心と生命会議2日目の朝、ダライ・ラマ法王がブリュッセルの芸術複合施設ボザールに到着されると、人々が回廊に並んで法王にひと目ご挨拶しようと待っていた。初日のパネリストは科学者が中心であったのに対し、本日はさらに広く宗教と社会・経済分野からパネリストを迎えて、「愛と慈悲に基づく力とケア」についてさまざまな観点から対話が行なわれた。はじめに司会進行役のジョアン・ハリファックス老師が法王にお言葉を求めると、法王は次のように述べられた。
「このような対話の場を持てたことを大変光栄に思っています。私には三つの使命がありますが、その一つが、異なる宗教間の調和を図ることです。異なる宗教間の調和には、堅固な土台があります。なぜなら、すべての伝統宗教が共通して、愛、思いやり、寛容、許し、自己規制を高めることを説いているからです。哲学的見解や創造主としての神の存在を受け入れているかいないか、非暴力に対する取り組みかたなどは異なりますが、愛と思いやりの教えはすべての宗教が土台としています。またさまざまなアプローチがあることによって、さまざまな時と場所で、さまざまな気質の人々に、愛や思いやりの大切さを呼びかけることができるのです」
「2001年の9・11テロ以降、私はイスラム教を擁護してきました。イスラム教徒が血の雨を降らすならば、もはやイスラム教徒ではないことが明らかだからです。正当な信仰心がもはやないのですから、テロの実行者たちをイスラム教徒のテロリストとか、仏教徒のテロリストとか、無頓着に呼ぶのは間違っています。私は、真のイスラム教徒は殺戮をしないという話をイスラム教徒の友人たちから聞き、イスラム教徒の学者たちとの対話においてもこれを確認しました」
「また、宗教の文化的な側面というものは、とりわけ時と場所に深く関連しています。インド人の友人たちが話してくれたのですが、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラが生きておられた時代には広く動物の生贄が行なわれていて、経済にも影響を及ぼすほどだったといいます。マハーヴィーラは非暴力主義を厳守して生命を尊ぶことを説くことによって、このような状況に対処されたのです。また、アラビアで最初にイスラム教が説かれたのは、規律がほとんどない、無法な暮らしをしていた遊牧民に対してでした。コーランにおいてイスラム法が述べられているのはこれが理由です。たとえばダライ・ラマが政治と宗教両面の最高指導者の役割を担っていたような、封建主義に見られるような制度は変えていかねばなりません。インドにおいても、後世まで差別を生むようなカースト制度は時代遅れであり、これを業(カルマ)のせいだとか、創造主の意思だとか考えるのは間違っています」
「伝統宗教を信心する仲間として、私たちは互いに目を向けあい、連絡を取り合っていく必要があると思います。これには原理主義者と呼ばれている人々も含まれます。なぜなら、私たちはみな人間として平等であるからです」
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「心と生命会議」2日目の午前の部で、プレゼンテーションを行なうフランス人僧侶で科学者のマチウ・リカール氏。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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ジョアン・ハリファックス老師が、マオリ族酋長のポウリーン・タンジオラ女史に意見を求めると、タンジオラ酋長は、「人間はみな、良いことにも悪いことにも使うことのできる力を与えられている」と語った。そして、金儲けのために農作物の種子の質を落としたり、ダムを建設することによって水利権を侵害している多国籍企業を厳しく非難した。タンジオラ女史は、土地は人間がきちんと世話をしなければ、人間に悪影響を及ぼすことを確信しているのである。
フランス人僧侶で写真家でもあるマチウ・リカール氏は、「私たち人間は、智慧と思いやりの心を用いることによってはじめて力を正しく使うことができる」と述べ、一切有情を苦しみから救うために悟りの境地に至りたいという仏教徒の利他の熱望について語った。これは知性の正しい使いかたである。またリカール氏は、「真実という力を掲げることや非暴力の実践は弱々しく思われることが多いかもしれないが、むしろ勇気と強さの現われである」と語った。そして最後に、「力というものは、苦しみを減らし、幸せを増やすために使うべきである」とまとめた。
ユダヤ教律法学者で、人間的価値を促進するために設立されたヤコブ・ソエテンドープ研究所(the Jacob Soetendorp Institute for Human Values)の創設者であるアワラハム・ソエテンドープ師はパネリストたちに向けて、「互いに助け合い、共通の目標を達成しなければならない」と語り、続いて法王に、人間であることにおいて私たちはみな同じである、という意見に同感であることを伝えた。ソエテンドープ師は、「良心の評議会」を設立することを提案し、「法王を設立者のひとりとしてお迎えしたい」と述べた。そして最後に、ユダヤ教徒とイスラム教徒が、イスラエル人とパレスチナ人が、チベット人と中国人が互いに愛し合える時が来ることを願っている、と語った。
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「心と生命会議」2日目の午前の部で、アラー・ムラビット博士の発表を聞くシェリー・マリー・クロー神父。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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シェリー・マリー・クロー神父は、他者の話に耳を傾けるというケアの在りかたを称賛し、この精神は心と生命会議のロゴマークにも映し出されているのではないか、と語った。そして、「私たちは愛することを選ぶが、それは選ぶ自由があるということである。つまり選ぶことによって世界を変えるのである」と語った。
ボイス・オブ・リビアンウーマン(リビア人女性の声 / the Voice of Libyan Women)の創設者であるアラー・ムラビット博士は、力とケアは多くの場合において両立しないと考えていたと述べ、その理由は、信心することをはじめて知ったのはモスクにおいてではなく、11人の子供を育てていた母親を通してであったからである、と語った。またムラビット博士は、イスラム原理主義者という言葉に違和感を覚えるとして、まるで信仰を土台としているかのような呼称であるが、実際はこのように呼ばれている人々のほとんどがイスラムの教えに背いていることを指摘した。ムラビット博士は最後に、「政治の手段として信仰を用いるならば、誠実に取り組まなければならない」と語った。
そこで司会者が法王に意見を求めると、法王は、1975年以降世界各地のさまざまな伝統宗教の聖地を巡礼しておられることについて語られた。法王は先日もインドのラダックにある仏教寺院を訪問された際に、友好のしるしとしてスンニ派のモスクとシーア派のモスクも訪問されている。法王は、インドやマレーシア、インドネシアといった国々の子供達はさまざまな宗教があることを意識しながら成長するので、自分が信心している宗教だけが正しいという狭いものの見かたをする傾向がないことを強調された。そして最後に、「健全な努力を続けていくことによって良い結果が生まれると確信しています」と述べられた。
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「心と生命会議」2日目の午前の部で、マオリ族酋長のポウリーン・タンジオラ女史に謝意を伝えられるダライ・ラマ法王。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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法王はポウリーン・タンジオラ女史の手を取られ、伝統的習慣とアイデンティティーを維持しつつ現代教育の推進を図っているマオリ族の取り組みを称えられた。土着の民が生き残るには、このような取り組みが不可欠であると法王も考えておられるのである。
アラー・ムラビット博士が、男らしさ、女らしさというものを再評価する必要がある、と語ると、法王は、「およそ200カ国の指導者にもっと女性がいたならば、より平和な社会になっていたかもしれません」と述べられて、より多くの女性が指導者としての役割を担うべきである、という考えを明らかにされた。拍手が沸き起こると、法王は、「男性による支配はもうじゅうぶん受けてきました」と述べられた。ムラビット博士が、宗教という基準においてもだれもが平等となる機会を与えられるよう、不平等な構造に立ち向かいましょう、と提唱すると、大きな拍手喝采とともに午前の部は幕を閉じた。
経済学者のウヴェ・ジャン・ホイザー博士の司会のもとで午後の部が始まると、経済的・社会的な視点から力とケアについて対話が行なわれた。ホイザー博士は、経済学がもともとは幸福学であったことを指摘すると、世界を変えることについて説明するのが専門の経済学者と、意欲的に世界を変えるのが専門の社会活動家をそれぞれ二人ずつ聴衆に紹介した。
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「心と生命会議」2日目の午後の部で、プレゼンテーションを行なうデニス・スノーワー教授。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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キール世界経済研究所(Kiel Institute for the World Economy)のデニス・スノーワー所長ははじめに、「私たちは人間としてそれぞれ異なる生を受けているが、人間であることにおいては等しい」と述べ、私たちには自分の利益、ケア、力という三つの共通の動機があるのだから、もっと協力しあってはどうかと提案した。スノーワー所長は、1990年以降、モノやサービスの需要が拡大したことによって10億人が貧困から抜け出したことを指摘した。ケアに関する限り、他者を助けることが利益となるのである。スノーワー所長は、相手の立場に立って、逆の視点から物事を考えることによって共通の土台を築くこと、そしてこれが心や行動を変える方法であることに言及した。
午後の部が中盤に入り、司会者が法王に意見を求めると、法王は、「経済については、重要であるという認識があるだけでまったくわかりません」と述べられた。通常、法王は社会主義的な見解を好まれるが、それはマルクス主義の公平な分配という理想に共鳴しておられるからである。法王は、「昨今の資本主義社会において、裕福な者はますます裕福になる一方で、貧しい者は貧しいまま、あるいはますます貧しくなっていることを残念に思います」と述べられた。
ブラバトニック公共政策大学院(Blavatnik School of Government)のポール・コリアー教授は、経済の専門家たちは概してひどく保守的で、科学が古典力学から量子物理学に移行したことに気づかないまま19世紀の物理的仮説にしがみついている、と指摘した。法王は、「私たちはみな互いに依存し合っています。依存していなければ、こんにちのグローバル経済はありません。つまり私たちに必要なのは友人なのです。友人というものは信頼があってはじめて得られるのであり、信頼は、相手の幸せを考慮することによって生まれるのです」と述べられた。
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「心と生命会議」2日目の午後の部で、プレゼンテーションを行なったテェオ・ソワ女史とダライ・ラマ法王。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリバー・アダム)
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アフリカ女性開発基金(African Women’s Development Fund)のCEOであるテェオ・ソワ女史は、社会における男性と女性の役割とケアする力について雄弁に語った。ソワ女史は、女性や子供達と関わる現場にいて、世界の価値体系がゆがんでしまったと感じていると語った。そして、「この状況を変えるには、経済的な変革が必要である」と続けた。ソワ女史は、より多くの仕事を女性に任せるならば、より良い結果が生まれることを確信しているのである。さらにソワ女史は、「女性は早起きをして朝食を用意し、子供たちが学校に行く準備をしてやり、夫を仕事に送り出し、家事をこなし、子供たちや夫が帰ってくるまでに夕食を準備するが、夫が友人を連れて帰り、その友人に『奥さんは何をしているの?』と訊かれたら、『何もしていない』と誇らしげに答えるのが夫というものである」と語った。
ソワ女史は、価値体系がゆがんでいるのは、女性が自分のしていることに対して適切な評価をもらっていないからであると主張した。国際コミュニティが出資先を検討する際にも、女性の献身に目が向けられることはほとんどない。最後にソワ女史が、「もっと平等な方法で世界を見つめる必要があるのではないでしょうか」と述べると、聴衆が次々と立ち上がり、拍手を送った。会場が百雷のような拍手喝采に包まれると、法王も「じつに素晴らしいプレゼンテーションでした」とソワ女史を祝福された。
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「心と生命会議」2日目の午後の部で、プレゼンテーションを行なうノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズ女史。2016年9月10日、ベルギー、ブリュッセル(撮影:オリビエ・アダム)
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平和活動家でノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズ女史は、法王とデズモンド・ツツ元大主教が「男性たちがめちゃくちゃにしてしまったのだから、今度は女性たちの出番です」と述べられたことを主題に取り上げ、若者たちに未来をつかむことを呼びかけるためのピースジャム(Peace Jam)という社会運動について語った。ウィリアムズ女史は、「人間には人権があるのと同時に人間としての責任もあることをもっと知ってほしい」と述べると、「私たちはみな力を持っていますが、この力を使うか使わないかを決めるのは私たちなのです」と明言した。
午後の部の最後に、法王はもう一度、ご自身の三つの使命に触れられ、その使命とは、人類全体の幸福を促進すること、異なる宗教間の調和を促進すること、チベットの平和文化と自然環境の保護に取り組むことの三つである、と述べられた。そして、折に触れてこの三つの使命をメディア関係者たちに伝えているのは、メディア関係者には恐ろしい出来事や悪いニュースだけでなく、人間のよき本質を伝え、勇気づける責任があるからである、と説明された。また法王は、「教育の向上を図ることが、未来に対する希望の源です」と述べられた。より平和で、幸せで、公正な世界を築くためには、一人ひとりの取り組みが必要である。このことを世界中の人々が理解するようになるとすれば、それは教育を通してのみなのである。
「現状を変えていく責任は、私たち一人ひとりにあるのです。自分に何ができるのか、どうか考えてみてください」と、法王は締めくくられた。