今日午前中、ダライ・ラマ法王はステファーン・メールベーゲン氏によるインタビューを受けられた。これはベルギーのフラマン語テレビ局VRTの朝のニュース番組で放映される。最初に、ヨーロッパとベルギーのご滞在を楽しまれているかと訊ねられた法王は次のように答えられた。「はい、楽しんでいます。こうしていると、欧米を初めて訪問した1973年のことを思い出します。当時、私はBBCのマーク・タリー氏に、欧米諸国を訪問するのは自分を世界市民だと思っているからだとお伝えしました。私は楽天家ですから、普遍的な価値のあるホリスティックな教育を目指して順当に努力すれば、21世紀の末には当時より幸福で平和な世界が実現すると信じていました」
第5および最終セッションの司会を務めたのはテェオ・ソワ女史だった。ソワ女史は芸術家のオラファー・エリアソン氏を壇上に呼び、彼の活動を紹介した。エリアソン氏がホールの天井に設置された幾何学的な光の彫刻作品を指し、屋上の太陽光パネルから電力が供給されていることを説明すると、会場の人々はみな作品を見上げた。この芸術作品にはその場にいる発言者と聴衆が共有する基準点としての役割があり、エアリソン氏は水と光のいたずらによって生まれる虹と、それを見ている私たちの知覚がどのように関わりあっているかについて語った。また同氏は、電力の届かない地域で暮らす人々に明かりを届けるため、小さな携帯用のソーラーランプをつくるプロジェクトに取り組んでいると述べた。
次に、長年にわたって平和活動と社会変革推進活動を行なってきたシーラ・エルワージー女史が次のように語った。「私は長い間、さまざまなレベルで核兵器計画に関わっている人々と話し合ってきました。他の人々を守るために自分の身を危険にさらしている兵士の皆さんや、戦争を回避する術を知っている上層部の方たちともお話ししてきました。私たちの兵器は何の役にも立ちません。兵器を所有あるいは使用しても、気候変動や貧富の格差といった、現在人類が直面している大きな脅威を解決することはできません」
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「心と生命会議」最終日、プレゼンテーションをするシーラ・エルワージー女史。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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そして、エルワージー女史は続けてこのように語った。「確実に戦争を回避するために私たちができることについて、私はある計画をまとめようとしています」
エルワージー女史は、25年以上にわたってどのようにして話し合いの場をつくり、政策決定者とその批判者とを和解させてきたかについて語った。「この計画が始まって5年目に入る頃、話し合いが行なわれている部屋の隣やすぐ下の階で座禅を組んで瞑想してもらうようにお願いしたのです。するとあるとき、アメリカの国務省の担当者が、話し合いをしている部屋には特別な何かがあると訴えてきました。私は瞑想している人がいることを彼に打ち明けました」
平和を確保するもうひとつの働きかけとして、エルワージー女史は、平和時のコストと戦争時のコストを対比して示す事業コスト計画書を作成してきた。「世界が戦争で13兆ドルを失おうとしているとき、仮に平和であれば1.7兆円を生み出すことができます。地球の平和を確保するために一般の人々ができることとして、子どもたちに瞑想のしかたを教えてほしいと親御さんから学校に訴えていただきたいと思います」
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芸術複合施設ボザールで開催された「心と生命会議」で、発表に対する意見を述べられるダライ・ラマ法王。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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法王はこのプレゼンテーションを受けて、2014年にケープタウンからローマに開催地が変更されたノーベル平和賞受賞者会議に出席したときのことを語られた。「その会議で、核戦争防止国際医師会議(International Physicians for the Prevention of Nuclear War / IPPNW)の代表が、現在行なわれている主な核攻撃の応酬がもたらす結果について語ると、会場の人々は凍りつきました。会議は最終的に、核兵器の削減と廃絶に向けたタイムテーブルを作成し、核保有国をそのタイムテーブルに従わせることで合意しました。しかし、いまのところ何も実現していません。断固として核兵器反対を貫いている日本に依頼して、核廃絶に向けた運動を先導してもらうべきかもしれません」
これを受けて法王は次のように語られた。「行動を起こさないという選択肢を政治家たちから奪わなくてはなりません。核兵器が消えたら、次はその他の一般的な兵器の廃絶に取り組むことができます。人間には共通の感覚があり、人間の基本的な性質はやさしさなのです。人々の認識が高まって教育が徹底されれば、武装解除された世界を実現できると私は信じています」
やがて、シーラ・エルワージー女史のプレゼンテーションと、それに続く法王のお言葉を熱心に褒め称えるように、会場から大きな拍手がわき起こった。
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「心と生命会議」最終日、プレゼンテーションを行なうフレデリック・ラルー氏。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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次に、フレデリック・ラルー氏が、組織における「力とケア」についてプレゼンテーションを行ない、次のように述べた。「これは特に欧米で顕著なことですが、非常に多くの人が職場に幻滅していて、新たな対策を必要としています。人はよく、あるものを別のものに例えるものですが、私たちは組織を機械のように見る傾向があります。自分の身体でさえ、あるがままの生命体としてではなく、機械として見てしまうのです。組織を生命体として見た上で現状を打破する方法とは、権力の序列を変化させることです。たとえば、上長を頭に据えたピラミッド型の序列を排除すると、安心感が消えて恐怖心が生まれます。また、組織は生命を持たないプログラムされた機械ではないので、組織の目的と将来的な姿は違って当然なのです」
司会のテェオ・ソワ女史が新しい職場の形とはどんなものかと訊ねると、ラルー氏はオランダにある医療機関について語った。「この医療機関はかつて、機械を査定するような厳しい評価を行なっていました。看護師の行動は能率で評価され、ひとりひとりに点数がつけられていたのです。その結果、仕事の効率は低下し、看護師も患者も強い不満を抱えていました。あるとき、看護師が同僚の看護師4人といっしょに新しい組織を立ち上げました。この組織はあっという間に看護師1万4千人を抱えるようになり、市場占有率75%を占めるまでに成長しました。従業員数は飛躍的に増え、患者の満足度も格段に上がりました」
法王はこのプレゼンテーションを受けて、実に感銘を受けたと語られた。「すべてのものごとは互いに持ちつ持たれつの関係にあるため、この方法は理にかなっています。大切なのは、真の改革をもたらそうと努力することなのです」
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「心と生命会議」の最後に、プレゼンター全員とステージに立たれるダライ・ラマ法王。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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そして、テェオ・ソワ女史が「この会議で学んだことについて考えてみてください」と問いかけると、フレデリック・ラルー氏が次のように答えた。「私たちがここにいるのは、それぞれが異なる視点を持っているからです。私はいま、そうした異なる視点を活かして何ができるかを考えています」シーラ・エルワージー女史は、男性の中にも女性の中にもある明らかな女性性の力について述べ、男性性と女性性の構成要素のバランスを取り戻すにはどうしたらいいかと法王に訊ねた。
法王は次のように答えられた。「大切なのはいつも愛と思いやりの心です。愛と思いやりを執着と取り違えてはいけません。愛と思いやりとは、他の人々の幸福を真摯に願う心です。そうした思いやりの心は、最終的には努力なしに自然に生じるようになります。私たちは互いに依存し合っているため、他の人々の幸福を願うことは自分自身のためになることでもあるのです」
また法王は、会場の人々がここで発表された話を熱心に聞いていたことに触れ、「より平和な世界をつくるために、私たちひとりひとりが貢献しなければなりません」と締めくくられた。そして、タニア・シンガー女史が3日間の会議の内容を総括した。シンガー女史は、警備にあたったチベット人を含む会場のすべての人たちに感謝の言葉を送った。
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ブリュッセル・エキスポでお話をされるダライ・ラマ法王と、その横でメモを取る通訳のフランス人僧侶マチウ・リカール氏。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム) |
昼食後、法王は街外れにあるブリュッセル・エキスポまで車で移動された。この地で開催される「個人の誓約と普遍的責任」と題した法王の講演を拝聴しようと、会場には1万人もの人々が集まっていた。欧州「心と生命会議」の執行役員サンダー・タイドマン氏は法王を壇上に迎えた後、著名なふたりのゲスト、ブリュッセル首都圏地域議会のシャルル・ピック氏とフラマン議会のジャン・ピューマン氏に、このイベントについての紹介を依頼した。それが終わると、法王はご自分の横にふたりが座れるようにと椅子をふたつ所望された。
「私は人とお会いするとき、相手も自分も同じひとりの人間だと思っています。私たち人間は同じように生まれ、同じように死んでいきます。私たちは兄弟であり、姉妹なのです。私たちが直面している問題の多くは、他の人々を同じ人間同士として見ずに、些細な違いにとらわれていることから生じています。『私の国』『彼らの国』とか、『私たち』『彼ら』といった考え方にこだわるあまり紛争や暴力が起こり、結果として、20世紀には二度の世界大戦が勃発してしまいました。現在、気候変動や頻発する自然災害が問題となっていますが、この問題を作ったのは私たち人間なのです」
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ダライ・ラマ法王の講演会が開かれたブリュッセル・エキスポのステージ全景。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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「時々、やさしさは弱さを象徴するものだと考える人もいるようですが、これは間違っています。弱さを象徴するのは怒りであって、やさしさは強さを象徴するものなのです。さらに、誰かにやさしさを示すとき、その相手だけが得をすると考える人もいますが、これも誤りです。やさしさと思いやりを育むことで、一番初めに恩恵を受けるのは私たち自身です。人にやさしくすると、心が安からになって自信が生まれます。表裏のない正直な行動ができるようになり、友達が増えます。友情は信頼から生まれるものであり、その信頼は他の人々の幸福を心から願うときに花開くものなのです」
「物質的な目的を志向し、内なる価値、つまり、基本となる普遍的な価値をないがしろにする現代の教育は十分なものではありません。しかし教育によって知性を身につければ、そうした内なる価値を心に育てることができます。こうして教育を通じて人類の幸福を増進することは、私の第一の使命だと思っています」
そして法王は、特に会場の若い人たちに向けて次のように語られた。「私の第二の使命は、ナーランダー僧院の伝統を引き継ぐ仏教僧のひとりとして、また学生のひとりとして、異なる宗教間の調和を推進することです。インドでは、世界の主要な宗教が数世紀にわたって平和的に共存してきましたが、これは異なる宗教間の調和は実現可能であることを示す良い例です。そして、私の第三の使命は、チベット人としての使命であり、チベット内外のチベット人が希望を託せる存在となることです」
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ブリュッセル・エキスポで、ダライ・ラマ法王に質問しようと列に並ぶ参加者たち人々。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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次に法王は、会場の人々の質問に答えられた。質疑応答は英語で行なわれたが、マチウ・リカール氏がフランス語に通訳し、さらに大型ディスプレイにフラマン語の字幕が表示された。法王は次のように語られた。「私は連日の心と生命会議で、自然科学者の皆さんとお話させていただきました。私がこの会に参加したのは、科学者の皆さんと仏教徒が交流することはお互いの役に立つことだと考えているからであり、実証を重んじる科学の視点において普遍的価値を確立する可能性を見出したかったからです」
続いて法王は、ブリュッセルや近隣地域からやってきた3,500人を超えるチベット人たちに向かって呼びかけられた。「亡命して57年になりますが、皆さんはチベット人としてのアイデンティティを保っているうえに、民族の独自性は世界に広く認められています。そして、ここにお集まりの皆さんに申し上げたいのですが、チベット人を支援し、雇用してくださっている皆さんの高い道徳心も世間に広く認知されています。ただしごく稀に、本来の目的からずれて、良い評判を保つためにそうした努力が推奨されている場合もあるようですが…」
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ダライ・ラマ法王のお話を聞こうと集まった3,500人を超えるチベット人たちに挨拶をされるダライ・ラマ法王。2016年9月11日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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法王は、21世紀の仏教徒はどうあるべきかについて語られ、それは、仏教とは何かを明確に理解していることである、と説明された。「仏教徒であるためには、ただ真言の読誦や儀式を行なうだけではなく、たくさん勉強することが必要です。そして、これは私たちチベット人が誇りに思っていることですが、最も完全な仏典集の翻訳はチベット語で読むことができるのです。チベット王ティ・レルパチェンが暗殺され、政治的に分裂したチベットの国において、チベット人は宗教文化とチベット語を拠りどころにしてひとつに団結してきたのです」
長い一日を終えた法王がステージを去られるとき、会場の前列にいた小さな子どもたちが「さようなら」と法王に手を振った。法王はこれに答えて、「さようなら」と手を振り返された。