スイス、チューリッヒ
今朝、ダライ・ラマ法王が次第に賑わい始めたチューリッヒの街路をハレンシュタディオン屋内競技場に向けて車で通られた時、町は冬の冷たい空気に包まれていた。しかし、競技場の入口には、法王を歓迎するため手に花を持った子供など、チベットの大勢の子供たちがにこにこ微笑みながら長い列を作って待っていた。
ホールに入られると、法王は演壇に向かって歩きながら、親しみのある顔を探して9千人の聴衆を凝視された。そして法座の背後に掛けられた仏陀、ナーガールジュナ(龍樹)、白ターラー菩薩の布製の大きな仏画(タンカ)に礼拝された。その後、法王が法座に着かれるとすぐに、法王に捧げる長寿祈願の法要が始まった。法要の終わりに法王は次のように語られた。
「今日はスイス在住のチベット人の皆さんが信心と帰依の心により、この長寿祈願の法要を執り行なってくださいました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。導師が長寿であるかどうかは、法要を行なうことよりも、師弟の絆の深さに係っています」
「チベットの文化は聞・思・修を重んじるナーランダー僧院の伝統に根差したものであり、私たちチベット人はその文化を千年以上も受け継いで来ました。チベット本土に住むチベット人たちはその精神を今も持ち続けており、亡命先に住む私たちは彼らを代表する立場にあります」
「今日は、まずナーガールジュナの『宝行王正論』の第1章について説こうと思います。この章には来世において善き生を得るための方法が記されています。そして次に、シャーンタラクシタ(寂護)の弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)がチベットで著された『修習次第』中篇について解説しようと思います。シャーンタラクシタの命によって建立されたサムイェー僧院には、倫理学、密教、瞑想、翻訳の各部門がありましたが、そこには中国のハシャン(摩訶衍和尚)が唱導する中国禅の宗派の僧侶たちも在籍していました。彼らの中には、仏法を学ぶ必要はなく、無念無想の禅定だけで悟りが得られると主張する者もいました」
「そこでカマラシーラが、シャーンタラクシタの推薦によりチベットに招聘され、カマラシーラはそのような僧侶たちの主張を問答において論破されました。当時のチベット王ティソン・デツェンはカマラシーラに対して、チベット人を導くためのテキストを書いて下さるように請願し、その請願に答えて三巻の『修習次第』が著されました。ですからこれは特別なテキストであると私は考えています。また、後にチベットが政治的に分裂した後にも、この王族の直系に当たる方々が同じようにアティーシャにチベット人のためのテキストを執筆して下さるように請願し、『菩提道灯論』が著されました。
「そして最後に、プトゥン・リンチェン・ドゥプと同世代の方であり、真の菩薩と考えられていたグルチュー・トクメ・サンポによる『37の菩薩の実践』を説きたいと思います。この3つのテキストのすべてを通読することはできませんが、いくつかの偈を選んで説明していきたいと思います。各自手元にテキストが配られているはずですから、家に持ち帰ってできるだけ何回も読むようにして下さい。私は『宝行王正論』の伝授をセルコン・ツェンシャプ・リンポチェから、『37の菩薩の実践』の伝授をクヌ・ラマ・テンジン・ギャルツェン・リンポチェから受けています」
法王は、仏教は世界の主要な宗教の一つであるが、仏教の中でもチベットの伝統は最も多くの教えを包含していて、他には残っていないディグナーガ(陳那)とダルマキールティ(法称)による論理学と認識論についての文献も残されていることを述べられた。独自の表記方法を持つチベット語は、仏教の概念を表現するために考案された言葉である。仏陀のお言葉(経典)とそれに対する注釈書(論書)は、人々が仏教に伝わる智慧について理解できるようにチベット語に翻訳された。また、仏陀ご自身が「私の言葉を私への信心から鵜呑みにしてはならない。金細工師が金を焼いて、切って、こすって純金かどうか調べるように、私の教えをよく調べ、分析してから受け入れなければならない」と弟子たちにおっしゃったように、仏法を学ぶことが極めて重要である。
続いて法王は次のように説明された。「ナーガールジュナの『根本中論偈』は般若波羅蜜(完成された智慧)の教えに焦点を当てており、このテキストについて説き、また自分で勉強することを通して、私はこの教えが大変役に立つことを実感してきました。そして『宝行王生論』はナーガールジュナの施主である王のために書かれたものです」
法王は『宝行王正論』の第1章を通読され、その最後に、熱望の菩提心を生起する短い儀式を行われて、いつも読まれる以下の偈を参加者とともに唱えられた。
その後法王は、チューリッヒの州知事、スイス・チベット友好協会会長、選挙で選ばれたチベット人の代表者たちを含むチベット支援に関わるスイス議会のメンバーとの昼食会に出席された。法話会はその後再開され、法王は以下のことにふれられた。成道後の仏陀は「私は極めて深遠なことを発見したが、それについて説いても誰も理解できないのではないか」と思案され、49日の間沈黙を守られた。しかしその後、以前、苦行を共にしていた仲間を探し出し、結果である苦しみとその原因、すなわち『苦しみが存在するという真理』(苦諦)と『苦しみには因が存在するという真理』(集諦)について説かれた。そして更に、結果の境地である『苦しみの止滅が存在するという真理』(滅諦)とその原因である『苦しみの止滅に至る修行道が存在するという真理』(道諦)について説明された。これら『四つの聖なる真理』(四聖諦)は四聖諦がもつ十六の特徴(四諦十六行相)によって明らかに示されている。
それから順を追って、仏陀は第二法輪の教えでは空性について説かれ、第三法輪の教えにおいては光明の心について説かれた。
次に法王は、『修習次第』を読み始められた。『修習次第』には、心とは何であるかについて、平等心を養うことについて、二つの菩提心、すなわち熱望の菩提心(発願心)と菩提行に入るという誓願の菩提心(発趣心)についてなどが説明されている。途中で法王は、演壇の前で戯れる子供たちの様子をしばしご覧になり、「子供たちは未来の希望です」という温かい言葉をかけられた。その後、法王は「ダライ・ラマ」という言葉の由来についてふれられた。一世と二世のダライ・ラマのお名前はゲンドゥン・ドゥプとゲンドゥン・ギャツォと言い、お二人ともゲンドゥンと呼ばれたので、その後に続くダライ・ラマも皆ゲンドゥンと呼ばれる可能性があったのだが、三世がパンチェン・ソナム・ダクパより受戒された際に、ソナム・ギャツォという名前が授与された。そして三世がモンゴルを訪問された時、アルタン・ハーンは「ダライ・ラマ」という称号を三世に贈ったが、「ダライ」の意味は、三世のお名前であるソナム・ギャツォの「ギャツォ」のモンゴル語に当たる。
法王は更にお話を続けられた。
「シュクデン(ドルギャル)について説明しますと、私はある時期シュクデンの修行をしていたことがあります。しかし、デプン僧院の偉大な導師の方々の中にはシュクデンに対する懸念を持っている方もおられました。そこで最終的に、私はシュクデンについての託宣を仰ぎ、その結果、修行することを止めたのです。また、ダライ・ラマ五世が、トゥルク・ダクパ・ギャルツェンがゲレク・ぺルサンの転生者として認定されたことを、『それは幸運なことである』と記され、また、『シュクデンはゆがんだ祈願の結果として顕れたものなので、他の生き物と仏法を傷つけている』と記されていたことを発見したのです」
「やがて、ガンデン僧院ジャンツェ学堂が障害に直面している時に、ティジャン・リンポチェがその理由を尋ねられたことがありましたが、リンポチェは、『それはパルデン・ラモが立腹された結果として生じたものである』とおっしゃいました。ジャンツェ学堂の人々はそのご立腹の理由について私に訊ねました。そこで私は託宣を仰ぎ、その結果、それは彼らがシュクデンの機嫌を取っていることと関係していることが示されました。私はそれについて内密にメッセージを送りましたが、やがてその言葉は外に漏れてしまいました。その結果、シュクデンの信者たちはシュクデン信仰を守るための組織を作りました。彼らは私を批難していますが、皆さんも私に反対する彼らの主張やデモ行動を目にしたことがあるかもしれません。そのように主張する彼らに対して、私自身は気にしていませんが、彼らが無明に基づいて行動していることを心配しています」ここまで話されると、法王はディルゴ・キェンツェ・リンポチェが著され、法王に加持をお願いした以下のダライ・ラマ法王への短い祈願文のルン(師が弟子にテキストを読んで聞せるか伝授)を授けられた。
その後、『修習次第』の観(鋭い洞察力)の成就方法について説かれている箇所に至ると、法王はツォンカパ大師の『修行道の三要素』から次の偈を引用された。
法王はブッダガヤでサキャ派の僧院長であるサンゲ・テンジン師と一緒にいらした時のことを語られた。サンゲ・テンジン師は『修習次第』のルンの伝授をカム地方出身の導師から受けられ、その伝授の際に導師はシャーンタラクシタの法座の上に座っておられたというのである。
そこで法王は次のように続けられた。「その時、私は即座に、『私にもルンを伝授してください』と言わずにはいられませんでした。『修習次第』は仏教王ティソン・デツェンの公式な請願に答えてカマラシーラがチベットで著されたものです。それは私たちチベット人が仏法との縁を深めるために、大変重要な出来事であったと感じています」
その後、法王は『37の菩薩の実践』を読まれた。そして菩薩戒を授かったなら、次に挙げる『宝行王正論』の3つの偈と『根本中論偈』の1つの偈を毎日読誦するべきであると述べられた。
『根本中論偈』より
そして法王は、スイスとチベットの強い結びつきについて言及された。スイスはインド以外でチベット人の移住を受け入れた最初の国であった。また亡命してから早い時期にスイスの赤十字がチベット人を大変助けてくれたことにも感謝の気持ちを表わされた。そして最後に、「21世紀の仏教徒として、盲目的な信仰に従うのではなく、仏陀が説かれた深遠な思想を理解するように努力するべきである」と、聴衆に対する最後のアドバイスを告げられた。
演壇を降りて外に出られた法王は、冷たい外気に当たりながら、この法話会を主催したチベット人グループのスタッフやボランティアとの記念撮影のため、しばし足を留められた。それが終わると車に乗り込まれ、滞在先のホテルに向けて出発された。