インド、ジャンムー・カシミール州ラダック地方レー
昨日ラダックに到着されたダライ・ラマ法王は、今日最初の訪問先としてレーのジョカン寺を参拝され、ラダック仏教協会会長のツェワン・ティンレー氏と職員たちの歓迎を受けられた。
法王は地元の僧侶、尼僧たちと在家の人々であふれた本堂の中に入られると、まず文殊菩薩、千手観音、仏陀とパドマサンバヴァの像に礼拝された。そして、ガンデン僧院前座主リゾン・リンポチェ、ティクセ・リンポチェなど高僧の方々からの温かい挨拶を受けられると、ラサの釈迦牟尼像に似せて作られた仏陀の像に向かって座に着かれた。
法王ははじめに、ナーガルジュナの『根本中論偈』にある最後の帰敬偈と開経偈を唱えられた。
そして法王は、次のようにお話を始められた。
「この世界には、ジャイナ教の始祖マハーヴィーラ、イエス・キリスト、ムハンマドなど宗教の始祖はたくさんおられますが、これらの指導者たちは一様に、愛と慈悲、寛容さなどについて同じ教えを説いています。インドではこれらの共通した教えに基づいて、すべての宗教が尊重されています。異なる宗教間の調和を図るという伝統は、過去3000年以上にわたりインドで引き継がれてきました。一方で、悲しいことに今も他の場所では、人々が宗教の名の下に戦い、互いに殺しあっています」
「哲学的な観点から言えば、仏陀の教えとは、どのようにして無知を晴らすべきか、現実のありようについての間違った見解をどのように取り除くべきかを学ぶためのものです。仏陀は縁起の見解について、すべての事物は因と条件に依存して生じると説かれました。この仏教独特の見解は、今日、科学者たちからも称賛されています」
「私はゲシェ・リグジン・テンパ師から、ナーガールジュナ(龍樹)の六論書、そして師の讃嘆集から『菩提心讃』などを伝授していただきました。この他にも、希少なテキストの口頭伝授と解説をクヌ・ラマ・リンポチェとガンデン僧院前座主リゾン・リンポチェから授かっています」
「私が若かった頃、ラサで、白いチベット服を着てつま先が反り返った靴を履いた、どう見ても裕福でない人々を見かけたことがあります。彼らはヒマラヤ地方から来た人たちで、チベット人は彼らを見下すことが多かったのです。しかし、私にとって恩の深い導師であったこの3人の偉大なる先生方は、そのような地方の出身でした」
「仏陀は弟子たちに対して、自らの教えをただ鵜呑みにするのではなく、金細工職人がまず純金かどうかをよく調べるのと同じように、自らの知性を働かせて私の教えをよく吟味し、それが論理的な教えかどうかを確かめた上で受け入れるようにとアドバイスされています。ですから、あなたたちがこのジョカン寺や他の僧院を学びの場所にしたいという考えを公にしていることは大変いいことだと思います」
法王のこのお言葉を聞いて、本堂にいっぱいの聴衆は拍手に沸いた。
「論理的なものの考え方に基づくナーランダー僧院の伝統は、現在チベット人とヒマラヤ地方の仏教徒たちだけに引き継がれています。最近私は、古代インドで育まれた智慧を現代のインドに復興するべきだということを多くの人々にお話ししています。先日ダラムサラの公立大学の学長が、アカデミックな方法でそのイニシアティブを取ろうと考えていることを私に話してくれました。また、先日、デリー政府による “幸福のための教育カリキュラム” の発足式典に招かれた時も、私は近代教育に古代インド由来の洞察や理解を取り入れていく必要性について話をしました。そして、現代インドの教育カリキュラムと、私たちの偉大な僧院大学の学者たちが持つこの知識を共有するためにはどうしたらよいかについて、デプン僧院とセラ僧院の僧院長と話し合う機会もありました。今年の3月には、この可能性についてインドの大学の副学長150人と話し合うこともできました。あなた方ラダックの人たちもともに参加できればよいと思います」
「そして、子どもたちが健全に育つためには、運動や食べ物、衛生について教える必要があるように、心の健全な発達には、心を訓練して煩悩にどう対処するべきかを子どもたちに教える必要があります。自分の心の平和を乱しているのは何なのか、平穏な心をもたらすのは何なのかについて理解することが大切であり、宗教的な観点からではなく、単に学んで知るというアカデミックな方法によって身につけることができるのです。さらに、インドが率先してイニシアティブを取るならば、中国もきっと関心を示すことでしょうし、そうなれば、25億人もの人たちに影響を与えることになり、世界全体がすばらしいものになるでしょう。ナーランダー僧院の伝統として伝えられてきた知見が、一般的な世間の中で用いられて、世界共通の利益となることでしょう」
「今日の世界は、感情面における深刻な危機に直面しています。ほとんどの人たちが、煩悩は心に元々備わっているものだ考えていますが、そうではありません。古代インドで育まれた心理学は、私たちが正しい方法で煩悩に取り組めば、それを克服し、取り除くことができるということを教えてくれるのです。どうすれば幸せになれるのかを、自分に問いかけてみてください。幸せは、お金や権力によって得られるものではありません。前にも言いましたが、何が自分の心をかき乱しているのかということだけでなく、どうすればその原因を取り除くことができるのかを理解しなければなりません」
スピーチを終えられた法王は、集まった人々、老人や子どもたちとの交流を楽しまれてからレーのジョカン寺を出発され、昼食のために車でシワツェルの法王公邸に戻られた。