フランス、ストラスブール
今日、ダライ・ラマ法王はナーガールジュナ(龍樹)の『菩提心の解説』についての法話を行なわれた。会場となったポストモダン建築のゼニス・ド・ストラスブール屋内競技場には、8,800人の聴衆が集まった。法王はチベット語で話され、マチウ・リカール師が表情豊かに巧みにフランス語に通訳した。さらに、FMシステムを利用して、英語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、中国語、ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語の通訳も行なわれ、世界に向けてインターネットで生中継された。
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会場に集まった8,800人の聴衆に壇上から挨拶をされるダライ・ラマ法王。2016年9月17日、フランス、ストラスブール(撮影:オリビエ・アダム)
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法王は会場に到着すると、車を降り、直接ステージに向かわれた。そして、ステージ上の旧知の僧侶たちに挨拶されると、聴衆に挨拶するためにステージの端に進まれた。
「親愛なる法友のみなさん、今日、私たちは仏教のテキストを一緒に学びます。仏教には、仏教全般に関する教えと、各修行者に個別に授けられる教えがあり、後者の多くはタントラ(密教)の教えです。今日の教えは仏教全般に関する教えであり、仏陀の教説の中でも最も優れた教えである般若経に基づいています。般若経の隠れた意味については、『大乗荘厳経論』など般若経の注釈書においてマイトレーヤ(弥勒)が明確に解説されています。一方、般若経の明らかな意味については、ナーガールジュナがその著作『根本中論偈』、『空七十論』、および『六十頌如理論』において明確な解説をされています」
「8世紀、チベット国王ティソン・デツェン王はシャーンタラクシタ(寂護)とパドマサンバヴァ(蓮華生)をチベットに招聘し、仏教をチベットの国教としました。シャーンタラクシタは、当時のナーランダー僧院の優秀な学僧の一人です。そのことは、『中観荘厳論』(Madhyamaka-alankara)と『真理綱要』(Tattvasamgraha)というシャーンタラクシタの著作において明らかにされています。シャーンタラクシタの弟子カマラシーラ(蓮華戒)は、師の後を追ってチベットに赴かれ、『真理綱要』の註釈書を著されました」
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ダライ・ラマ法王の説法が行なわれた屋内競技場ゼニス・ド・ストラスブールのステージの情景。2016年9月17日、フランス、ストラスブール(撮影:オリビエ・アダム)
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「大成就者パドマサンバヴァは、チベットへの仏教弘布を妨げる障害を打ち負かし、25人の直弟子に深遠なる教えを授けられました。その結果、チベットにはナーランダー僧院に伝わる仏教の伝統が花開き、その後守り続けられる宝庫となりました。チベット仏教はしばしばラマ教と呼ばれ、まるで正統な仏教ではないかのように言われることがあります。しかし、早い時期にナーランダー僧院の伝統が中国、韓国、日本、ベトナムに伝わったのと同様に、チベット仏教のすべての伝統もその起源をたどるとナーランダー僧院にまでさかのぼります。サキャ派は大成就者ヴィルーパとなられた学僧ダルマパーラを、カギュ派はナーローパを、ニンマ派はシャーンタラクシタを拠り所としています。一方、新旧のカダム派(カダム派とゲルク派)もまたナーランダー僧院の伝統に依拠しています。ナーランダー僧院の伝統は、チベット仏教のすべての流れの源なのです。チベットの土着宗教であるボン教さえも、今日ではその大部分に仏教の伝統を取り入れています」
法王は、現在の幸運な劫には千人の仏陀が現れるが(賢劫千仏)、そのうちの四人の仏陀(四仏)がすでに出現された、と述べられた。四人目の仏陀である釈尊は、高貴な家柄にお生まれになったが、この世界の苦しみの兆しに心を動かされて、恵まれた人生を棄て、6年にわたって苦行を重ねられた。そして、ついに菩提樹の下で坐り、悟り(菩提)を得るまでは決して立ち上がらないと心に決められ、三更と四更
(注)の間(午後11時ごろから午前4時ごろ)坐り続けられた。
注:更とは、夜間の時刻の変わり目のこと
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ゼニス・ド・ストラスブールで行なわれた法話会で説法をされるダライ・ラマ法王。2016年9月17日、フランス、ストラスブール(撮影:オリビエ・アダム)
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法王は次のように説明された。釈尊の教えについては、パーリ語とサンスクリット語の伝統の両方を参照するのがよく、どちらの伝統も、僧院の規律である律の伝統に基づいている。チベット仏教では根本説一切有部律の伝統に従っており、比丘は253戒を守る。一方、ビルマ(ミャンマー)、タイ、スリランカなどの仏教では上座部の伝統(パーリ律)に従っており、比丘は227戒を守る。あらゆる意図や目的において、両者が意味している戒律は同じである。
次に法王は、釈尊が説かれた「四聖諦」(四つの聖なる真理)の教えについて説明された。「四聖諦」は、「苦諦」(苦しみが存在するという真理)、「集諦」(苦しみには因が存在するという真理)、「滅諦」(苦しみの止滅が存在するという真理)、「道諦」(苦しみの止滅に至る修行道が存在するという真理)であり、これこそが釈尊の教えの根本である。「四聖諦」は、四つの真理が持つそれぞれ四つの特徴と関連づけて理解すべきである(四諦十六行相)。例えば、「苦諦」は、無常、苦、空、無我によって理解すべきである。そして、「四諦十六行相」の理解によって「三十七道品」(悟りに至る三十七の修行)の実践が可能になる。
釈尊は、初転法輪において「四聖諦」を説かれた。第二転法輪では、般若波羅蜜(完成された智慧)の教え、すなわち般若経が説かれた。長短さまざまな般若経典があるが、『般若心経』では般若波羅蜜を25偈で説き示しており、「色即是空 空即是色 色不異空 空不異色」(色は空であり、空は色である。空は色とは別のものではなく、色もまた空と別のものではない)と、「甚深四句の法門」によって空について説いている。法王は、空とは色(形あるもの)などの特性であり、空と色は別々のものではない、と述べられた。同様に、受(感受作用)、想(表象作用)、行(意志作用)、および識(認識作用)などのいかなる存在であれその本質は空であり(固定的実体はなく)、概念作用によって単なる名前を与えられただけの存在なのである。
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ダライ・ラマ法王の説法を聞きながら、テキストを目で追う参加者。2016年9月17日、フランス、ストラスブール(撮影:オリビエ・アダム)
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『般若心経』が参加者たちによってフランス語で唱えられ、法王は次のように述べられた。
「私は60年にわたって空について考えてきました。40年ほど前に、粗いレベルの無我について理解したときには、雷に打たれたように感じました。以来、長い年月にわたって私は空について考え続けてきました。そして、そのおかげで、私はネガティブな感情(煩悩)を減らすことができたと思います」
法王はナーガールジュナの『菩提心の解説』に戻り、次のように述べられた。ナーガールジュナの弟子たちがこのテキストに言及していないという理由から、ナーガールジュナの著作ではない、という学者たちがいる。しかし、弟子たちは、ナーガールジュナのタントラ(密教)に関する他の著作については言及しておらず、このテキストは「秘密集会タントラ」(グヒヤサマージャ・タントラ)に関連している。法王は、自分はルン(師が弟子にテキストを読んで聞かせる伝授)を受けているが、ティー(解説による伝授)は受けていない、と言われた。これは中央チベットにおける『八千頌般若経』の場合に似ている。このテキストの主題は菩提心であるが、他者のために菩提を得ることを熱望するという「世俗のレベルの菩提心」だけではなく、むしろ、「エ・ヴァム」という二文字の種字に結びつけられる「楽空無別」(大楽智「ヴァム」によって空性「エ」を直観的に理解すること)や「二諦無別」(勝義諦に結びつく義の光明「エ」と、世俗諦に結びつく清浄なる幻身「ヴァム」が一体化している状態)という「究極のレベルの菩提心」について解説されている。
昼食休憩の後、法王は真剣にテキストを読み上げられ、いくつかの重要な偈について説明を加えられた。
- 46偈
- 特徴もなく、生じることもなく、
- 〔実体的な〕存在がなく、言説の道もない
- 虚空と菩提心と悟りは
- 不二という特徴を持っている
- 48偈
- 故に、すべての現象の土台であり
- 寂静で幻に等しく、〔実体にとらわれる〕よりどことろがないという
- 輪廻を打ち砕くこの空について
- 常に瞑想するべきである
- 73偈
- この空について
- このようにヨーギ(修行者)が瞑想するならば
- 利他をなそうという慈悲の心が
- 起きることに疑いはない
法王は、「今日、この世界には70億の人間がおり、誰ひとりとして苦しみを望んでいないにも関わらず、苦しみを生むような行ないに身を任せています」と述べられた。そして、これらの偈が美しい響きを持つことに触れられて、シャーンティデーヴァも『入菩薩行論』の中で同様の助言を述べていることを付け加えられた。
- 76偈
- この世の善趣と悪趣という
- 望む結果と望まぬ結果は
- 有情を利益することと
- 害することから生じる
法王は、結論としてヴァスバンドゥ(世親)のおことばを引用し、「釈尊の教えは、経典の教え(三蔵の修学)と、実践に基づく体験の教え(三学の実践)から成り立っている」と述べられた。仏法が興隆し、盛んになるには、私たちが学び、実践することが不可欠である。
明日、法王は午前に世自在観音の灌頂を授けられ、午後は一般講演に臨まれる。