インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王は、今回の法話会の施主である台湾人グループの代表者たちを伴われ、ツクラカンに8時半に到着された。そして聴衆に向かって挨拶をされ、握手を交わされたり、笑顔で手を振られたりしながら法座へと向かわれた。
法座に着座されると、法王は次のように法話を始められた。「卓越した師であるナーガールジュナ(龍樹)は、釈尊は『二つの真理』(二諦)に基づいて教えを説かれたと述べておられます。二諦とは『世俗の真理』(世俗諦)と『究極の真理』(勝義諦)のことであり、『世俗の真理』とはすべての現象の現われに関する教えであり、慈しみと憐れみの心を育むことや菩提心の実践を含みます。一方、『究極の真理』(勝義諦)は、すべての現象の究極のありようである空に関する教えです」
そして法王は、マートリチェータによる以下の有名な偈頌を引用された。
仏陀たちは有情がなした不徳を水で洗い流すことはできない
その手で有情の苦しみを取り除くこともできない
自ら得た理解を他者に与えることもできない
ただ、真如という真理を示すことで有情を救済されている
この偈の要点は、仏陀たちは現実のありようを説くことによって有情救済をされているということである。法王は、概して教育は、人々の成長を助ける手段であるばかりでなく、無知を取り除く方法でもあるため重視されているのだと述べられた。現在、私たちは無知によって自分の健康を損ない、周りの環境を破壊している。近視眼的な狭いものの見かたによって盲目になり、自分たちで問題を作り出してしまっているのである。法王は、すべての無知の原因は、縁起に拠らず、ものごとが独立して存在しているという誤った捉え方にある、と述べられた。
そして法王は、次のように続けられた。「この21世紀においては、慣習的に仏陀に従うだけでは十分ではありません。他の主要な宗教の教えにも説かれているように、心の温かい人になる必要があり、やさしさと思いやりを育まなければなりません。一方でまた、仏陀の教えとは何について説かれているのかを知る必要があります。一点に集中した空の瞑想により、現実のありようを見抜く洞察力を得て、解脱に至ることができるのです」
「もし、解脱の意味がわからなければ、『四つの聖なる真理』の第三である『苦しみの止滅が存在するという真理』(滅諦)を理解することはできません。そうすると、苦しみの止滅に至る修行道としての仏法も理解することはできないでしょう。その結果として、僧伽(サンガ、出家者の集まり)の意味を理解することもできず、そうすると、現実のありようを説かれた仏陀の役割も理解できないことになります。ですから仏陀が何を説かれたのかを知ることは大切です。それを理解することで初めて、これからも仏法を保持していくことが可能になります。ですから、僧院の中だけで仏教の知識を受け継いで行くのではなく、一般の人々もそれを理解することが不可欠なのです。ナーランダー大学の伝統が持つ明らかな特徴の一つは、人間の知性を最大限に活用する、ということなのです」
「昨日、『四百論』にはチャンドラキールティ(月称)による註釈書があることをお話ししましたが、ケンポ・シェンガによる短い註釈書もあります。私は、ギャルツァプ・ダルマ・リンチェンの註釈書も参照しながら解説していきたいと思っています。このテキストには16章あり、前半の8章は修行の方法について、後半の8章は『究極の真理』(勝義諦)に焦点が置かれています。そして最初の4章は常・楽・浄・我(無常なものを常住なものと思い、苦しみを楽と捉え、不浄なものを清浄だと思い、無我を理解せず自我があると考える)という四つの誤った見解を捨てるべきことが述べられています」
法王はテキストに移られ、いくつかの偈を読まれてその解説をされた。偈の説明をされる中で、再び、すべての人に問題を引き起こす気候の変化について言及された。二酸化炭素の放出による世界的な気温の上昇がもたらす弊害についてふれられ、しかし、もし私たちが本気でこの問題に取り組めば、よき変化をもたらすことができると確信している、と述べられた。そして破壊されたオゾン層を元に戻すために効果的な対策が講じられ得るという例を挙げられた。すなわち、もし私たちが太陽光発電や風力発電で作られるクリーンエネルギーに切り替え、石油・石炭などの化石燃料の使用をできるだけ減らすように努力し、二酸化炭素放出の削減に真剣に取り組めば、既に生じてしまったオゾン層の破壊を元に戻し、修復することができるということを強調された。
法話の休憩時間に、法王のお姿を一目拝見しようとツクラカンの入り口に集まった聴衆。インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジュル / 法王庁)
法王は、意識の本質と意識の連続体の流れについて説明され、前世が存在することの証拠の一つとして、前世の記憶がある人の例を挙げられて、前世のことを鮮明に覚えているインド人の二人の少女に会ったことを話された。それについて科学者たちは、脳の機能以外に何かが存在し、それが意識であるかもしれないと考えて、意識に興味を抱き始めていると述べられた。法王は、人の生命が生まれるための肉体的な構成要素、つまり卵子と精液が完璧な状況の下で出会う時、必ず受胎が起こるのかどうかを質問したことがあると語られた。その質問に対する科学者たちの答は「ノー」であり、それは他の要因、つまり意識が介在していることを示唆している。
法王は1959年以降、チベット亡命社会において30人あまりの人が、臨床的な死が宣言された後も暫らくからだが暖かいまま保たれていたことを語られた。そして、それは最も微細な意識がからだに留まっているために起こる現象であることを説明された。この最も微細な意識には始まりもなく、終わりもない。その最も微細な意識の連続体の流れは、仏陀の境地に至るまで途切れることなく続いていくものなのである。
4章の最後の方に記されている王と統治者に対するアドバイスの偈に進まれると、法王は、21世紀において私たちは民主主義を支持しているが、選ばれたリーダーたちが、民意に従い、民衆への責任を果たすことが民主主義である、と述べられた。
そして法王は、来世においても善き生を得るために、今生の楽への執着を放棄するべきことが説かれている最初の4章の解説が終わったことを告げられた。明日は、解脱に至るための方法について、とりわけ菩薩の行ないについて記された5章から法話を始められる。
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