インド、ニューデリー
今朝、ダライ・ラマ法王は無事ニューデリーに戻られた。法王は昼食後、インドの英字新聞社インディアン・エクスプレスグループのCEOアナント・ゴエンカ氏とナショナル・オピニオンの編集者ヴァンディタ・ミシュラ氏の招待により、ミシュラ氏との非公式の交流の場として、インディアン・エクスプレス紙の番組『アッダ』への出演依頼を受けられた。会場では準備された客席をはるかに超える数の聴衆が詰めかけ、多くの人々は終了まで床に座ってお話を聞いていた。
アナント・ゴエンカ氏は法王について、「チベットの自由を求める非暴力による戦いを推進してこられた方として、世界に慈悲の心を広める第一人者として、また、その謙虚な姿勢と心にしみる笑顔で世界的に広く知られている方である」と聴衆に向けて紹介した。
それに応えて法王は、「私たちは皆、社会的生活を営んで生きていく類の生き物です。他者を思いやり、気遣い、考慮することは私たちの心をひとつにしてくれます。人間の基本的な性質が慈悲であるということを実験結果に基づいて立証してくれた科学的知見は、私たちにとって大きな希望の源です。動物は、時には暴力的な行いをしますが、戦争を引き起こすのは人間だけなのです」と語られた。
また、「私たちは暴力のない世界がやってくることを期待することはできるのでしょうか」という質問が挙がると、法王は、それは私たちの努力次第である、と答えられた。そして、他者に対する疑いをなくすための唯一の方法は、友情を培うことだと指摘された。
「過去において、人々に倫理道徳を教えることは宗教の領域でなされていました。 しかし現在では、70億の人間のうち、10億人以上が信仰を持たない人々であると言われています。また、信仰を持っていると主張する人の中でも、多くの人が教えに対する確信を持っていません」
「私たちは人間である限り、やさしさと思いやりを必要としています。慈悲の心は私たちに内なる心の平安をもたらし、その平安な心が、今起きていることの全体像をより明確に見ることを可能にしてくれます。ですから、現存する私たちの教育課程の中に、あたたかい心と内なる平和を育むための方法を学ぶ機会を取り込んでいく必要があるのです」
「私が属する20世紀の世代は、この世界に多くの問題を引き起こしてしまいました。しかし、21世紀を生きる現代の若者たちが、今あたたかい心と内なる平和を将来へのビジョンとして培い、それに取り組んでゆくならば、より平和でよりよい世界を実現することができると私は確信しています」
法王は、異なる宗教間の調和を促進するということをご自身の使命とされていることを語られ、そのインスピレーションを得た例として、インドでは多様な宗教が何世紀にもわたって友好的に調和を保ちながら共存してきたことをあげられた。また、法王は、40年前に僧院と尼僧院の教育プログラムを整えられ、その結果、20年以上にわたる厳しい学習過程を修めた20名の尼僧が、ゲシェマという仏教博士号の学位を昨年末に授与されたことを述べられた。
観世音菩薩の真言としてよく知られている「オーム・マニ・ペーメ・フーム」が唱えられ、法王はその意味を説明された。「まず初めの音節“オーム”は、A, U, M(ア、ウ、ム)という三文字から成り、“私”あるいは“自我”の基盤となる身・口・意(からだ・言葉・心)を表しています。“マニ”は宝珠を意味し、愛と慈悲を象徴しています。“ペーメ”(ペマの所格形)は蓮華を意味し、すべての現象の究極のありようを理解する智慧を象徴しており、すべての現象はその現れのようには存在していないという真理を示しています」
法王は、私たちが対象物の現れを誤解して捉えていることが、私たちに怒りや執着のような破壊的な感情(煩悩)を引き起こすことを繰り返し述べられた。加えて、米国の精神科医であるアーロン・バック氏から、私たちが怒っている相手に対して感じるネガティブな感覚の90%は、自分の心の反映に過ぎず、誇張されたものである、と聞いたこと語られた。
「最後の音節“フーム”は、無別(分かつことのできないひとつの本質であること)を意味し、“マニ”が象徴する慈悲の心と、“ペーメ”が象徴する智慧が無別であるということを示しています」
法王は、仏陀の教えに従う人々に対して、21世紀の仏教徒にならなければならないというアドバイスを常に語られているが、それは、仏陀の教えをよく理解しているということを意味するのである。