モンゴル、ウランバートル
今朝、ダライ・ラマ法王をお乗せした車列は、朝日に照らされた街を縫うようにして本日の会場へ向かった。会場に到着すると、法王はまず150人ほどのジェツン・ダンパ・センターのメンバーに会われた。法王への報告として、センター所長が活動報告書を読み上げ、受刑者や地元のがん専門病院の終末期患者とその家族の精神的支援など、さまざまな活動内容を伝えた。
法王はセンターの取り組みを讃えられ、オーストラリアにおいても大乗仏教保存財団がホスピスを経営していることについて語られた。
「昔のチベット社会においては、僧侶が実際に社会奉仕活動に従事することはありませんでした。しかし、このような社会奉仕活動ができれば、とてもすばらしいことだと思います。かつてアルナーチャル・プラデーシュ州を訪問したときのことですが、地元の人々がキリスト教徒の人々は実際的な支援をしてくださると言って褒め称えていました。じつは彼らは、仏教の僧院は、布施は受け取るけれどキリスト教徒のような支援はまったくしてくれない、と不満を言いたかったのです」
法王は、はじめてタイを訪問されたときのことを思い出され、タイ仏教最高指導者サンガラージャに会われたときの話をされた。法王が、キリスト教徒の方々のように仏教僧も地域の人々のために社会奉仕をすべきでないかとお尋ねになると、サンガラージャは、「人里から離れて暮らすのは、修行に集中するために与えられた仏教僧の役目である」と答えられたという。法王は、それはもっともであるが、修行をさらに他者への奉仕活動に広げることができるならば、双方にとって有益なはずであると思ったという当時の胸中を語られた。
そこで法王は、ジェツン・ダンパ・センターに向けたアドバイスとして、「ラダックの仏教徒にも言いましたが、宗教センターというよりは、むしろ学術センターとして哲学と論理学を学ぶための場所にしていただきたいと思っています」と述べられた。
「多くの人々は、僧院は祈りを捧げる場所としか思っていないようです。しかし、仏教科学と仏教哲学を広く学ぶ場として門戸を開き、僧侶たちも宗教儀式を行なうことだけが自分の務めであるという制限をしなければ、他の宗教を信心する人々も、また一切の宗教を信心しない人々も、このセンターを日々の生活に役立つ知識を得るための場所として受け入れてくれることでしょう」
「かつてチベット仏教は、西洋の人々から否定的な意味合いでラマ教と呼ばれたことがありましたが、それはラマの役割として祈祷など宗教儀式ばかりが目立っていたためです。しかし、チベット仏教がナーランダー僧院の伝統を直接引き継いでいることを絶えずお伝えしてきたことで、最近では仏教の伝統を完全な形で引き継いでいるのがチベット仏教なのであるということを理解してくださる方々が増えてきました。チベット仏教が学びに重きを置いていること、またチベット仏教博士が祈祷などの宗教儀式を執り行なうだけではない学識ある教師であることは、多くの中国人仏教徒が高く評価するところでもあります。つまり中国人仏教徒の増加は、チベット仏教を学びたいという関心の高まりの表れでもあるのです。西洋の科学者たちさえも、チベット仏教の論理的なアプローチが科学者たちのアプローチに匹敵することを認めています」
続いて法王は、トリティヤ・ダルマ・チャクラ財団ならびにジェツン・ダンパ・センターの主催による「仏教科学と現代科学の会議」で講演をされた。講演のはじめに法王は、仏教科学と現代科学の関係については西洋諸国、インド、日本で開かれた会議においても話し合ってきたので、こうしてモンゴルの会議に参加できたことを大変うれしく思っている、と述べられた。
「私は仏教僧ですが、半分は科学者であると説明することがあります。というのは、私は30年以上にわたって、神経生物学、宇宙論、心理学、量子物理学を主とする物理学の研究者たちと対話を重ねてきたからです。きわめて有益な対話がもたれてきたのは、この四つの科学分野を理解するための土台として古代の仏教学者たちの著作があったからです。仏教学者や修行者が物理学を学ぶことによって恩恵を得ているのと同時に、現代科学者たちもまた、仏教の伝統である心と感情の働きについての情報に強い関心を示しているのです」
法王は、チベットとモンゴルの歴史的な関係にふれて、仏教が栄える以前でさえもチベット人とモンゴル人は兄弟姉妹のようであり、やがて両国においてナーランダー僧院の伝統が花開いたことを強調された。
ガンダン・テクチェンリン僧院のニャムサンブー氏が倫理学と道徳的な生活について語ると、法王は科学に関心を持たれている理由を説明されて、科学によって現実を明確に理解できるようになること、科学的証明が人間のよき本質を高めるうえで役立つことの二つを挙げられた。
神経科学者でカリフォルニア大学統合医療センターの臨床心理士でもあるヘレン・Y・ウェン氏は、瞑想を活用した脳神経科学の研究と仏教の社会的な役割について語った。ウェン氏は、慈悲の心を高める瞑想を繰り返すことによって利他的な行動が増えるだけでなく、苦しみに対する神経反応もまた増加することを明らかにした。また、パターン認識技術を用いることで脳の活動やさまざまな種類の精神活動をいかに正確に測定できるかについて説明した。これについて法王は、一点集中の瞑想は一時的に怒りを鎮めてくれるかもしれないが、なぜ怒りを感じているのか、なぜ慈悲の心によって怒りを克服できるのかということについて分析的な瞑想を行なうこともまた大切である、と述べられた。
午前の部が終わると、法王は在モンゴル・インド大使の招きを受けてインド大使館で昼食を取られた。
午後の会議が始まると、法王は、仏教科学と現代科学がどのように関わりあっていけるかについて説明された。
「私はいつも、仏教は科学、哲学、宗教という三つの側面を持っているということをお話ししています。哲学の面では『世俗の真理』と『究極の真理』を論じますが、宗教的な面では修行者のみがその対象となります。この仏教科学と仏教哲学を土台として、私たちは30年以上にわたって現代科学者たちと対話を続けてきたのです」
午後、最初にプレゼンテーションを行なったのは、モンゴル科学技術大学システム科学研究所のB.ボルドサイハン氏で、「仏教科学と現代科学をつなぐ」と題して瞑想と論理学について語った。続いて、物理学者のK.ナムスライ氏が量子物理学と仏教哲学の関係についてプレゼンテーションを行なった。ナムスライ氏は物理理論と自然の深いつながりについて語ると、最後に、遊牧民の幸せを祈ってくださるよう法王にお願いした。
神経生物学と解剖学の助教授で、ウェイク・フォレスト医科大学統合医療センターの神経科学副部長で心と生命会議のメンバーでもあるフェイデル・ゼイダン氏は、神経科学者の視点から、注意深さ(マインドフルネス)や瞑想、痛みについて語った。ゼイダン氏は、薬物を使用せずに痛みや苦しみを緩和する方法を確立する必要があることを強調し、心について注意深く観察する瞑想が不安や抑うつ、高血圧をはじめとする健康問題の緩和に役立つことを説明した。
最後に、生物学者のN.アリウン氏が仏教科学と仏教における研究の最新結果について語った。
法王は会議の終わりに、思いやりは人間の基本的な性質であること、思いやりは教育を通して高めることができることを強調されて、「思いやりが全ての人間に共通する本質的な性質であることに基づいて、“人類はひとつ”という意識を高めていかなければなりません」と述べられた。そして、そのためには未来への展望と決意が必要であるが、このような会議を開くことも目標の実現に寄与する可能性があることを強調された。
明日、法王はモンゴルの若者たちに向けて講演をされる。