モンゴル、ウランバートル
今朝、ダライ・ラマ法王は空港へ向かわれる前に、宿泊先のゲストハウスで記者会見を行なわれた。50名ほどの取材陣を前に、法王は、9回目のモンゴル訪問を成功裏に終えられた喜びを語られた。 「私はどこへ行っても、自分はこの地球に暮らす70億の人間のひとりにすぎないというお話をしています。私たちのだれもが幸せを求めていて、苦しみを求めていません。その意味で人類はひとつであり、幸福の真の源である心のよき本質を高めることが自分の使命のひとつであると考えているのです」
「チベットとモンゴルは、千年以上にわたって親密な関係を築いてきました。双方の国に仏教がもたらされる以前から、互いに隣人としてつきあってきたのです。いわばチベット人とモンゴル人は双子の兄弟姉妹のようなものかもしれません。蒙古斑と呼ばれる青色の小児斑があることも、私たちに共通しています」
「また仏教の修行においても、私たちは共にナーランダー僧院の偉大な学匠たちの教えを維持してきました。この4日間、たくさんの方々にお目にかかり、語り合い、そのなかで強調してきたことでもありますが、このようにモンゴルにはたくさんの僧院やお寺があるのですから、僧侶や在家信者の方々が仏陀の教えを勉強することはきわめて大切なことです」
「現在、インドのチベット人居住区に再建されたチベット僧院では、数百人のモンゴル人の僧侶が学んでいます。なかにはすでに15年から20年間学んでいる僧侶もいて、ゲシェ(仏教博士)の学位取得に向けた準備をしている人たちもいます。彼らは、ゆくゆくはここモンゴルで仏法のために活躍してくれるはずです」
次に、ジェツン・ダンパ9世の転生者について、法王は次のように語られた。
「従来、歴代のジェツン・ダンパとダライ・ラマは近しい関係にありました。ジェツン・ダンパ9世のことは、私も子どもの頃からよく知っていました。いつ、どこで逝くべきかと死期が近づいたジェツン・ダンパ9世が私に訊ねたときは、少し戸惑いました。しかし最後に会ったとき、彼の体調はきわめて悪化していましたので、再度モンゴルに生まれる必要があることをお伝えしました。ジェツン・ダンパの転生者が重要な存在であること、そしてジェツン・ダンパ9世が私の心の中に個人的な友人として在り続けていることから、私には彼の転生者の面倒をみる責任があると思っています」
「私は、彼の転生者がモンゴルに生まれたことを確信しています。しかし、その男の子はまだきわめて幼いので、急いで発表する必要はありません。その子が3歳か4歳、あるいは5歳になったら、いろいろなことがわかるでしょう。大切なのは、幼い子どもを高い地位に据えることではありません。彼が勉強できる環境をつくり、すぐれた僧侶となって仏法の繁栄に寄与できるようになることのほうがはるかに大切なのです」
最後に法王は、法王のガンダン・テクチェンリン僧院訪問を支援した関係諸機関への謝意を表明された。
ドナルド・トランプ米次期大統領について意見を求められると、法王は、「アメリカは長年にわたり、自由の象徴として世界を先導してきました。選挙期間中にさまざまな問題が浮上したとしても、国民が大統領を選んだのです。選挙期間中に候補者が述べることについては候補者の自由ですが、選挙が終わったら、勝者は目の前に立ちはだかる現実に取り組んでいかねばなりません。その意味で、私は心配していません」と語られた。
そして最後に、来年米国を訪問できると思うので、その際に新大統領に会う機会を持てることをたのしみにしている、と述べられた。
モンゴルをはじめ、法王が各国を訪問されるたびに中国政府が不満を表明していることに質問がおよぶと、法王は次のように述べられた。
「中国政府にとってはただの慣例にすぎません。日本とモンゴルは、私が訪問できる数少ない仏教国です。中国にも4億人を超える仏教徒がいて、その多くが私の中国訪問を望んでいます。一方で、中国政府は私のことを分離主義者として糾弾していますが、私は1974年以降、チベットの独立を求めていません。私が求めているのは真の自治であり、これは多くの中国人が、そして世界中の人々が知っていることです。チベット人のなかには、私が独立を求めていないことを非難する人さえいるほどです。しかしながら、私は当初から一方が勝者となり、もう一方が完全に敗者となるような闘いはすべきでないと考えてきました。大切なのは、双方が受け入れることのできる有益な解決策をみつけることなのです」
チンギスハーン国際空港に向かう時間になると、法王は、お加持を求めて待ち受けていた大勢のモンゴル人の間を通ってゲストハウスを出られた。空港に到着すると、法王はガンダン・テクチェンリン僧院の高僧たちに別れの挨拶をして、東京行きの飛行機に搭乗された。
法王は明日から2日間休息をされ、11月26日に埼玉医科大学で講演会を行なわれる。