ボルダー市のスザンヌ・ジョーンズ市長は、「法王猊下においでいただけて、私たちはたいへん恵まれています」と述べた。そして、思いやりがあるだけでは十分でなく、私たちは実際にそれを行動に移すべきだという法王のお言葉を引用した。市長は、昨日は一日中仕事をする“サイクル”であった、と言って、法王にサイクリング・ジャージと白いサイクリング用ヘルメットを贈呈した。すると、法王はすぐにそれをかぶって声を立てて笑われた。法王は、「『般若心経』には般若波羅蜜(智慧の完成)の真言が説かれており、この真言は修行道を旅する道程を示していますが、私たちはこの精神修行の旅において自分を守る必要があります。ですからこの贈り物はその象徴と考えることができます」と言われた。そして法王は、下院議員と市長のスピーチに感謝の意を表明し、法話を始めるために着座された。
「兄弟姉妹の皆さん、私たちはからだや精神、そして感情面においても皆同じ人間だと私は考えています。より平和な世界と健康によい環境を守るために、時々私たちは他の人たちを指差して、こうするべきだ、ああするべきだ、と言います。しかし、変化は私たち一人ひとりから始まります。ひとりの人がもっと思いやりを持つようになれば、それが他の人々に影響を与えます。そうすれば、私たちは世界を変えることができるでしょう」
そして法王は、これから解説するのはチベットの導師ゲシェ・ランリタンパが著された「心を訓練する八つの教え」という短いテキストであり、ご自身が何十年にもわたって毎日誦えられている教えである、と述べられた。このテキストでは論理と知性が用いられており、これがナーランダー僧院の伝統の特徴となっている。
法王は、海外で仏教の教えについて説明する時はいつも、それぞれの国には独自の精神的な伝統があり、西洋諸国では、それは主としてユダヤ教とキリスト教であるということを認識している、と付け加えられた。法王は、一般的には、自分が持って生まれた宗教を維持するべきだと助言されている。しかし、その一方で、誰にでも選択の自由があり、ある人には仏教が特に役立つこともあるということも認められている。インドでは長年にわたって、異なる宗教的伝統が互いに協調してきた。サーンキャ学派、ジャイナ教、仏教のようなインド発祥の伝統宗教と、ゾロアスター教やキリスト教、イスラム教などの外来的な伝統宗教が、ともに調和を保って共存している、と法王は述べられた。

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ダライ・ラマ法王の法話会場となったクアーズ・イベントセンターのステージの情景。2016年6月23日、アメリカ、コロラド州 ボルダー(撮影:グレン・アサカワ、コロラド大学)
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「これらのすべての伝統宗教では愛と思いやりが説かれており、それをより効果的にするために寛容と許しも説かれています。怒りは多くの場合、欲望と執着に関連して生じるので、利他行の実践を守るために知足(持つもので満足すること)が説かれています。以前、私はスペインで、山の中で隠者として修行生活を送るキリスト教の修道士にお会いしました。わずかなパンとお茶だけで暮らしている方でした。彼にどのような実践をしているかを尋ねると、愛について瞑想しているとのことで、その目は思いやりと喜びに輝いていました。彼は、物質的には質素な暮らしをしていましたが、精神的に豊かでした。すべての伝統宗教は善き人間を生み出す力を持っていると私は信じています」
法王は仏教に話を移され、パーリ語の伝統(上座部仏教)では「四聖諦」(四つの聖なる真理)と「三十七道品」(悟りに至る三十七の修行)という仏教の根本的な教えがどのように説き示されているかを説明された。「三十七道品」の中の「四念処」(四つの注意深い熟考)のうち、「身念処」(身体についての注意深い熟考)は、身体が不浄なものであることを知ることにより、「苦諦」(苦しみが存在するという真理)の理解を深めることができる。「受念処」(感覚についての注意深い熟考)は、感覚は苦しみの因であることを知ることにより「集諦」(苦しみには因が存在するという真理)の理解につながる。「心念処」(心に関する注意深い熟考)は、心は無常であることを知ることにより、「滅諦」(苦しみの止滅が存在するという真理)の理解を深められる。「法念処」(その他の現象に関する注意深い熟考)は、現象の無我を知ることにより、「道諦」(苦しみの止滅に至る修行道が存在するという真理)の理解を深めることができる。
精神科医であるアーロン・ベック氏によれば、私たちは怒りや執着の対象を完全に否定的なものとして、あるいは完全に魅力的なものとしてとらえているが、そのうちの95%は自分自身の心の投影に過ぎないという。これはナーガールジュナ(龍樹)のお言葉と一致する、と法王は述べられ、ナーガールジュナの『根本中論偈』から次の偈頌を引用された。
- 行為と煩悩を滅すれば解脱に至る
- 行為と煩悩は誤った認識から生じる
- それらの妄分別はすべて戯論から生じる
- 戯論は空によって滅される
- (第18章第5偈)
法王は、量子物理学では「客観的にそれ自体の側から存在するものは何もなく、物質は現れている通りには存在しない」と言われていることを述べられ、再び『根本中論偈』から次の偈を引用された。
- 何でも縁起しているものは
- それは空であると説く
- それは〔他に〕依存して仮設されたものなので
- それは中の道である
- (第24章第18偈)
- 故に、縁起しない現象は
- 何ひとつ存在していない
- 故に、空でない現象は
- 何ひとつ存在していない
- (第24章第19偈)
本質的には、何ひとつ実体を持って存在しているものはない、ということを理解すれば、私たちの執着は減っていく。これは、ナーランダー僧院の導師たちの哲学的見解が単なる見解の主張だけでなく、実際に私たちの役に立つということを示すよき事例である。すべての現象の究極のありようについて明確に理解することは、私たちが破壊的な感情(煩悩)と闘う際の有効な武器となる。一方で、利他心は、私たちの利己的な態度をなくすための対策となる。

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クアーズ・イベントセンターで説法をされるダライ・ラマ法王。2016年6月23日、アメリカ、コロラド州 ボルダー(撮影:ツェリン・チュニ)
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法王は、私たちの感情をよりよいものに変容させるためには知性を使わなければならない、と述べられた。仏教徒であるならば、私たちは21世紀の仏教徒とならなくてはいけない。つまり、仏教についてもっと勉強するべきだということである。
「私はまもなく81歳になります。しかし、私は今もなお偉大な導師たちの生徒だと考えています。チベットには『悟りを得るまで、仏教の修学は終わらない』ということわざがあります」
「心を訓練する八つの教え」のテキストを手に取られると、法王は次のように述べられた。このテキストの著者ゲシェ・ランリタンパは、ディーパンカラ・アティーシャに連なるカダム派の導師である。アティーシャは、チベットの仏教王の請願により『菩提道灯論』を著され、チベット仏教に大きな影響を与えた。「心を訓練する八つの教え」はインド仏教の古典文献に依拠しており、直接の典拠はシャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』である。さらにその典拠は、ナーガールジュナ(龍樹)の『宝行王正論』と『菩提心の解説』であり、このナーガールジュナの著作の典拠は、『華厳経』の「入法界品」である。
法王は「心を訓練する八つの教え」の第1偈を唱えられ、「私」という言葉を読む時は、「私」(自我)について考察することを勧められた。
※「心を訓練する八つの教え」の解説ページは
こちら
- 私はすべての有情のために
- 如意宝珠にもまさる
- 最高の目的を達成しようという決意によって
- 常に有情を慈しむことができますように
- (第1偈)
以前、法王が宗教間会議で会われたスーフィー教の導師は、すべての宗教は次の三つの問いに答えているという話をした。「私」とは誰か?「私」はどこから来たのか?「私」はどこに行くのか?という三つの問いである。仏教では、他に依存せず独立して成立する「自我」(私)の存在を認めず、「自我」はからだと心に依存して名前を与えただけの存在である、と主張している。
法王は、謙虚であるようにと説く第2偈、煩悩を滅する対治について説く第3偈、そして、悪い性質を持った人を慈しむべきことを説く第4偈を続けて読まれた。第5偈では、自分の幸せを他者に与え(トン)、他者の苦しみを自分が引き受ける(レン)というトンレンの実践が示され、第6偈では、敵とは最良の教師であると説かれる。第7偈では、トンレンが別の側面から説かれ、最後の第8偈では、私たちの実践は「世俗の八つの思惑」(世間八法)によって汚されてはならず、すべての現象は究極的に幻のように実体のない存在であるということが説かれている。
- 誰と一緒にいる時でも
- 自分を誰よりも劣った者とみなし
- 他者を最もすぐれた者として
- 心の底から大切に慈しむことができますように
- (第2偈)
- いかなる行ないをする時も、自分の心をよく調べ
- 自分と他者を害するだけの煩悩が
- 生じるやいなや真っ向から立ち向かい
- すぐさま力ずくで対治することができますように
- (第3偈)
- 悪い性質を持った有情たちが
- 悪行や辛苦に苛まれているのを見た時
- 貴重な宝を見つけたかのように
- 得がたいものとして大切に慈しむことができますように
- (第4偈)
- 誰かが私に嫉妬して
- 罵倒し、侮辱するなどひどい目にあわせても
- 負けは自分が引き受けて
- 勝利を他者に譲ることができますように
- (第5偈)
- 私が助けてあげて
- 大きな期待を寄せていた人が
- 理不尽にも私をひどい目にあわせたとしても
- その人を聖なる導師とみなすことができますように
- (第6偈)
- 要約すると、直接的にも間接的にも
- 母なるすべて〔の有情たち〕に利益と幸せを捧げ
- 母〔なるすべての有情たち〕の被害と苦しみをみな
- ひそかに私が引き受けられますように
- (第7偈)
- これらのすべて〔の修行〕が
- 世俗の八つの思惑に汚されることなく
- すべての現象は幻のごときものと知って
- 執着を離れ、束縛から解放されますように
- (第8偈)

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質疑応答セッションでダライ・ラマ法王に質問をする参加者。2016年6月23日、アメリカ、コロラド州 ボルダー(撮影:グレン・アサカワ、コロラド大学)
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法王は、法話の最後に、「心を訓練する八つの教え」の第1偈を3回唱えて菩提心を生起するという短い儀式に聴衆を導かれ、菩薩戒を授けられた。続いて、釈迦牟尼、観音菩薩、文殊菩薩、ターラー菩薩の真言を伝授された。
昼食後、法王は一般講演のためにステージに戻られた。九千人もの聴衆が席に戻るまでの間、法王は質疑応答の時間を設けられた。人生の目的とは何かという質問に対しては、幸せになることである、と答えられた。また、より思いやりのある子育てについての質問には、ご自身には子育ての経験がないので尋ねる相手としては適切ではないが、親はできるだけ多くの愛情を注ぐべきだと答えられた。手話通訳つきの講演などはよくあるが、法王が手話通訳を介して実際に質問されたのは初めてのことである。法王はその質問者に対して、私たちは普通教育のカリキュラムの中に世俗的倫理教育を組み入れる方法を見つけなければならないが、現時点ではまだ十分な準備は整っていないことを伝えられた。そして、やさしさと思いやりなどの人間的価値は、私たちすべてに共通の体験や、常識、科学的知見に基づいて高められなければならない、と述べられた。
法王はこのテーマについて話を続けられた。もっとあたたかい心と思いやりが必要とされていることを繰り返し強調され、私たちは今、互いに深く依存しあっているのだから、自分自身の利益のために人類全体のことを考慮すべきだと指摘された。法王は、私たちの真の希望は、現在30歳未満の、21世紀に属する若者たちにあると明言された。若い世代の人々が、今、過去の過ちから学び、今までとは違うよき未来を創り出していくなら、今世紀の後半には、世界はより幸せでより平和な場所となるに違いない。
そして法王は、次のように締めくくられた。
「私のお話ししたことが理にかなっていると思うなら、それについてよく考え、友人と議論し、実行してみてください。私は時々若い女性をからかってこのようにお話ししています。若い女性は美しくなるために、細心の注意を払って化粧品などを使っています。見た目の美しさを気にするのもかまいませんが、外見の美しさよりもずっと大切なのは、あたたかい心を持つという内面の美しさなのです」
聴衆が拍手喝采し、声援を送ると、法王は手を振りながら会場を後にされた。明日、法王はインディアナ州に向かわれる。