論』と『修習次第』の2冊を読み学ぶようにと聴衆に助言された。またこれら2冊に加えて、ギャルセー・トクメ・サンポによる『三十七の菩薩の実践』を毎日の実践修行の手引きとして目を通すようにと語られ、続いて菩薩戒を授与された。
その後、この法話会を主催したスイスとリヒテンシュタインに住むチベット人会およびチベット・インスティチュート・リコンの代表者が簡潔な会計報告をした。法王は、ご自身が説法されるときは決して報酬は受け取らないと述べられて、ツェレー・ランドルというラマの伝記を読んで深く感動したことを語られた。この方は、“移動のために動物に乗らない” “菜食を守る” “説法によって報酬を得ない” という3つの誓いを守った方である。
法話会の終わりに、ウィズダム・ブックス出版社のダニエル・エイトキン会長が、法王の著作『The Life og My Teacher:A Biograpgy of Kyabjé Ling Rinpoché(私の師の生涯:リン・リンポチェの伝記)』のペーパーバッグ版刊行を祝して謝意を述べた。
法王は、「リン・リンポチェは私に具足戒を授けてくださり、また、たくさんのテキストから学ぶように励ましてくださったことに深く感謝しています」と述べられ、これからスイス下院議員6名、マリオ・フェァ氏、チューリッヒ市長と昼食を共にすることを伝えられて、法話会場を後にされた。
昼食の後、法王は6,000人を超える地元のチベット人とチベット支援者たちとの会見のために再び会場へ戻られた。
「母国チベットで生まれても、他の土地で生まれても、私たちは皆チベット人の血と肉と骨を持っています。チベット人であることに変わりはありません。私たちチベット人がこの地球上のどこかに存在する限り、その痕跡は決して消えることはありません」
法王は約70年に渡る中国との関係の浮き沈みについて回想され、中国との関係を天気に例えて次のように語られた。「嵐が来て雹が降ることもあるでしょうが、その雹もいずれは止み、また太陽が顔を出し、やがて雲が空一面を覆うでしょう」そして、常に変わり続ける天気と同様に、毛沢東前首席を始め、様々な指導者たちのそれぞれの時代と変化について言及された。法王が着手された中道のアプローチはチベット亡命政権の最高指導者である首席大臣に引き継がれ、発展を遂げていると述べられた。そして法王は、ある中国共産党の高官が、分裂主義者としてのダライ・ラマを批判してもあまり世界から支持を受けることができないので、それとは逆に、ダライ・ラマを受け入るれる活動を示す方が効果的であると提案した、という報告を首席大臣から受けられた。
地元スイスとリヒテンシュタインのチベット人会の会長が法王に謝意を述べ、法王の長寿祈願と念願成就の祈願文の読誦の音頭を取った。法王は大きな笑みを浮かべられ、手を振りながらステージを後にされた。