インド、ウッタル・プラデーシュ州バラナシ、サールナート
本日、2日目となる「インド哲学諸学派の心についての見解と現代科学の会議」が高等チベット学中央研究所で開催された。会場に到着されたダライ・ラマ法王はステージ上に進まれ、司会者やプレゼンターに加え、会場の人々に挨拶をされて席に着かれた。
会議の最初のセッションの司会は、高等チベット学中央研究所と昔から交流のあるジェイ・ガーフィールド教授が務めた。教授は米国のスミス大学で哲学と論理学、仏教の研究をしている。博士は次のように述べた。
「先にお話しした功績に加え、高等チベット学研究所は学生と教授陣による国際交流の道を切り拓いてきました。26年の歴史を持つこの国際交流プログラムは、チベット文献図書館や仏教論理大学などの模範となっています。こうして成功をおさめたのは、高等チベット学中央研究所の指導力と協調力があってこそでしょう」
ガーフィールド博士は、スリランカのコロンボ大学でパーリ語と仏教学の教授を務めているアサンガ・ティラクラトネ博士を紹介した。ティラクトネ博士は上座部仏教の精神分析法について次のように述べた。
「これはインドの哲学体系の中でもっとも洗練された精神分析法のひとつです。『アートマン(我)』のような実体のある存在を受け入れない仏教では、チッタ(心)、マヌ(意)、ヴィニャーナ(識)という視点で精神の分析を行います」
次にプレゼンテーションを行ったのは、パリのフランス国立科学研究センター主任研究員のミシェル・ビットボル教授であった。教授は現在、現象学研究所であるフッサール公文書館を拠点としている。教授は次のように述べた。
「量子物理学の発展に貢献したオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、古代インド六派哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派(不二一元論派)や仏教の中観派の影響を受けています」
ビットボル教授は白熱して述べた。
「シュレーディンガーはインドの思想に傾倒していたため、二元論や一元的唯物論に惑わされることなく、心と身体の問題に取り組むことができたのです」
これを受け、法王は次のように語られた。
「このプレゼンテーションを聞いて、私たちは自らの未熟な世界観を超え、現実の意味を深く理解しなくてはならないと思いました。ナーガールジュナ(龍樹)は『根本中論頌』の中で次のように説いておられます」
「行為と煩悩は無知に根ざしており、無知とは、十二支縁起の最初の事象です」
3人目のプレゼンターは、ガンデン僧院シャルツェ学堂で僧侶として教育を受けたトゥプテン・ジンパ博士であった。博士はシャルツェ学堂でチベット仏教の最高学位であるゲシェ・ラランパを取得した後、ケンブリッジ大学に進んで博士号を取得し、現在はカナダのマックギル大学宗教学部で非常勤教授を務めている。博士は、仏教哲学において意識の核心とされる3つの特徴—「志向性(意識が持つ対象志向の側面)」「再帰性(意識が持つ自らを明らかにする性質)」「主観性(精神的な出来事を第一人称として体験する次元)」— について研究している。
ジンパ博士は次のように説明した。
「主体者の次元から見た意識は、現代の西洋哲学や科学的論議において重要な焦点となっています。精神的な出来事の主な特徴は、主体者がそれをどのように経験するかということであり、これはつまり、単純な痛みの感覚や青い色が見えるなどの、哲学者がよく言う『どう感じているか』ということです。残り2つの特徴のうち、『志向性』とは、意識とは何らかの対象によって満たされるものであるという考え方です。そして『再帰性』とは、自分自身を内省することによって得られる基本的な気づきのことであり、現在の現象学の分野で大きな注目を集めています」
「この3つを使って意識とはいったいどういうものなのかを紐解くのは、科学的な課題としては説明が難しく、無理難題を投げかけるようなものでしょう」とジンパ博士が締めくくると、法王は笑って次のように語られた。
「中観派の見解から言うならば、ジンパ博士の主張は虚無論であり、かつ実在論でもあるように見受けられます。しかし、人間の知性とは他の考え方に触れることでより深まり、さらに充実した分析ができるようになるものです」
最後に登壇したのは、神経科学と大脳皮質の神経力学の研究者だったセオン・ラモン氏であった。
「神経科学では、脳波やMRI画像を使って、愛情や怒り、哀しみ、思いやりといった脳の感情の状態を解読したり計測したりすることができますが、心の特徴、つまり、人間の意識について明確に説明するには至っていません」
「神経科学では一般的に、心は脳から発するものであり、脳が死ぬと心は消えると考えられています。しかし、この考え方に疑問を持つ少数の神経科学者は、心や意識は脳とは別のものであり、心は部分的に脳とつながっているが、それ自体は脳とは別個の存在だと主張しています。将来的には、心の特徴を調べる優れたツールに加え、さまざまな学問分野にまたがった取り組みが始まることでしょう」
ラモン氏の発言に対して意見を求められた法王は、1979年にソビエト連邦を訪問されたときのことを語られた。
「あのとき、五感に伴う感覚的な意識とは異なるものとして、第六感、つまり純粋な意識作用について科学者の皆さんにお話したことを覚えています。しかし、それは宗教の話にすぎないと片付けられていまいました。それ以降、五感を通して生じる感覚的な意識についてはある程度解き明かされてきたものの、純粋な意識作用については未だ不明なままです。ウォルフ・シンガー氏の研究では、脳が身体のすべてを司っているわけではないそうです」
また法王は、チベットにいたある瞑想の成就者の話を語られた。
「この人は文化大革命のとき、中国の統治に不満を持つ者を糾弾する『闘争集会』にかけられました。やがて腰を下ろしてしばらく休むように言われた彼は、そこで意識を身体から切り離す実践を行い、実際に意識を身体の外に飛ばしたのです」
その後ラモン氏が、臨床的に死亡と宣告された後も深い禅定に入定した状態で何日もとどまることのできる人々がいるという実例を取り上げ、現在では身体に触れずに体温変化を計測する技術があるので、その場合は遺体に装置を取り付ける必要がないと述べた。
最後にお言葉を求められた法王は、古代インドの智慧には学ぶべきことが多く、破壊的な感情(煩悩)に打ち勝つ方法を習得できるという点で、現代においても役に立つすぐれた知識となるものであると語られた。
「インドは現代教育と古代インドの智慧という二つの利点を兼ね備えた唯一の国であり、そのおかげで多くの人々が心の平和を得ています。南インドにあるチベット仏教の僧院には現在数百人もの僧侶が学修していますが、彼らがあと20年も真剣に勉強すれば、十分にその利点について教えることのできる資格を得ることでしょう」
その後、チベット学中央研究所副総長のゲシェ・ガワン・ノルブ師が謝辞を述べ、会議に参加いただいた法王に感謝の言葉を述べた。また、法王が教育を変革し、心を鍛えることで平和と幸福に気づく方法を人々に授けてくださったことに対して敬意を表した。
ステージを後にされる前に、法王は司会者やプレゼンター、パネリストたちに感謝の言葉を贈られた。会場の外では霧が晴れて太陽が顔を出していた。法王は、会場近くのジーバン・ジョティ学校から参加した視覚障害を抱える女子学生たちと会われ、古くからの友人に接するように、「皆さんのことをいつまでも覚えていますよ。いつも皆さんのことを考えています」と声をかけられた。
その後、法王は公邸に戻られ、一日を終えられた。