インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
ダライ・ラマ法王による本日の法話会が一般公開されるとの通知は比較的直前であったにもかかわらず、法話を聞くために4千人以上の人々がツクラカンに集まった。法王は着座されると、前日にナムギャル僧院学校の落成式に参加したことを話された。今までチベット子ども村(TCV)で学んでいた若い僧侶たちは、これから僧院内で一般教育を受けることが可能となる。
今回ダラムサラを訪れたナムギャル僧院学校新設プロジェクトの支援者には、イタリア人45名、ベトナム人130名、ナムギャル僧院の僧院長タムトク・リンポチェとその弟子たちがおり、法王は彼らのリクエストに応えてジェ・ツォンカパの『修行道の三要素(道の三要訣)』を説くことを決定された。法王は支援者たち、そしてアルナーチャル・プラデーシュ州モン族の若いナムギャル僧院の学生たちの両親やチベット本土から訪れているチベット人たちが、本日の法話の主な弟子であると説明された。
イタリア語とチベット語で『般若心経』が唱えられた後、法王はいつものように、まず精神修行をすることの重要性と仏教とは何かについて説明したいと述べられた。
「今21世紀を迎えて、私たちは大々的な物質的発展を目にしてきました。よりよい医療施設、経済の繁栄、通信手段の大幅な向上が実現し、人々の生活はより容易になり、生活水準は高まりました。三世代前には、このような物質的な進歩が私たちのあらゆるニーズを満たすだろうと多くの人が考えていました。しかし、それは危害を加え、殺すことのみを目的とした兵器の改良などといった問題も引き起こしてしまいました」
「私たちは今ここで平和に過ごしていますが、今も世界のどこかで人々は互いに殺し合い、子供が飢えで死んでいます。私たちはみな生老病死の問題に直面しているのに、内なる精神的な価値が欠けていることからいまだ他者の窮状を放置しています。私たちはすべての人々の利益を願って祈りますが、それよりも他者を助けるためになにか実際の行動を起こすほうが役に立つでしょう」
「私たちの苦しみは心がかき乱されていることから生じます。これはあたたかい心を育むことで対処することができます。内なる変容を起こし、愛と思いやりが本当の喜びの源だと理解する必要があるのです。私たち人間は社会的な生活を営んで生きている動物であり、お互いに依存することによって生きています。大事なのは利己的な態度を改めて他者に対するあたたかい心を持つことであり、そうすれば病気は少なくなり、長生きして、今生においてより多くの友達を持つことができるでしょう。ですから、愛と思いやりを育むことを一般教育のカリキュラムの中で教えていくよう努めなければなりません」
法王は、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の伝統では創造主である神に対する信仰に重点を置き、インドの精神的伝統の多くは心に関連して「止」(高められた一点集中の瞑想)と「観」(鋭い洞察力)に重点を置いていると話された。また、ベトナム人は伝統的に仏教徒でナーランダー僧院の伝統を引き継ぐ者であり、イタリア人は一般的にはキリスト教徒であるが、仏教に興味を持ち魅かれるのは仏教が論理に基づく宗教であるからだと指摘された。
法王は、シャーンタラクシタ(寂護)が8世紀にチベットに仏教をもたらした時、聞・思・修という仏教の学び方も伝えられたことを述べられた。すなわち、まずたくさんの教えを読んだり聞いたりし、次にその教えについて自分でよく考え、最終的に瞑想によってそれを心に馴染ませるという実践である。また、シャーンタラクシタ(寂護)は仏教を理解するために中観哲学と論理学を導入し、一番弟子のカマラシーラ(蓮華戒)とともにいかに悪しき感情に対処し、心に良き変容を起こすかを教えた。
「仏教には様々な哲学的見解がありますが、それは様々な気質を持つ人々がいるため、それぞれに見合った見解を選ぶことができるようにと釈尊が異なる見解を説かれたからです。チベット仏教には古派と新派があり、古派とはニンマ派のことで、新派にはカギュ派、サキャ派、カダム派の伝統があります。残念なことにチベットでも宗派の違いへの強いこだわりがありましたが、私たちはみな同じ古典的なテキストに基づいているのですから、お互いの伝統を尊敬し尊重しなければなりません」
「今日私たちが学ぶテキストは、古派と新派両方の導師たちに学んだジェ・ツォンカパによって書かれたものです。ジェ・ツォンカパは、“世界の荘厳たる6人と至高なる2人” として尊敬されてきた8人の偉大な導師たちの論書を徹底的に勉強し、学んだことを個人的なアドバイスとみなして実践されました。また弟子たちには、不適切な妥協をせず、ジェ・ツォンカパご自身がされたように詳細にわたって徹底的に勉強するようにと奨励されました。ナーガールジュナ(龍樹)の偉大さがその著書において明らかにされたように、ジェ・ツォンカパの賞賛すべき明晰さもその著作の中で明らかに示されています」
「『修行道の三要素』は、論書として書かれたのではなく、弟子のツァク・ガワン・ダクパにどのように仏法を実践するべきかを授けた個人的な教えです。ジェ・ツォンカパはガワン・ダクパに、“もし私の言葉に従うなら、すべての生においてあなたを導き、私が悟りを得た時は最初にあなたに教えを授けよう” と述べておられます」
法王は、このテキストの解説の伝授をタクダ・リンポチェとリン・リンポチェ、ティジャン・リンポチェから授かったと述べられた。そして法王は、ジェ・ツォンカパのおことばを引用されて、他者の心を鎮めようとする導師は、戒律・禅定・智慧という三学の修行によってまず自分自身の心を鎮めていなければならないとし、苦しみの止滅(滅諦)を理解する必要性に触れ、無我の理解が滅諦につながることを説明された。また、輪廻における快楽を望む心など一瞬たりとも起こすことなく、昼夜たゆまず解脱を求める心を維持できたなら、その時こそ出離の心が生じるのであり、これこそ修行道の三要素の第一であると述べられた。
法王は、どう読むかによって、第7偈と第8偈は出離の心を得たいという決意を促し、なんとしても菩提心を生起したいと願う心を高めるものだと述べられた。
法王は、解脱や涅槃は実現可能なものであることを理解するならば、なんとしてでもそれを成し遂げようと切望するようになることを強調された。そして、他者も自分と同じように苦しみから解放されうることを理解するならば、彼らのために仏陀の境地に至りたいという熱望が湧いてくることを伝えられた。
さらに法王は、たとえ出離の心や菩提心を育んでいても、すべてのもののありようを正しく理解する智慧、つまり空の理解が伴っていなければ、輪廻の源を断ち切ることはできないということを明確にされた。“それ故、縁起を正しく理解するための努力をしなさい” という助言によってツォンカパが称賛されているのは、すべての現象は単なる名前を与えられただけの存在であるという中観帰謬論証派による微細なレベルの縁起についての説明であると述べられた。
法王は、菩提心を育む修行に仏陀の教えの深遠さが表れていることから、聴衆を菩提心生起の儀式へと導き、次の偈を唱えて法話会を締めくくられた。