インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
「人間性を高めるための再構築」をテーマにした心と生命会議は、ダライ・ラマ法王公邸に隣接するツクラカンを会場として、今朝、会議の初日を迎えた。ツクラカンの中央に横向きに設えた、低い大きなテーブルには参加者、発表者、司会進行役が着席し、招待客とオブザーバーがその周りを取り囲んで座った。そのうちの100人は心と生命研究所関係の人々で、200人はダライ・ラマ基金から招待された学識ある僧侶と尼僧が主体である。ダライ・ラマ法王は会場に到着されると、何人かの昔からの友人に挨拶されてから、テーブルの上座の席に着かれた。
心と生命研究所(Mind & Life Institute)所長のスーザン・バウアー・ウー氏は、今回の心と生命会議は通算33回目となり、ダラムサラでの開催は13回目を迎えると報告した後、会議の参加者全員に向けた歓迎の言葉でスピーチを開始した。ウー氏は、会議が開催できたのはダライ・ラマ法王とダライ・ラマ基金、ハーシー・ファミリー基金のお蔭であると感謝の気持ちを表した。そして、設立26年目の心と生命研究所について、その運営の目的は、苦しみを取り除き、人間性を高めることである、と改めて述べた。そして今回の会議の意図は、若者によい教育を与える方法を再度模索することであり、教育によって思いやりの心を育むことができるという証拠を提示して、子どもたちに心づかいと思いやり、愛と許しなどの世俗の倫理、つまり心の教育をどのように与えるかを話し合うことであると述べた。最後にウー氏は、2013年にインドのムンゴットで行われた心と生命会議の記録である『僧院と顕微鏡(The Monastery and The Microscope)』という新刊本を法王に贈呈した。
今朝の司会進行役であるキンバリー・ショナー - ライクル氏は、最初のプレゼンターであるリチャード・デビッドソン博士を紹介した。最初にデビッドソン博士は、法王がこの会議のために時間を割いてくださり、示唆を与えてくださっていることに対して感謝の言葉を述べ、過去の会議で話し合われたことの概要を振り返った上で、今回話し合う内容について説明した。
今回の会議の論題について説明を終えたデビッドソン博士は、今日のテーマである幼児期における発達、そして社会性と情動の学習(SEL / Social and Emotional Learning)に関する博士のプレゼンテーションを開始した。博士は、幼児期の発達における神経可塑性、遺伝学の役割、デリケートな期間、生来の基本的な善き性質について言及した。デビッドソン博士は、脳の発達の過程において、早い時期にシナプスの生産が過剰になることや、皮質と前頭葉で余分な部分が削ぎ落とされることについて話した。そこには、脆さと傷つきやすさを増長する作用のある発達と、弾力性と回復力を高める作用のある発達があるという。デビッドソン博士はまた、誕生、就学、思春期など、子どもの発育に影響を及ぼすデリケートな期間についても説明した。
法王は、脳に変化をもたらす思考に関連して、人がくつろいでいる時、思考と脳の変化のどちらが最初に起こるのかを尋ねられた。デビッドソン博士は、多くの科学者が、思考と脳の動きは同時に起こると言っている、と答えた。博士はまた、その問題は心と脳との関係についての研究に関連しており、100年にわたって科学的にほとんど進歩していないように見受けられる、と述べた。博士のこの発言に触発されて、法王は、科学者たちとの会議の目的について、以下のような考察を述べられた。
「会議の第一の目的はお互いの知識を広げることにあります。過去数十年の経験により、古代インドにおける心の働きについての理解は、止(一点集中の瞑想:シャマタ)と観(分析的な瞑想:ヴィパサナ)の実践を高めることによって得られるものだと分かりました。そこには、いかにして悪しき感情をよりよく変容させることができるのか、という智慧も含まれていて、それは今日においても有益な手段です。一方、科学に基づく発見の提示により、伝統的なインドの宇宙観に対する疑問が生じて、その結果、私は世界の中心は須弥山であるという古典的な仏教のテキストに記されている信念を公に否定するに至りました」
「しかし、心に関しての科学の研究は、まだ始まったばかりです。ですから、古代インドの智慧が、心の研究に大きく寄与できると私は信じていますし、科学と古代インドの智慧という二つの伝統を結び合せることが大切だと感じています。1979年にモスクワで科学者たちと議論をした時、科学者たちは五感を通して生じる感覚的な意識については喜んで認めましたが、純粋な意識作用については、宗教的な概念に過ぎないとして退けました」
「科学者たちとの会議の二つ目の目的は、今日の世界において目撃されている感情の危機に関連しています。例えば、私たちはここで共に平和を享受していますが、世界の別の場所では、飢餓により、あるいは殺戮により、苦悩を味わっている人々がいるわけです。ですから、私たちは他人の幸せについてもっと関心を示す必要があります。全ての人類は一つの人間家族であり、地球は一つの共同体であるという、より大きな視野に立った見地が必要です。あたたかい心を持つように呼びかける必要があるのです。宗教には、そのことに寄与できる可能性があります。しかし、時に宗教は、更なる分裂を招いてしまいます。そのような状況において、人間の基本的な性質は思いやりの心である、と科学が立証したことは希望の源です」
「人間の基本的な善き性質を高めることにより、自信と信頼が生まれ、表裏なく、正直で開かれた心を維持することができます。そうすれば、微笑んで過ごすことができるのです。他人を疑いの目で見ていれば、幸せに暮らすことはできないでしょう。今日存在する70億の人口のうち、10億の人々は宗教に関心がありませんが、彼らも同じ人類の一部なのです。より平和で、喜びのある世界を創造するために、宗教を信じる人にも、信じない人にも、世俗の倫理観が必要です。例えば、あたたかい心を持っていれば、健康維持に役に立つということが科学的に証明されています」
「国境線の内側だけ、つまり自国のことだけを考えるのではなく、人類全体について慮る時が来ています。水不足の悪化などという深刻な問題を取っても、人類が一つの共同体として、一体となって環境問題に対処することが唯一の解決策であることが分かるでしょう。科学の発見に基づいた、世俗的、科学的方法を基盤とする、人間の善き資質を高めるための新しい教育方法が求められています」
「人類が存在するこの世界は、あと数千年は続くことでしょう。しかし、次の世代の人々には、今とは違う生き方を提示する必要があります。私はもうすぐ83歳で、残された時間はそれほど多くはなく、もし天国があれば、死後はそこに行くことができるかもしれません。しかし私は毎日、『この虚空が存在する限り、有情が存在する限り、私も存在し続けて、有情の苦しみを滅することができますように』と祈っていますので、再びこの地球に生まれてくるかもしれません」
「私たちの世代には、行動を起こす責任があります。今まで私たちはたくさんの戦争を目にしてきました。莫大な費用が武器の製造と販売に使われるのを目撃してきました。問題の解決に武力を用いることは、すでに時代遅れの考え方です。それが間違っているにも関わらず、21世紀の初めである今日に至っても、武力の行使がいまだに繰り返されています。私たちはそれを変えなければなりませんが、現在の教育はあまりにも物質主義に偏っています。しかし、それを改善することは可能であり、今、私たちがしている働きかけにより、今後何世紀にもわたって良き影響を及ぼし続けることが可能なのです」
リチャード・デビッドソン博士は、プレゼンテーションの最後に、鬱病になったり、自殺する子どもや若者が増えていることに言及した。そして博士は、心の働きに関する古代インドの智慧こそ、人類に貢献でき得るものであることに、指導的な立場にある科学者たちが気付き始めている、と述べた。
15分のお茶の休憩のあと、ミシェル・ボワヴァン博士が子どもの発達について、とりわけ、双子の成長の仕方についての研究を発表した。先天的性質と、その発現に影響する環境因子のうち、どちらが子どもの発達により大きな影響を与えるかという疑問について、博士は長方形の幅と長さのどちらが重要かを問う、別の専門家の言葉を引用しながら説明した。
続いてダン・ゴールドマン氏は、「人間性を高めるための再構築」に関して、社会性と情動の学習(SEL)についての考察を述べた。同氏は幼い子どもたちに、自分の置かれている状況を改善する方法は何か、悪化させる方法は何かを教えることについて話した。それについて法王は、友人のポール・エックマン氏が、「衝動と、衝動によって実際に引き起こされる行動の間を広げることが成熟度を測る基準である」と述べたことを思い起こされた。社会性を育み、情動についての学習をすることで得られる最も大きな利益は、世俗の倫理に合致した責任ある決定ができるようになることと、自分が考えていることやしていることに気づき、それを自分でコントロールする技術が身につくことである。
法王は、心をよりよく変容させることは可能であり、子どもたちに分析することを教えれば、分析する習慣を身につけることができるだろうと述べられた。法王はまた、古代インドの修行方法に基づいて、説明を聞いたり、それについて読んだりするだけでは十分ではなく、本当の理解を得るためには、聞いたり読んだりしたことについて何度もよく考えて、確信を得なくてはならない、と語られた。そして実際に何かを理解したならば、理解したことを実際の行動に移せるようになるまで、その考えに自分を馴染ませなければならない、と述べられた。
初日の午前のセッションが終わり、法王はツクラカンを後にして公邸に戻られたが、会議の参加者たちは昼食をはさんで午後も議論を続けた。法王は、明日の午前のセッションに再び参加される予定である。