インド、ニューデリー
今朝ダライ・ラマ法王は、戒律(ヴィナヤ)に関する2回目の会議に参加した、スリランカ、ミャンマー、タイ、ベトナム、台湾、インド、チベットの仏教の伝統を保持する代表者たちと会見された。この会議で読み上げられた報告書の中に、タイの森林僧の伝統を持つ年配の僧侶からのものがあり、この会議の意図はすばらしいと認めるが、会議がホテルで開催されたため、森林僧である自分が参加したことは適切ではなかったという後悔の念が述べられていた。しかしその森林僧は、仏陀が「自分亡き後は戒律の実践が弟子たちを導いていくだろう」とアナンダに伝えられたそのお言葉を引用して代表者たちを励まし、戒律の実践が広く行き渡っている限り、仏陀の教えは生き残るだろうと付け加えていた。
さらに、代表者たちは議論を進めていく中で、戒律についてのさまざまな伝統は、具体的な戒律の数という点では異なるものの、基本的な7つの波羅提木叉の戒律を共有していることが報告されており、このような会議を今後も開催すべきであるとの提案がなされた。
法王はご自身について、次のように述べて話を始められた。
「私は1954年に完全な出家者の戒律(具足戒)を授かった一人の比丘であり、8世紀にインドからチベットにもたらされたナーランダー僧院の伝統に属する者です。チベットに仏教を導入し、普及させたのはシャーンタラクシタ(寂護)ですが、彼はナーランダー僧院大学の中でも特にすぐれた学者であり、比丘であり、哲学者、論理学者でもありました。シャーンタラクシタはチベットの仏教王の招聘により、チベットに来られたのです。ナーランダー僧院の伝統とは、単なる信仰よりも、論理的なものの考え方に基づいて教えを分析することを重要視するものです」
「ここで、問うべき重要な質問のひとつは、2600年以上前に説かれた仏陀の教えが今日でも適用できるものかどうかということです」
「前世紀は戦争と暴力の時代になってしまいましたが、それは主に、古い考え方や力の行使によって問題の解決を図ろうという傾向が蔓延していたからです。そして、私たちが今ここで穏やかに過ごしている間も、他の場所では、殺されたり、飢えて死んだり、人種や肌の色、カーストによって差別されている人びとがいます。一方で、主要な宗教的伝統はすべて、愛や思いやり、許しなどの実践を推奨しています。そして、それぞれの宗教的伝統に心の平穏を育む力があるからこそ、私はすべての宗教を尊重し、異なる宗教間の調和を促進しようとしているのです」
「特に古代インドの精神的伝統では、高められた一点集中の力である「止」(シャマタ)と、空を理解する智慧である「観」(ヴィパッサナー)を達成するための修行が長らく実践されてきました。「止」と「観」によって、心と感情の働きについて深く分析し、微細なレベルまで掘り下げて理解することができるのです。仏教はこのような知識を多く護持していることから、今日もなお科学者たちの関心が高まり続けています。そしてすでに述べたように、戒律の実践はすべての仏陀の教えの土台となるものです。それに基づいて無知を取り除き、煩悩を断滅することができます。こうして私たちは苦しみの止滅を達成することができるのです」
法王は、パーリ語の伝統(上座部仏教)で護持されている『四つの聖なる真理(四聖諦)』と『三十七道品』の教えの根本的な重要性を認めつつ、霊鷲山の王舎城で説かれた第二転法輪の般若経の教えについて解説した、ナーガールジュナ(龍樹)やアーリヤデーヴァ(聖提婆)のような偉大な導師たちの著作を読むことも、心を研ぎ澄ますためにとても有益であることを指摘された。
法王は、ミャンマー、台湾、インドの代表者たちから贈り物を受け取られると、返礼としてそばに座っていた高僧たちに仏像を贈られた。
その後法王は、法王のご友人で、カリフォルニア州アナハイム市を「思いやりの町」と宣言したアナハイム市長トム・テイト氏と会見され、アナハイムからより幸せで、充実し、成功した学生を輩出したテイト市長のアプローチを強く支持することを再確認された。
法王は、幸せの主な源は感覚的な体験だと考えている人が多いが、実は、心の平穏が幸せをもたらすというお考えを繰り返し述べられた。私たちの心の平穏を破壊するものは、怒り、憎しみ、不安、恐怖などであり、これらの悪しき感情を減らすための対策が思いやりである。適切な教育を通して、私たちはこのような煩悩を断滅するための取り組み方を学ぶことができるのである。
法王は明日、デリーの公立学校で実施される幸福のための教育カリキュラム発足式典で、大勢の校長や教員たちに向けて講演をされる予定である。