スイス、チューリッヒ
今朝、ダライ・ラマ法王がグロスミュンスター大聖堂にご到着になると、クリストフ・シグリスト牧師がお出迎えし、福音教会、ヒンズー教、ユダヤ教、ローマ・カトリック教会の代表者を法王に紹介した。宗教指導者たちは法王とともに、千人もの人々であふれている教会に入場した。全員が着席すると、オルガン演奏によるバッハのトッカータが、建物内に鳴り響いた。
シグリスト牧師は聴衆にむかって、「私たちの兄弟」であるダライ・ラマ法王をグロスミュンスター大聖堂にお迎えすることは名誉であり、また、大きな喜びであることについて述べた。そして、「私たちとともに考え、祈るためにここにいらしてくださったのは大変重要なことです」と法王にお伝えし、各宗教の代表に祈りを捧げるよう促した。最初に、リコン僧院のチベット仏教僧侶が三帰依文と発菩提心の読誦を始めると、ダライ・ラマ法王もそれに加わられ、教会の中は厳かな旋律に合わせた祈りの声で満たされた。引き続き、イスラム教宗教指導者のイマム、ユダヤ教宗教指導者のラビ、ヒンズー教、キリスト教のプロテスタントとローマ・カトリック教会の代表の女性たちが、それぞれの方法で、人類の平和と正義のために祈りを捧げた。最後に、ハインリヒ・シュッツの「与え給え、我らに平和を」を歌う透き通った合唱が教会に響いた。
チベットの人々の古い友人であり、現在チューリッヒ地区代表を務めているマリオ・フェール氏は、「チューリッヒ地区政府と人々を代表し、皆様がここにお越しになり、今日、世界平和祈念式典に参加してくださったことを大変感謝しております」と述べた。法王は、教会の外で中継映像を見ている約700人の人々も含め、集まった人々に向けて次のようにスピーチを始められた。「精神的な兄弟姉妹の皆さま、ともに祈るために集まられた様々な宗教の指導者や信者の皆さまと共有しているこの場の雰囲気に、私はとても感動しています。これは私たちがお互いのことをよく知り合うための素晴らしい機会です」
「私たちが今ここで、心安らかに共に祈っているまさにこの瞬間にも、世界のどこかで人々が殺されています。宗教の名のもとに殺されているのです。もし、人が象や虎に殺されればニュースになりますが、人々が他の人々を殺しても、それは日常的繰り返しの中に埋もれてしまい、なかなか記憶に残ることはありません」
「しかし、たとえ事実がそうであっても、科学者たちは、基本的な人間の性質はやさしさと思いやりであると結論づけることのできる証拠を見いだしています。そして、私たちは生き残るために相互に依存しているのです。脅威に関しては、私たちすべてが気候変動に直面しており、国境は何の意味も持ちません。宇宙から私たちの住む小さな青い衛星を見ても、そのような境界線は見えないのです。これが、現実です。私たちは、お互いの違いを超えて、人類すべての福祉を考えなければなりません」
「私はお互いを理解することにより、幸せを促進することを私の使命の一つにしています。私たち人類は、身体的、心理的、感情的に見てまったく同じなのです。私たちは皆幸せな人生を過ごすことを望んでいますが、私たちが持っている“私たち” “彼ら”という強い感覚が、多くの場合私たちを分断してしまうのです。そのかわりに、人として私たちは皆同じであるという感覚を持つことが私たちには必要です。すべての主要な宗教の伝統は、愛、寛容、許しと自己修練についての同じメッセージを伝えており、あたたかな心をはぐくむことを通して、平和をもたらす潜在力を持っているのです。それぞれの宗教は様々な異なる哲学的見解を持っていますが、他者へのより大きな愛と慈悲を養うことを目的としています。人々の心に、他者に対するやさしさと思いやりを育むことが、宗教の共通の目的なのです」
法王は、ご自身の二つ目の使命は、仏教僧として、異なる宗教間の調和を図ることにあると述べられた。そして、信仰に基づいて献身的な活動をしたトマス・マートン、マザー・テレサ、他のイスラム教徒やヒンズー教徒の友人たちなど、感銘を受けた人々について語られた。宗教者同士の間で、尊敬と調和を創り出す必要についても強調された。法王は、1986年にイタリアのアッシジで行われた最初の世界平和祈念式典に、ローマ法王ジョン・ポール2世の招待で出席された時のことをふりかえられ、ローマ法王への感謝と共に、一回限りのイベントではなく、繰り返し続けて行うことがどれほど大切かを話されたことについて述べられた。
法王は、異なる宗教の信者同士がお互いのことを知り合うことがいかに重要かについても触れられた。同様に、学者と宗教指導者たちが集まって、それぞれの意見や経験を交換し、議論するべきであるとも述べられた。例えば、もしイスラム教徒が相手に血を流させてしまったならば、その人はもはや正しいイスラム教徒ではなくなるということや、アラーの創造物であるすべての生き物を愛することをイスラム教徒は約束しているということを、法王はインドや他の地域のイスラム教学者との議論を通じて学ばれたのである。その学者たちは、「ジハード」と呼ばれる聖戦は、実は、私たちの心をかき乱す煩悩を克服するための戦いを意味するということも、法王に説明したのである。
法王は、宗教間の調和を促進するために、他の人々の礼拝の場を巡礼することも奨励された。この実践は、法王ご自身が第三の使命とされていることであり、この実践を法王が始められたのは、1975年インドのベナレスからである。それ以降、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒たちと共に祈るためにエルサレムを訪問され、また、仏陀が悟りを開かれたインドのブッダガヤにある菩提樹の木の下で行われた1時間半の無言の瞑想にも、キリスト教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒の兄弟姉妹たちと共に参加されている。
ヒンズー教、仏教、ジャイナ教、シーク教のようにインドで発祥した宗教や、ゾロアスター教、キリスト教、イスラム教のように外国から伝えられた宗教も含め、世界の主要な宗教の伝統が、インドでは何世紀もの間尊敬と調和を保って共存してきたことについて、これは見習うべきよき例であると法王は述べられた。
最後に法王は、次のように述べられた。「もし、このように言うことが許されるなら、紛争や問題は私たち人間が作り出したものなのですから、平和を求めて神々や仏陀に祈ることがどれほど適切なのかと私は考えてしまいます。仮に、私たちがイエス・キリストや、仏陀やムハンマドに今お目にかかることがあったとして、『助けてほしいといっているこれらの問題を作り出したのは一体誰なのだ?それを何とかするのは自分たちの責任ではないのか?』と問われないとも限らない、と考えてしまうのです」
「私たちは、宗教間の調和を促進し、私たち自身の中に愛と慈悲の心をはぐくむということを、各個人が決意するべきだと感じています。もし、これを友人や家族に伝え、話しあうならば、このような考えを広めていくことができます。私たちの物質主義的な世界では、お金がすべてであり、最も重要なのだと考えているようですが、もし幸せな人生を送りたいのなら、お金よりはるかに大きな価値があるのは、あたたかい心をはぐくむことなのです。怒りや嫉妬が簡単に破壊してしまう心の平安を、あたたかい心が強化してくれるのです。私たちが持っている内なる価値に、より大きな注意を払うことにより、体も心もより健やかになり、世界平和に真の貢献をすることができます」
シグリスト牧師は法王のお言葉に感謝し、参会者全員に、アッシジの聖フランチェスコの平和への祈りを唱和するよう呼びかけた。
主よ
我をして、御身の平和をもたらす道具と為さしめ給え。
我をして、憎悪あるところに慈愛をもたらしめ給え。
争いあるところに許しを
分裂あるところに和解を
過誤あるところに真実を
疑惑あるところに信頼を
絶望あるところに希望を
暗黒あるところに光明を
悲嘆あるところに歓喜をもたらしめ給え。
ああ、我らが大いなるものよ。
我をして、慰められるよりも慰めることを求めしめ給え。
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを求めしめ給え。
我をして、与えんがために与えられていることを信ぜしめ給え。
ゆるさんがためにゆるされていることを、
己が身を捧げんがために
永遠の生命に生かされていることを信ぜしめ給え。アーメン。
シグリスト牧師は、シリア難民が教会に併設されたアパートでシェルターを提供されており、彼らが、宗教指導者、代表者、賓客への昼食を準備したことを聴衆に報告した。
昼食会が終わりに近づいた頃、フェール代表が、チューリッヒの金メダルを感謝の印として法王に捧げた。
車でチューリッヒ空港へ向かわれる法王を、教会の外の砂利道に集まったチベット人たちがお見送りした。法王は、チューリッヒからスロバキアの首都プラチスラヴァに向かわれ、古い友人であるキス・オブ・ザ・アットホーム・ギャラリーのスーザンとキャサバ・キス夫妻、及びスロバキア大統領のアドバイザーであるマーティン・ブトラ夫妻に出迎えられた。
明日法王は、午前中にコメンスキー大学の学生及び教職員と交流し、午後に講演を行われる。