インド、ニューデリー
ダライ・ラマ法王は、2日目の「ロシア人科学者たちとの対話」に入る前に、ロシアの新聞社「コメルサント(Kommersant)」の記者スタニスラフ・クッチャー氏のインタビューを受けられた。記者はまず、宗教によらない人間価値の促進について質問し、法王は次のように答えられた。
「怒りと憎しみによって暴力がはびこる今の世界には多くの問題があります。自己中心的な考え方に基づいて、敵と味方に分かれて争っても、敵がいなくなることはなく、私たちは共に生きるしかありません。そこで、人類全体の幸福を考えることと、内なる平和を培うことにもっと目を向けるべきなのです。他者を思いやる温かい心の価値に深く気づいたならば、誰にとってもそれは大きな利益となるでしょう。私は仏教への改宗を勧めているのではありません。内なる価値を育むことは、来世があるかないかに関係なく、今のこの人生をより幸せに過ごすために役に立つということを皆さんに伝えたいのです」
次にクッチャー氏は、アメリカやロシア、トルコなどで顕著になりつつある失望感について質問し、法王は次のように答えられた。
「ものごとは変化し続けています。イギリスが欧州連合(EU)を離れることになっても、多くの人はいまだに欧州連合に残った方が良いと考えています。また、イラク戦争直前には数百万の人々が反対のデモをしたように、多くの人はもう暴力はたくさんだと感じています。私たちは指導者たちにだけ注意を払うのではなく、一般市民の声をもっと考慮するべきだと思います。空想じみた話ですが、モスクワに北大西洋条約機構(NATO)本部を移せば、ロシア人の様々な感じ方も変わるかもしれないとお話ししたことがあります。ともかく私は人間を信じています。世界は70億の人間のものであり、それぞれの国も、一握りの支配者ではなく国民のものなのです。そして人々の考え方は次第に成熟しつつあると思います」
法王とロシア人科学者たちの対話が始まり、最初に最年長のダヴィート・ドブロフスキー氏が発表をした。まず、文明の危機について神経科学的な観点からまとめたレジュメを英語で代読してもらってから、法王のあたたかな人間味あふれる考え方に賛辞を述べ、欲望に基づく自己中心的で攻撃的な行いが人類の未来を脅かしている今、仏教によって慈悲やあたたかい心を育てることで人々の意識を変えていけるのではないかと述べた。
法王はドブロフスキー氏の意見を称えた上で、次のように述べられた。
「意識の変化とは、脳だけで行われるのではなく、心を訓練することによっており、それに基づいて悟りに至ることも可能となるのです。脳と関連しているのは粗いレベルの意識です。例えば、胎児には子宮を蹴るなどの動きがあるので意識はあるはずですが、視覚のような感覚器官が働きだすのは誕生してから後のことです。また、ニュージーランドで亡くなったトゥプテン・リンポチェは、医学的な死の後も身体がぬくもりと新鮮さを保つトゥクダムと呼ばれる状態に4日間とどまられました。その時、前夜に右手の薬指を持った左手の位置が翌朝になると変わっていたのです。なぜカメラを設置しておかなかったのかと世話人たちに小言を言いましたが、この現象は説明がつきません」
次の発表者は、認識心理学や認識科学などを専門とするモスクワ大学のマリア・ファリクマン氏であった。発表のテーマは、「瞑想研究から考察した人間の注意力について」であり、この注意力について理解するためには、仏教心理学で説明されている心の働きについての分析が役に立つと、ファリクマン氏は述べた。
次に、同じくモスクワ大学のドミトリー・B・ヴォルコフ氏は、自我とは何かというテーマで、意識のデータ化の可能性について自説を発表した。
それについて法王は次のように述べられた。
「自我とは何かについて、人間は三千年以上前から考察してきました。古代インドでは輪廻転生しても変わることのないアートマン(我)の概念で自我を捉えましたが、釈尊は、これは誤った自我の理解であると否定されました」
「そのように、自我を実体のあるものだと考えてしまうのが無明の本質です。すべての仏教の宗派に共通する考え方の核心となるのが無明を滅することであり、そのために正しい智慧を育むことが重要です。意識の連続体を基盤とした自我の存在を示唆する教えもありますが、最もすぐれた見解を持つ中観帰謬論証派の主張だけが、最も微細なレベルにおける自我の実体を完全に否定することができるのです」
このように述べられて、法王はナーガールジュナの『根本中論偈』第24章18偈を引用された。
この縁起の見解によって実在論を否定し、すべての現象は仮に設けられたものに過ぎないという見解によって虚無論を否定できる。また量子物理学における、何ものも客観的には存在せず、認識は観察者の存在によって生じるという説は仏教の見解にとても似通っている。そして根源的な無明への対治として、ナーガールジュナの偈に述べられているような理解のしかたを仏教では説いていることを解説された。
そしてアメリカの精神分析医のアーロン・ベック氏が治療経験から得た、100%悪と見ている怒りの対象はその90%が本人の意識の投影であるとする説は、ナーガールジュナによる『根本中論頌』の次の偈に一致すると述べられた。
昼食後、ロシア科学アカデミーの哲学研究所のヴィクトーリア・リセンコ氏が、科学と仏教の架け橋となる哲学の存在について発表し、複数の文化を学び文化間の交流があるなら、このような架け橋の議論が可能となると述べた。そして、例えば、ダルマキールティの『正理一滴』を初めて英語に翻訳したフョードル・シチェルバトスコイ(1866 - 1942)が、比較哲学や間文化哲学を提唱したことにも触れた。
リセンコ氏は、シチェルバトスコイの弟子であるローゼンバーグが、日本で7〜8年学んで瞑想経験を得たことにも触れた。またロシアの反体制的哲学者のアレクサンドル・ピアティゴルスキーは南アジアの哲学や文化、歴史などを研究し、サンスクリット語やパーリ語を含めて九つの言語を読み書きできる作家であるが、彼から学んだ学生たちによってロンドンの東洋アフリカ研究学院では、好んで彼の話が持ち出されたことを解説した。
締めくくりのスピーチで、法王は次のように述べられた。
「パーリ語の伝統(上座部仏教)では釈尊の説かれた基本的な教えをお言葉通りに明確に理解することが主な修行でしたが、サンスクリット語の伝統(大乗仏教)では、論理的な思考と分析的な探求が中心となっています。後者の伝統として、ティソン・デツェン王の時代にインドからシャーンタラクシタを招聘して雪の国チベットで仏教が確立され、その後も厳密な学問と討論によってこの伝統が生きたまま守られてきました」
「私たちが苦しみを望まないのは自明であり、ことさらに証明する必要もありません。そこで、苦しみをなくすための鍵となるのが、古代インドで育まれた『止』(シャマタ:一点集中の力)と『観』(ヴィパッサナー:鋭い洞察力)を結びあわせる修行によって心の働きを理解することなのです。釈尊は人々の能力や性質に合わせて、苦しみをなくすための教えを様々な形で様々な時に説かれました」
「およそ40年ほど前から科学者たちとの対話を続けてきましたが、私も現代科学から多くを学びましたし、科学者たちも心の働きについて、煩悩の滅し方について学んだと思います。将来ロシアの科学者たちにも、西洋人の科学者たちと共に対話に参加していただきたいと願っています」
最後に、今回の「科学者たちとの対話」の統括者であるテロ・トゥルク・リンポチェが、スケジュールを調整して参加された法王に謝辞を述べ、ロシア人科学者たちを代表してタチアナ・チェルニゴフスカヤ氏が、法王に「小さな贈り物」として『聖なるロシア」と題する大きな本を献呈した。この本は、サンクト・ペテルブルグで収集されたイコンと呼ばれる聖者などの絵画集である。法王はそれを感謝と共に受け取られ、会場からご滞在先へ戻られた。