インド、ビハール州ブッダガヤ
今朝カーラチャクラ・グラウンドに到着されたダライ・ラマ法王は、聴衆に挨拶されてから法座に着かれた。『般若心経』が中国語で唱えられている間に、法王はサラスヴァティー(弁財天)の許可灌頂を授与するための前行修法(灌頂授与に先立って金剛阿闍梨がなすべき準備の儀式)を行われた。法王は、1月初めから続いたブッダガヤでの一連の法話会冒頭で、いくつかの仏教国から参加した信者たちが日替わりで、それぞれの言語と流儀で『般若心経』を唱えたことに触れられた。法王は、約50年ほど前から、西洋の若者たちがアジアの国々、とりわけインドを訪れるようになり、古代インドの智慧についての関心が高まったこと、そして、そのうちの多くが仏教徒になり、今では英語でも『般若心経』が唱えられていることを話された。
そして法王は次のようにお話を始められた。
「概して、すべての伝統的な宗教は人間性の向上に寄与してきましたので、そのいずれもが尊敬に値します。しかし、その宗教が争いと暴力行為の土台になってしまうようなことも実際に起きており、何と悲しむべきことでしょう。そこで、多様な宗教間の調和を保つために尽力することこそ、大変重要な課題だと思います。私たちがチベットにいた時は、他の宗教についての知識などほとんどありませんでした。しかしインドに亡命してからは、トマス・マートン氏のような真の精神性を持った修道士に出会い、私の目はキリスト教の持つ可能性に対して開かれたのです。その後、他の宗教を信仰する人たちとも親しくなり、様々な伝統的宗教を賞賛する気持ちが募りました。一方、スコットランドで会ったある修道士は、自分の師が存命中はキリスト教徒でいるけれども、師が亡くなった後は仏教徒になって修行したいと私に言いました」
「この話は、1960年代に一人のチベット人女性に起こった、ある出来事を思い起こさせます。宣教師が彼女の子供たちを学校に通わせてくれると申し出てくれたので、彼女はその恩恵を受けました。そして、彼女は、彼らの恩に報いるために、今生ではキリスト教に改宗するけれども、来世は再び仏教徒になりたい、と私に告げたのです。宗教の実践は、自分で選択するものであって、他人から強制されるべきものではありません」
「どのような宗教的実践をするのか、その方法は多岐に渡っています。一般的に言って、知的能力がそれほど優れていない者は、素朴な信仰を持つことで満足しがちです。しかし、知恵が発達した人々は、自分が習った事が論理的に根拠のあるものかどうかを検証しようとするでしょう。ですから、最近私はマイトレーヤ(弥勒)の『現観荘厳論』に著されているやり方、つまり、まず ‘世俗の真理’ と ‘究極の真理’ という『二つの真理(二諦)』について論じ、次に苦・集・滅・道という『四つの聖なる真理(四聖諦)』について明らかにし、最終的に仏・法・僧の三宝の徳性を理解した上で帰依をする、という順番で仏教を学んでいく方法に関心を寄せています」
その後法王は、『金剛般若経』の続きを読み始める前に、この法話会の最後に、智慧を司る女神であるサラスヴァティーの許可灌頂を授与すると告げられた。
そして法王は、ところどころ解説を加えながらテキストを読み進められた。法王は、空性の理解を育む方法は、空性について聴聞し、聴聞したことについて考えを巡らし、その結果、確信を得た理解に基づいて瞑想することであると述べられた。『金剛般若経』には、一切の現象は独立してそれ自体の側から存在するわけではないが、だからといって何も存在しない訳ではなく、単に名付けられたことによってのみ存在し、利害を与える機能を果たしているということが繰り返し記されている。これが中観の、実在論(常見)にも虚無論(断見)にも偏らない中道的な見地である。
そして法王は、最後の節で釈尊が何を言わんとされたのか、そこには様々な解釈があると述べられた。ここにおいても、幻のような性質を持つ、名付けられたことによってのみ存在する現象のなかに、虚空に譬えられる、空性という究極的真実があることが示唆されているのである。
法王は、中国人の弟子たちは、寺院、僧院において、ナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論頌』とマイトレーヤの『現観荘厳論』を通読し、学ぶように推奨された。しかし、これは僧侶だけでなく、在家信者も同様に学ぶべきであると述べられた。
続いて法王は、サラスヴァティーの許可灌頂の儀式を始められ、この伝授はタクダ・リンポチェから授かり、この儀軌次第は『リンジュン・ギャツァ』という儀軌次第集に収められていることを説明された。そしてサラスヴァティーは、文殊菩薩と同様に、智慧と大変深い関係を持つ女尊であると話された。
さらに法王は次のように続けられた。
「中国は文殊菩薩との特別な繋がりがあります。中国の五台山は文殊菩薩の聖地です。ですから中国の方が文殊菩薩と弁財天の修行を結びあわせて実践できるなら、特別なご利益が得られるでしょう。私もいつか五台山を訪れて文殊菩薩のお加持を授かりたいと願っていますので、皆さんもそれが実現するようにともに祈願していただきたいと思います。皆さんがブッダガヤを訪れたことを意味あるものにするために、空性についての理解を深めるよう努力し、一人の良き人間になるために善良な心を高めていってください」
その後、主催者代表が登壇し、法王が1月初めにブッダガヤに到着されてから、今までに開催された様々な法話会について振り返り、この行事全体の収支決算報告を行った。そして、ガヤの自治体政府、ブッダガヤ寺院運営委員会と他の多くの支援者に対し、彼らの努力によってこの法話会が安全に、滞りなく運営されたことへの謝辞を述べ、法話会が締め括られた。