スイス、ベルン
リガをご出発前、ダライ・ラマ法王はロシアの知識人グループと短い会談をされた。
「格式張らない場としたいので、どうぞお気楽に」と述べられた後、自国を去り、亡命するという決断について問われた法王は次のように答えられた。
「歴史的に言って、政府の指導者には寛大な者も、時としてそうでない者もいました。ですが重要なのは、指導者は永遠に指導者なのではないということです。自由への希求は人間の基本的な性質です。チベットの場合は、我々チベット人は自身の文化と言語の保全に取り組んできました。一部のチベット人は亡命し、亡命によって得られた自由によってチベット人のアイデンティティを守っています」
「幸せを望み、苦しみを望まないという点であらゆる人間は同じです。私たちは同じように生まれ、同じように死んでいきます。どこに行き、誰と会うときも、私はすべての人を自分と同じ人間だとみなしています。今日の世界で我々は友人から寄せられる信頼を必要としています。私は人と会い、話をする自由を失いたくないと望んでいます。そして会う人すべてに心の平安を育んで欲しいと考えています」
ある神経科学者が、思考はどこから来ると考えておられるかと法王に尋ねた。法王は、感覚の知覚という点で言えば、そして意識の大半部分について言えば、完全に脳に依存していると述べられた。感覚が閉じて夢を見ているときも私たちはやはり脳に依存している。だが、死んで、脳に依存する意識が停止した後もある種の意識は残っている、と法王は述べられた。
その後話題は変わり、法王は、当時東ドイツの書記長であったホーネッカー氏が100年続くと宣言した一週間後にベルリンの壁が崩壊した思い出を語られた。中国ではこの40〜50年の間に大きな変化があった。今日の北京や上海では、人々は茶館に集って国の指導者を批判するようになっているが、それは少し前までは決してなかったことだ。一方、チベット人への統制はそれよりずっと厳しい。中国本土を訪れてみたら、そこにはかなりの自由があって驚いたと参加者の何人かが法王に述べた。
法王は、ゴルバチョフとエリツィンの時代に訪れた機会を西側社会はいかに逃してしまったかと述べるとともに、欧州連合(EU)はそれ以外の地域の人々が後に続くべきモデルだとして、今もそのすばらしさを感じていると述べられた。
「人々に真の情報が伝えられていなければ、良心を持たない指導者に操作されやすくなります。中国人観光客はインドを訪れるときチベット人に敵視されることを恐れますが、多くの場合、チベット人にはこだわりがなく、陽気で友好的です」
法王はリガからスイス連邦の首都で連邦市でもあるベルンに飛行機で移動され、車で直接「宗教の家」(House of Religions)に向かわれた。2014年に始まった「宗教の家」は、一つ屋根の下に8つの宗教団体の運営を行うプロジェクトである。数百名のチベット人とモンゴル人が建物の外に集い、法王が到着されると歓迎の歌を歌った。宗教の家のゲルタ・ハウク館長は玄関で法王をお迎えし、「宗教の家」の人々を紹介した。
アーユルヴェーダの伝統に基づく完全菜食の昼食会で、ハウク館長は60人の招待客の前で法王に対する正式の歓迎の辞を述べ、法王は、平和的方法で問題解決を図るという役割を果たされている良き模範だとしてそのご訪問に謝意を表した。ベルン市長のアレクサンダー・チャベット氏は、2008年の法王によるベルン訪問計画が中止になってしまった思い出を語った。その後、このような素晴らしい「宗教の家」ができ、法王にそれを見ていただけたことを嬉しく思うと述べた。
昼食後、法王は活気ある音楽と儀式によって南インドの雰囲気が醸し出されているヒンズー教寺院を皮切りにいくつかの礼拝所を訪問された。ヒンズー教寺院の後は、イスラム教のモスク、仏教とキリスト教の礼拝堂を訪問されて、それぞれに敬意を表された。
昼食会に招待された人々が対話に参加した。最初の言葉を求められた法王は次のように述べられた。
「ここに来られて大変嬉しく思います。一仏教僧として、私は宗教間の調和を育むことに取り組んでいますが、皆さんは宗教間の理解を深め、相互尊重の念を高めるための実践的な努力をされておられます。素晴らしいことです」
「あらゆる宗教は愛、赦し、自足、自制という同じメッセージを伝えています。こうした宗教の中には、一神教の立場に立って創造神を信仰する宗教もあれば、無神論の立場に立って個人の責任を強調するものもあるなど、それぞれの哲学的見解は違うかもしれません。ちなみに無神論の立場の宗教の中で、独立して存在する自己はないと説いているのは仏教だけです」
法王は、インドに根付く民主主義と相容れないカースト制度を例として挙げつつ、時代遅れで変革されるべき宗教の文化的側面について注意を喚起され、ご自身もインドの宗教的指導者の友人たちにカースト制度をより現代に馴染みやすいものに代えていくよう訴えたと述べられた。
ヒンズー教とイスラム教アレヴィー派の代表は、タミル人とクルド人は独立した祖国を持たない、と法王に述べた。これに対し、今日の国境の多くは帝国時代に自分勝手に決められたもので、住民の利益に十分な関心が払われていなかったと法王は述べられた。また、ユダヤ人国家の建国はパレスチナ人を失望させることになった例を挙げられ、今日、人類の一員である我々は全員、一つの家族に属しているという事実を忘れるべきでないと述べられた。
法王はヒンズー教の神官に対し、インドでよく言われていることについて述べられた。「シーラ(戒)、シャマタ(止)、ヴィパッサナー(観)という共通の修行内容を持つヒンズー教と仏教は同じ双子の兄弟のようなものであり、その違いは、ヒンズー教徒は独立して存在する自我であるアートマン(真我)を受け入れているのに対し、仏教はそれを否定していることです」
仏教徒と一般人の代表は、暴力的な世界で非暴力を標榜することの問題点を提起した。これに対し法王は、私たちは本質的に誰もが人類の一員だと述べられた。
「私たちは誰もが幸せな人生を望み、それを追求する権利を持っています。私は共通の経験、共通の感覚、そして科学の所見に基づいて人間的価値を広めようとしています。紛争を解決する手段として対話をする努力をすることは重要です。そうすれば21世紀は最終的に対話の世紀になることでしょう」
仏教には様々な宗派がありますが、ヴィナヤ、すなわち僧侶の戒は、パーリ語の伝統でもサンスクリット語の伝統でも共通です。私は機会があればいつでも、仏教徒が仏陀の教えをしっかり理解しつつ21世紀の仏教徒となれるよう励ましています。儀式や祈りだけでは十分ではありません」
法王はキリスト教とイスラム教の代表に対し、米国同時多発テロ以降、法王はイスラム教徒の味方をしていると述べられた。流血行為に手を染めるイスラム教徒はもはや正しいイスラム教徒ではないからである。正しい意味のジハード(聖戦)とは人間を敵とするものではなく、自分自身の破壊的な情動と戦うことを指しているということをイスラム教徒の友人から教えられた、と法王は述べられた。そして、スンニ派とシーア派の人々がここで良い関係を保っているのを見られて嬉しく思うと述べられた。
「和解を促進するため、皆さんの小さなコミュニティーのメンバーを紛争地域に派遣することを検討してください」と法王は述べられた。
バハーイー教とシーク教の代表が宗教指導者の役割について尋ねたところ、法王は、ヨハネ・パウロ二世によるアッシジの世界宗教会議の取り組みに対する称賛の念を述べられて、それは学者や真摯な信者たちが互いの共通点を議論し、互いの違いから何かを学ぶための素晴らしい機会だったと思い出を語られた。法王はヨハネ・パウロ二世に、こうした会議を定期的に開催するよう提言されていた。
司会を務めたハウク館長は「宗教の家」を訪問し意見交換をされた法王に謝意を示した。これに対し、法王は、「宗教の家」が他の一部の宗教間フォーラムが陥りやすい退屈な組織でないことがわかって、嬉しく思うと応えられた。
明日、法王は対話と団結の必要性について一般講演を行われる。