オランダ、アムステルダム
昨日9月14日の朝、晴れ渡った青空の下、ダライ・ラマ法王はマルモから空路でロッテルダムに到着された。法王は空港で今回のオランダご訪問を準備したダライ・ラマ法王基金の職員たちの出迎えを受けて、ロッテルダム市街へ車で向かわれた。
そして今朝早く、法王はロッテルダムから80キロ離れたアムステルダムに移動され、ニーウェ・ケルク(新教会)に到着されると、教会責任者のカテライネ・ブルールス氏の出迎えを受けられた。法王がブルールス氏の案内で450人の人々が待つ築後600年の教会の建物に入られると、ブルールス氏は歓迎の挨拶のなかで次のように述べた。
「今回は王室も含め様々な分野の人々がこの教会に集まり、このイベントはインターネットのライブでも世界中の人々とつながっています。慈悲とテクノロジーを通じてつながり合いましょう。そしてこの艾未未氏の作品の木の下には法王も座られていますので、ともに釈尊の生涯を古代と現代の芸術作品で祝いましょう。今日法王には、若者や科学者たちとの対話をしていただく予定です」
司会者のクリスタ・マインデルスマ氏が、今日のパネルディスカッションには二つのセッションが40分ずつあり、最初のテーマは「ロボット工学とテレプレゼンス(遠隔対面機器)」で、第二のテーマは「病気、老化、死」であると説明した。
「ロボット工学とテレプレゼンス」の短いビデオを見た後で、司会者が若いイギリス人の女性ティリー・ロッキーを紹介した。ティリーは小さい時に髄膜炎を患い、その結果両手を失った。その際命も長くはないと思われたのだが、死は逃れられた。ティリーは法王に次のように語った。
「私は幼少のときに両手を失いました。両手があったときの記憶さえありません。でも、このように、生体的な義手を開発する生体工学の技術者たちと共に仕事をすることができています。他の人と違っていることは気になりませんし、普通の人たちも突然手足を失うことがあり、そういう人たちのために私たちの仕事が役立っています」
ティリーは法王に、テクノロジーと慈悲の心は世界中でどのように人の役に立てるのかを質問し、法王は次のように答えられた。
「このような器械はとても重要ですが、これらは人間によって操作されています。私たち人間は物理的な身体だけでなく、心も持っています。善い心の動機によって物理的な行為をすれば、その行いは建設的なものになります。現代の心理学でも、五感を通して生じる感覚的な意識についてはよく理解していますが、怒りなど純粋な精神的意識作用との区別は明確にされていません。テクノロジーがもたらしてくれる便利さや安心感はとてもありがたいと思いますが、その恩恵が、まだ大きな苦しみを抱えている貧しい国々にも及ぶことを期待しています」
司会のクリスタ・マインデルスマ氏が、「シンギュラリティ大学の椅子」を持参したマールテン・スタインブッフ教授と、世界初のテレプレゼンス(遠隔対面機器)のロボット “AV1” を開発した専門家のカレン・ドルヴァ氏を法王に紹介し、慢性病のために長時間の外出が困難なイギリス人の若い女性ジェイドを紹介する短いビデオが上映された。頭と胴が動くテレプレゼンスロボットを使うことによって、外出できない彼女も学校の授業に参加して級友たちの輪に加わることができている。双方向の音声接続ができるが、闘病中の子どもたちの「姿をさらしたくない」というリサーチ結果から、映像接続はジェイド側だけができるようになっている。
司会のクリスタ・マインデルスマ氏がジェイドに、「“AV1”(長期療養中の子どもが自宅や病院のベッドからでも学校の授業に参加できるよう開発されたロボット)はあなたにとってどんな存在ですか?」と質問すると、彼女ははっきりと「学校の授業に参加できて友達とも付き合えるようにしてくれています」と答えた。カレン・ドルヴァ氏が、「このテレプレゼンスロボットはアルツハイマー病で苦しむ老人たちにも役に立つことができます。人間に取って代わることはできませんが、人間の機能を補い、命を支えることができるのです」と付け加えた。
法王はそのロボットを覗き込みながら、「洗練された器械ですね。あなたは私の心を読むことができますか?」とAV1ロボットに訊ねられた。そして「このテクノロジーはすばらしいですが、人間の心を再生することはできないと思います。でも、あなた方科学者たちは私の考えが間違いであると証明することができるかもしれませんね」と述べられた。
スタインブッフ教授が、赤ん坊ほどの大きさの恐竜の形をした遊び相手になるロボットを披露すると、法王は次のように述べられた。
「これらの器械は、物質的な道具です。しかし意識についても考えなくてはなりません。私たちが目覚めているときの意識は脳や感覚器官に依存しているので、相対的に粗大なレベルの意識です。夢を見ているときは、意識はあっても感覚器官の機能は休止しています。夢も見ない深い眠りにおちている時の意識は、気絶した時などのように微細なレベルの意識になりますが、最も微細なレベルの意識は死に直面した時に現れます。修行者たちの中には、私の先生のように、臨床的な死(心臓の鼓動も脳の活動も停止した状態)を迎えた後も、13日間も身体が温もりを保ち、新鮮な状態を維持していたというようなことがあるのです。それは、最も微細な意識がまだ身体の中に残っているからです」
法王は、ウィスコンシン大学マディソン校の心理学者リチャード・デビッドソン博士が、トゥクダムと呼ばれるそのような状況下で脳に何が起こっているのかを調査するプロジェクトを進めていたことを説明された。テクノロジーは、目や耳による感覚的な意識を向上させることができるが、微細なレベルの精神的な意識への影響はわずかである。しかし、この微細なレベルの意識は無限に存在し続けるものであることを法王は指摘された。内なる価値は心と結びついており、古代インドにおいて心の働きについての理解が深められたのは、「止」と「観」(高められた一点集中の力と空を理解する鋭い洞察力)の実践修行の結果であり、釈尊はこのような修行の結果として悟りの境地に至られたのである。
続いて、スタインブッフ教授が自己学習するロボットについて語り、それらの器械が共感する心を育てることは可能かどうかを問われた。同氏は、それらのロボットは人間の行動様式を素早く学習し、鋭い知性へと発展することが可能だと説明した。そこで法王が、それらは悲しみに沈む人を慰めることができるのかと質問すると、同氏は可能であると断言し、法王はいささか驚かれた様子であった。このセッションの最後に、法王はテレプレゼンスロボットの “AV1” を通してジェイドさんにキスを送られた。
第二のセッションは「病気、老化、死」がテーマであり、司会者がパネリストを次のように紹介した。クリス・ベルバーグ氏は医者であり医療研究の学者、エリザベス・パリッシュ氏はバイオヴィヴァ・サイエンスの代表取締役でありバイオ科学による健康推進の専門家。ジャンティーヌ・ランズホフ氏は哲学者で生命倫理学者でもある。まだ若年のセルマ・ボウルマルフ氏は、アムステルダム大学の宗教学の学生で国際数学コンペティション(IMC)週末学校の卒業生である。ここで、パネリストたちに考えてもらう挑戦的課題として、「千年生きたいですか?」という質問が出された。
これに対して法王は、現実的に考えることが必要であり、この質問自体が非現実的なアイデアであると応じられ、次のように述べられた。
「インドのサドゥーと呼ばれる修行者たちは、長寿を得ようとしてヨガや呼吸制御を試みましたが、二百年以上生きたものは一人もいませんでした。私たちの住むこの地球もいずれ消滅します。太陽も消滅し、銀河系でさえ最終的には消滅するのです。ですから死を避けようと思うのは非現実的な考えだと思います」
これに対してベルバーグ氏は、120年以上生きたいと望んでも可能性は小さいと認めたが、最近の研究によってネズミが若返る現象が明らかにされていることを報告した。
法王は、「いずれ世界の人口は百億人を超えるでしょうし、そうなればその人口を養うに足る資源は不足するでしょう。人口抑制の非暴力的方法としては、もっと多くの人々が僧侶か尼僧になることですね」と言われて、会場の笑いを誘った。
学生のセルマ・ボウルマルフは、150歳以上になるまで生きるつもりはないし、限られた命のなかで可能な選択をすることもなくなってしまうだろうと述べた。さらに、「イスラム教徒として、私はなぜこのような移ろいやすい世界に残りたいと願っているのでしょうか?そして、病気は人生に何らかの意味があるのでしょうか?」と法王に質問した。法王は、「人が痛みや困難に直面することは、宗教の信者であれば神やその宗教における教えを思い起こすことにつながるでしょう」と答えられた。そしてボウルマルフと同じくらいの年齢の時には、法王ご自身は怠け者の生徒だったが、イスラム教徒がその経典を暗記するように、チベット仏教徒も仏教経典を丸暗記して一語一語の言葉の意味を学んでいくのだと付け加えられた。また、教えを聴き、学ぶことで基本的な理解を得て、それらに対する分析的な思考によって確信を得てから、瞑想によって深く心になじませる、という聞・思・修という三段階の智慧について解説された。
パリッシュ氏が、遺伝子セラピーで延命できるとは限らないが、病気がちな体質を改善することで人生の質を高めることはできるということを説明した。ここでジャンティーヌ・ランズホフ氏が、人間はなぜ長生きしたがるのかを知りたいと発言したので、法王は次のように答えられた。
「動物たちでさえ自分の命を大切にし、守ろうとします。生き物はみな、何よりも命を大切にするのが普通ですが、それでもすべての命は死によって終わりを迎えます。死を恐れるのはそれが不可解で理解できないからです。しかし、心を訓練することによって良き来世があるという自信を深めることができます」
ここでクリスタ・マインデルスマ氏が、パネルディスカッションの時間が終わりに近づいていることを知らせると、法王は、今世紀においても世界が平和になるという希望はあり、インドにおいて実践されてきた宗教間の調和を、全世界に適用することも可能なのではないか、と述べられた。
最後に、シンギュラリティ大学のディードリック・クローシェ氏が、パネリストたちや教会の職員および主催者、今朝の刺激的な行事の実現に貢献したすべての人々に感謝の言葉を述べた。法王は主な参加者たちに、チベットの習慣として吉祥を表す白いスカーフ(カタ)を贈られた。
対話の終了に続いて記者会見となり、ある記者から気候変動や地球温暖化に直面しているのに、なぜ多くの資源を費やして環境を汚染する飛行機を飛ばし続けているのかという、やや挑戦的な質問が出た。法王は、これについては気候変動に対処するための教育が不可欠であり、またアメリカがパリ協定から離脱したことは残念であると言われた。大型機の飛行が環境に害を及ぼすのは確かだが、すべての飛行機や自動車の使用を一度に禁止することは極端すぎる方法であり、その代わりにもっとバランスの取れた広い心で長期的な解決を探ることを勧める、と法王は述べられた。
この後、法王は古い友人たちやチベット支援者たちと共に昼食に招かれた。昼食後、教会の中から明るい日差しの中に出られると、300人に及ぶチベット人や友人たちが法王をお見送りしようと待ち受けていた。
明日法王は、チベット人グループの謁見を受けられたあと、「なぜ問題だらけの世界に慈悲の心が必要なのか」と題して講演を行われる予定である。