インド、アッサム州ディブルガー
この日、ランガールにあるディブルガー大学のキャンパスに到着されたダライ・ラマ法王は、大学副総長のアラク・K・ブラゴハイン教授、仏教学センターのコーディネーターであるシュリ・チャンダン・サルマ氏の歓迎を受けられた。講演会の開会式で、両氏と共に法王はランプに火を灯された。大学副総長とサルマ氏と共に壇上に着席されると、法王は旧知の年配の僧侶たち数人を壇上に招かれた。
大学副総長による歓迎のスピーチに続いて、法王は1,100人の学生と職員たちに向けてお話を始められた。
「他者に対する慈悲の心(思いやり)を育むことで自分の心が鍛えられ、結果として心の平和を手に入れることができるだけでなく、恐怖心を減らすこともでき ます。恐れやストレスは心理的な欲求不満を招く可能性があり、更には、その欲求不満が怒りや暴力をもたらしてしまうこともあります。ですから、恐れやストレスを減らすことはとても大切です。暴力は破壊的であると言うだけでは十分ではありません。暴力を防ぐためには、そのほとんどの原因である恐怖心や怒りを減らす方法を知ることが必要です」
さらに法王は、暴力に少しでも価値があるかどうかを一人ひとりが自分に問いただしてみるように、と聴衆に向かって語られた。暴力は心の平和を破壊するだけでなく、家族の中で、更に広い範囲における地域社会のレベルで平和や調和を破壊してしまう恐れがある。それにもかかわらず、暴力は未だに激増し続けている。20世紀には、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争という二つの世界大戦が起きた。その結果、2億人もの尊い命が戦争によって奪われたという歴史家の報告がされている。これらの莫大な数の暴力が、世界を良い方向へ導いたと戦争を正当化する人々がいるかもしれないが、その根拠は立証されていない、と法王は述べられて、次のように続けられた。
「今日、私たちが住むこの世界は、気候変動によって地震などの自然災害が増加するという問題に直面しています。地球温暖化により、ヒマラヤ山脈の氷河は溶け出し、降雪量も減少しています。私が住んでいるダラムサラでも、私が亡命した50年以上前に比べると降雪量が劇的に減少しています。ですから、私たちは希少な天然資源をより有効的に使う方法を見つけ出す必要があるのです」
「そのために、私たち人類が一つとなり、共に問題に取り組むべきなのです。この地球という惑星を守るために、そして人類の幸福のために、私たち一人ひとりが責任を分かち合う必要があります。”私たち”、”彼ら”などと二次的な違いによって人々を区別する考え方は、すでに時代遅れです。ですから、私はどこを訪問していても、人類は一つという理念を広めることに専念しています」
続いて質疑応答の時間に入ると、今も暴力で満ち溢れたこの世界に、非暴力という未来は訪れるのでしょうか、という質問が聴衆の一人から挙げられた。法王はこの質問に対して次のように答えられた。「人々の考え方も変わってきました。20世紀初頭においては、国が戦争を始めると国民は何のためらいもなく戦争に参加していましたが、このような状況は現在変わりつつあります。日本はかつて無慈悲な戦争を起こしてしまいましたが、今日では武力行使において、特に核兵器の配備に対する強硬な反対運動を率先して唱える国となりました。これらの変化に基づいて言えば、将来を楽観視してもよいのではないでしょうか」
次に、1959年に、チベットとブータンの国境に接するインドのタワンを通ってアッサム州のテズプールに亡命された時のことについて質問されると、当時のことはとても鮮明に記憶していると法王は答えられた。
「チベットの国境を越えると、タワンの人々は私をとても温かく迎えてくれました。地元の政府高官の方々も、インド政府の指示に従って私のことを手厚く世話してくださいました。そしてテズプールに到着すると、集まっていた大勢の報道関係者に向けて、私は最初の公式声明を発表したのです」
「昨日、かつて私が亡命した時にインド国境から私を警護してくれたアッサム・ライフル部隊の兵士の一人に会うことができました。彼は現在78歳で、私の方が年齢は上なのですが、彼の方が年上のように見えました。彼に再び会えた深い喜びで私の胸は溢れ、彼を抱きしめました。インドに亡命してから58年の時が経ち、私はインド政府の最も長く滞在する客人になりました。私は祖国を失い、残されたチベット人は幸せを奪われました。しかし、このインドの地で、チベット人亡命者たちとともに私は新しい自由を見つけることができたのです」
講演が終了すると、法王は大学副総長と数名の大学役員たちとの昼食会に参加された。昼食会の後、グワハティへ戻られる飛行機が出発する前に、ミアオとテズのチベット人居住区から講演会に参加した約500人の地元のチベット人たちと会見された。