アメリカ、カリフォルニア州サンディエゴ
サンディエゴの街に朝もやが残る中、ダライ・ラマ法王はカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の学位授与式の会場に車で到着され、同学学長のプラディープ・コースラ氏による出迎えを受けられた。法王は居並ぶUCSDの教授や指導者の方々ひとりひとりに挨拶された後、彼らと同じ同学のガウンと帽子を着用された。やがて法王が壇上に上がられると、会場から歓声がわき起こった。学位授与式の開会にあたり、人々は立ち上がって無伴奏で国家を斉唱した。
学長のプラディープ・コースラ氏ははじめに2017年度卒業生への祝辞を述べ、卒業生とその両親、基調講演をされる法王を歓迎すると語った。コースラ氏は法王のご紹介にあたってその生い立ちと功績を紹介し、カリフォルニア大学最高位の賞であるUCSDメダルに加え、花輪とビーズの首飾りを法王に献呈した。その後、法王がUCSDトリトン野球チームのサンバイザーを被られると、会場からひときわ大きな歓声が起こった。
法王はいつものようにスピーチを始められた。
「ご年配の、そして年若き兄弟姉妹の皆さん、この…何というんでしたか。ああ、そうでした、学位授与式に立ち会うことができて、とても嬉しく思っています。私が英語の勉強を始めたのは1940年代ですが、いまだにブロークン・イングリッシュしか話せません。ひとつには、仏教の僧侶として、悟りに至るために英語は必ずしも必要ではないと考えたからですが、少年時代の私が怠けがちな生徒だったことも原因のひとつでしょう」
「皆さんのような若い人たちと会うと、若者は人類の未来だということを強く感じます。21世紀が始まったばかりの今、皆さんには、より良い、より幸せな世界を、つまり、暴力や貧富の格差のない世界をつくるチャンスと責任があります。私たち老人は生きてその世界を見ることはできないかもしれませんが、若い皆さんはより良いその世界で生きていくことができることでしょう」
「人間は社会性のある動物であり、互いに深く依存し合っています。気候変動は私たちすべてにとって脅威となる問題ですが、これは、人類は協力しなくてはならないということを私たちに教えてくれます。人類共通の目標を達成するために、私たちは協力しなくてはなりません。より平和な世界、より平和な世紀をつくるには、兵器に依存するのではなく、心の平和を世の中に普及させなくてはならないのです」
「これまでの熱心な勉強の成果として、本日、皆さんは学位を授与されようとしています。おめでとうございます。これからは、他の人に迷惑をかけることなく平和を構築するために、ここで身に着けた知識をどのように活用すべきか考えてください。状況を変えるのは思いやりの心であり、皆さんは、決断と楽観、意思力、自信を求められることになるでしょう。これは私自身の経験ですが、他の人たちを気遣うやさしさは信頼を強めてくれます」
次に法王は、卒業生を成功に導いた先生方の尽力に対してねぎらいの言葉をかけられた。
教授陣や学生たちの中にインド人がいることに気づかれた法王は、次のように語られた。「私の修行と知性の発達は、古代インドの智慧の源であるナーランダー僧院の伝統に基づいています。最近私は、このいにしえから引き継がれてきた智慧を復活させなくてはならないと思うようになりました。学生の皆さんの中には中国の方もいらっしゃるようですが、中国は釈尊の教えに従う伝統的な仏教国です。中国のある大学の推定よると、中国国内の仏教徒は3億人を超えているそうです。中国の人々は自国のそうした文化遺産にもっと目を向けるとよいと思います」
さらに法王は、次のように語られた。「インドや中国が慈悲の心という人間の価値を深めるために尽力するようになれば、汚職が減り、貧富の差も埋まることになるでしょう。心と感情の働きについて理解し、その論理を活用することは、なにも仏教の専売特許ではありません。心と感情の働きを知ることは開かれた学術的アプローチの対象となる有益な知識なので、UCSDもプロジェクトとして検討してみてはいかがでしょうか」
「心の働きに関する知識は、今を生きる70億の人間すべてに関係しています。心の平和を実現するには、感情の全体的な仕組みを理解した上で破壊的な感情に打ち勝つ必要があるからです。これは来世や天国、地獄の話ではなく、現世の話です。私たちは五感を通した感覚的なレベルでの幸せを感じていることが多いのですが、この類の幸せはあまり長続きしません。幸福を長続きさせるには、純粋な意識作用による心の状態が重要になってきます。心や意識を持つ生き物である私たちにとって、心の働きを理解することは昔も今も同じように必要不可欠です。古代インドの心理学はその昔から非常に発達しており、現代の私たちの助けになることでしょう。古代インドの心理学は、智慧と思いやりによって、個人が、地域社会が、さらには人類がより幸福になれるということを教えてくれます。現代を生きるインド人の皆さんには、古代インドのこの心理学にもっと注目していただきたいものです」
法王のご講演に対し、温かな拍手が送られた。その後、卒業生のリッキー・フラハイブ氏が壇上に上がり、卒業の喜びを述べた上で次のように語った。「卒業生の皆さん、先ほどの法王のお言葉を心に留めて人生を次の章に進めようではありませんか」
その後、副学長のピーター・コウィー氏の呼びかけに応じ、美術、人文学、生物科学、工学、自然科学、社会科学、経営学、海洋科学など、さまざまな学部の学生部長と各部の卒業生が順に起立し、学長によって学位が授与された。
リッキー・フラハイブ氏をはじめとする卒業生がステージを降りた後、学長のコースラ氏が法王の出席に対する感謝の言葉を述べ、学位授与式は終了した。
その後、法王はカリフォルニア大学サンディエゴ校の先生方との昼食会に出席された。昼食会に際し、法王の古いご友人のリチャード・ブルム氏が法王を紹介し、次のように述べた。「私は45年にわたって法王と友人としてお付き合いさせていただいていますが、いつも私にひらめきをもたらしてくださってありがとうございます。また、法王は113歳まで生きられるとうかがって、嬉しく思っています」
ブルム氏のスピーチを受け、法王は次のようにスピーチを始められた。
「一部の高度に覚醒した人々には未来を見る力があります。脳から発する一般的な感覚を持っている私たちでも、夢を見ているときには微細なレベルの意識になります。眠りが深くなると意識はさらに微細になり、もっとも微細なレベルの意識が現れるのは死ぬときです」
「過去40年の間に、もっとも微細なレベルの意識がからだに残っているため、臨床的には死んでいるように見えるのに、体熱が失われることなく身体が腐らないという事例が約30件ありました。私の師も13日間にわたってこの状態に留まられました。現代の科学ではこの現象を説明することはできませんが、調査プロジェクトはすでに発足しています」
「もっとも微細なレベルの意識を認識することができる人は、未来や前世が見えるといわれています。約200年前、そのような能力を持ったある高僧が、私が生まれた年に、私と同じ東北チベットに生まれた人物、つまり私が、113歳まで生きると予言しました。私もまた、このことを示唆していると思われる夢を見たことがあります。ところが最近、頭ははっきりしているものの、身体的には敏速に動けなくなってきました。しかし重要なのは、長生きすることではなく、有意義な人生を送れているかどうかです。有意義な人生とは、お金を貯めたり名声を得たりすることではありません。仲間である人類の役に立つ存在となることす。できれば他の人々を助け、助けられないとしても、せめて傷つけないように生きることが大切です」
そして法王は、次のように語られた。「古代インドで発達した心についての知識を復活させようという取り組みがあることは大変に心強く、この取り組みを進めてくださる方が他にもいらっしゃるものと私は信じています。ますます多くの科学者たちが心の探求に興味を持ってくださり、さらに多くの人々が内なる価値に関心を示してくださっていますが、これは希望の光です」
その後、学長が閉会の挨拶を行い、智慧を分かち合ってくださったことに対して法王に感謝の意を表した。
そして法王は一日の公務の最後に先端手術センターに立ち寄られ、最新の機器と方法で行われる外科医の技術訓練の様子を視察された。
明日、法王はかねてから招待を受けていたサンディエゴ動物園を訪問される。