インド、ウッタル・プラデーシュ州バラナシ、サールナート
インド大学協会(AIU / Association of Indian Universities)の年次総会ご出席に先立って、ダライ・ラマ法王は高等チベット学中央研究所(CIHTS / Central Institute of Higher Tibetan Studies)の職員たちに向けてお話をされた。法王は、インド古典舞踏、芸術、建築、美術史の学者であるカピラ・ヴァツヤヤン氏が生きたチベット文化の存続を助けるため、50年前に同研究所の設立を先導されたことを想起された。そして人々が現代教育の欠点に気付きはじめ、古代インドの伝統に対する関心が増していったことに触れられた。過去頻繁に用いられた論理学と認識論は、現代ではチベット仏教の伝統に残っているだけである。更に、心と感情の働きに関する古代インドの智慧は、おそらくチベット人だけが引き継いできた宝庫となっている。
続いて法王は、次のように述べられた。
「私は、これらの知識を学ぶことは僧侶と尼僧に限られてはならず、在家の人々も学べるようにすべきだと提案してきました。しかし、それを僧院の中だけで賄うことは困難でした。その後、仏教論理大学と高等チベット学中央研究所が設立されたことにより、在家信者と外国人がチベット仏教の伝統を容易に学ぶことができるようになりました。例えば、現在在家信者たちは、中観学、般若学、論理学と認識論だけを勉強することもできます。さらに、出家者のみが学修すべき僧院の戒律や、より高度な知識としてアビダルマに説かれている宇宙論の大部分はすでに時代遅れとなっており、受け入れることはできなくなっているため、特に焦点を当てて学ぶ必要はありません。そこで今後私たちは、中観学、般若学、論理学に限った副学位を授与することもできると思います」
「仏教の偉大な古典的典籍は、ほとんどがチベット語に訳されているため、読んだり学んだりするのにサンスクリット語や他の言語を学ぶ必要はありません。そしてサンスクリット語で唱えることができるということも、テキストを読み、理解できることに比べてそれほど重要ではないことを念頭に置くべきです」
「中国の知識人の多くがこういった文献を読むためにチベット語の学習に関心を寄せているということを、私は中国事情に詳しいチベット人から聞きました。そこで、もし中国の人たちが学べる設備と環境を提供できれば大変良いと思います。中国の人たちがダラムサラに来るにはビザの問題がありますから、ブッダガヤで学習センターを設立することも可能ですし、高等チベット学中央研究所がそれを補佐できればきっと役に立つことでしょう」
会議場に戻り、P.B.シャルマ教授は全ての人々に対する歓迎の言葉を述べた。そして、大学の副学長たちに宗教を超えた価値観や、人類全体が受け入れることのできる普遍的な価値観を如何に特定するかを考えるよう呼びかけた。そして法王のお言葉を引用し、慈悲(カルーナ)、真理と誠実さは我々全員に属する人間価値であると述べた。
法王は開会の挨拶に招かれると、聴衆の笑顔を見て楽しんだこと以外に特別述べることはないと述べられたうえで、他の人々の見解や提案を聞くのを心待ちにしていると付け加えられた。
「しかし、一つだけ皆さんにお伝えしたいことは、私は常に9時間の睡眠をとり、朝3時に起床します。そして約3時間の瞑想修行の多くを、自我の本質についての分析と、“私” の実体はいったい何処にあるのかを探求する分析的な瞑想に時間をかけています」
慈悲の心・誠実さ・世俗の倫理観センター(Center for Compassion, Integrity and Secular Ethics)のゲシェ・ロブサン・テンジン・ネギ師は、教育における世俗の倫理観の価値と必要性を短く要約して述べた。そして現代教育は、外面的な快適さと発展を与えてはくれたが、内なる心の育成を疎かにしてきたという法王のお言葉を繰り返した。さらに、大人、子供、両親の健全な精神を維持し、初等・中等教育における社会的環境の重要性を例証するために、世界幸福度ランキングの報告書を引用した。ネギ師が開拓してきた認知に基づく慈悲の心のトレーニング(CBCT / Cognitively-Based Compassion Training)の鍵は、ポール・エクマン博士による感情の地図と、古代インドで発展した心の科学を元に収集された悪しき感情に取り組む感覚を養うことである。
マハーラーシュトラ州ワルダーにあるマハトマ・ガンジー国際ヒンディー大学の副学長ギリシュワール・ミシュラ博士は、教育の究極的な目的は悟りであり、個人と社会に必要なことを推進していく必要があると述べたうえで、それを頭字語のCRISPとして以下の通り説明した。
適切な能力(Competence)
人類への尊重(Respect for humanity)
誠実さ(Integrity)
社会的責任と社会への尊重(Social Responsibility and respect for society)
プロとしての責任(Professional responsibility)
副学長は、これらのスキルが学校と教育システムの一部になるべきであると提案した。
法王は副学長との短い交流の中で、ネガティブな感情が生じたら、それがコントロールできなくなる前にすぐに取り組み、それを制御することが感情の衛生観念である、と明示された。次に、男女差別に関する見解について問われると、仏陀は男女を平等にみなされて、出家の戒律も両者に与えられていることを述べられた。そして、男女差別への固執を、封建制度が廃止された後も未だに残っているカースト制度の差別と比較されて、今日私たちは、平等な権利を有する民主的世界に住んでいることを述べられた。
最後の質問として、「ブッダム・サラナム・ガッチャーミ(仏陀に帰依いたします)」という帰依の偈について問われると、法王は、一つの側面から見ると、仏陀という言葉は一切の汚れを断滅した境地を示していると説明された。それは私たちが知るべき心の本質であり、心が無知で覆われている限り、一切を知る能力には限界があると述べられた。しかし、一旦無知を晴らして自由になれば、再び煩悩に支配されることはなく、 知るという心の能力に制約はなくなる。これは仏陀が持つすぐれた資質のもう一つの側面である。
最後に、P.B.シャルマ教授は年次大会の終了時間が迫っているため、聴衆の理解に感謝を表し、法王のご訪問という恵まれた機会を得たことに再び感謝の言葉を述べた。
その後法王は簡単な昼食を取られ、ラール・バハードゥル・シャーストリー国際空港から飛行機でデリーに向かわれた。明日の早朝、法王はダラムサラに戻られる。