「私たちチベット人は、過去二千年にわたるチベットの歴史のなかで最も困難な時代を生きています。かつては、チベット三域全体を損なうほどチベット人同士で争っていた時代もありましたが、単にそれだけのことでした。しかし、現在の私たちは、チベット人の文化とアイデンティティーが生きるか死ぬかという重大な問題に直面しています。これはカルマの結果なのかもしれませんが、それでも、チベット本土のチベット人と同じように、亡命中のチベット人もまた、強靭な精神を守り続けてきました。数ある難民のなかでも、私たちチベット人は勇気と同胞への献身において抜きん出ていると思います。皆さんは、家庭で子どもたちにチベット語を教えていると聞きましたが、すばらしいことです。ぜひ仏教についても教えてあげてください」
「考古学的見地から、チベット人は古代から存在していたと考えられています。アムドで発見された石器時代の道具は3万年前のものと推定され、チャムド(昌都)の人工遺跡は七千年前、ンガリで発見された遺跡は1万年前のものと推定されます。ここで重要なのは、私たちチベット人が千年以上も前から独自の文字を使っていたということです。今日、チベット語がナーランダー僧院の学匠たちの思想を伝えるのに最も適した言語であることは、誇りにしてよいと思います」
「チベットのティソン・デツェン王の母君は中国人でしたから、中国から仏教を導入することもできたはずです。しかし王は、仏教の源に教えを求めるという決断をして、インドからシャーンタラクシタ(寂護)をチベットに招聘されました。シャーンタラクシタはご高齢でしたが、パドマサンバヴァ(蓮華生)の助けを得て内外の障壁を克服し、サムイェー寺を創立されました。中国から来た禅僧たちは、仏教の教えを学ぶ必要はない、という見解を示しましたが、カマラシーラ(蓮華戒)は、教えをよく学び、学んだことについてよく考え、それを心に馴染ませていくことが大切である、と明確に説かれました。以来、私たちはこの方法を千年間にわたって実践してきました」
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チベット人会の会合で、参加者にお話をされるダライ・ラマ法王。2016年6月19日、アメリカ、カリフォルニア州 アナハイム(撮影:ドン・ファーバー)
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「そしてこれが、カンギュル(経典)とテンギュル(論書)を尊き仏典として祭壇に飾っておくだけではいけない、と私が言う理由なのです。また、かつては凶作を防ぐという目的で、カンギュル(経典)とテンギュル(論書)を肩にかついだ行列が畑の周囲を練り歩く習慣がありました。しかし仏典は、読んで勉強するためのものです。古典的な仏教のテキストの学習にもっと力を入れるよう、私は40年間にわたって尼僧院や儀式のみを行ってきた僧院に呼びかけてきましたが、今年は、何名かの尼僧に正式に仏教博士号を授与することができそうです。マディヤ・プラデーシュ州バンダーラのチベット人居住区を訪れたとき、学生たちが私の前で問答をしてくれました。それがとてもすばらしかったので、誰が教えたのかと訊ねると、あるひとりの尼僧であることがわかりました。彼女はじつにすばらしい教育者でした。とはいえ、ゲシェマ(女性の仏教哲学博士)になっても、比丘尼戒に関する問題は続きます。西洋人のフェミニストたちのなかには、その決定権が私にあると思っている人たちがいるようですが、これは私の権限で決められることではありません。戒律(ヴィナヤ)に関することを決められるのは、僧院内の学者たちだけなのです」
「ダラムサラとラダックには、仏法を学んでいる在家の人々のグループがあります。今年のはじめにミネソタ州ロチェスターの病院で治療を受けた後、ウィスコンシン州オレゴンのディアパーク(鹿野苑 )を訪れました。そのときに行なった講演のなかで、私は、ナーランダー僧院の伝統が培ってきた心と感情に対する取り組みと、心理学者のポール・エクマン博士が親子で取り組んでいる研究を結び合わせるならば、学びのセンターとして一層幅広い土台が築かれ、より多くの人々に役立つものとなるでしょう、と話しました」
最後に法王は、中国においても時代に合わせた変化が必要であることを示唆された。法王は、元チベット亡命政権議会議長のペンパ・ツェリン氏を、ダライ・ラマ法王北米代表部事務所の次期代表として紹介すると、大変よろこばしいことである、と述べられた。
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デューグ・ベトナム仏教寺院の落慶式でお話をされるダライ・ラマ法王。2016年6月19日、アメリカ、カリフォルニア州 ウェストミンスター(撮影:バーバラ・ドュクス)
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デューグ・ベトナム仏教寺院に到着すると、法王は、ベトナムの伝統的な傘と音楽による歓迎を受けられた。全員が起立して、チベット国歌、ベトナム国歌、アメリカ国歌、そして英語による仏教讃歌を捧げ、続いて1分間の黙想をした。貫主ティク・ヴィエン・リー師はスピーチのなかで、デューグ・ベトナム仏教寺院が世界の平和と幸福のために寄与できることを願っている、と語った。そして、法王のご訪問を実現に導いたテンジン・ドンデン氏の尽力に対する謝意を伝えた。チー・タ市長は、法王の提言のおかげで、ウェストミンスター市は「思いやりの街」となることができた、と語った。国会議員のアラン・ローウェンタール氏は、この特別な落慶式に参加できたことを嬉しく思っている、と語った。また、ジャネット・グエン上院議員は、デューグ・ベトナム仏教寺院が思いやりとやさしさを育むための場となるよう期待している、と語った。
法王は、基調講演のなかで次のように述べられた。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、暑い太陽の下で再びご一緒することができました。私は、釈尊の教えを学んでいる生徒であり、とりわけ、ナーランダー僧院の伝統に基づく教えを学んでいます。皆さんがこの寺院を建てることができたことを大変うれしく思っています。皆さんのなかには、私のような亡命者もおられます。私は、皆さんがベトナムの文化や伝統を守っておられることを心から称えています。これは世界のさまざまな場所でも目にしてきたことであり、本当にすばらしいと思っています。米国は、自由の先頭に立つ国家です。暮らしが少しでも良くなるようにと願ってこの国に来られた皆さんに、米国政府と米国民は手を差し伸べてきました」
「しかしながら、経典の教えと、実践に基づく体験的な教えを維持するための唯一の方法は、勉強と実践です。仏典を読んで勉強し、三学の修行を実践することが必要なのです。他に方法はありません。仏陀がすでに説かれていることに注意を払わなければなりません。私はもうすぐ81歳になりますが、今も自分は生徒であると考えています。古代インドの伝統仏教は、「止」と「観」の瞑想の実践を深めることにより、心と感情の働きを深いレベルで理解するに至りました。破壊的感情(煩悩)を鎮め、前向きな感情を培うための方法は、今日の社会のために私たちが提供できることのひとつです。ゆえに皆さんには、この寺院をだれもが心と感情について学ぶことのできる学習センターとし、他の宗教を信心する人たちもここに集って、親交を深めることができるような場とすることを検討していただきたいと思っています」
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デューグ・ベトナム仏教寺院の落慶式で、落慶法要の儀式をされるダライ・ラマ法王。2016年6月19日、アメリカ、カリフォルニア州 ウェストミンスター(撮影:アン・カオ)
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寺院のなかで、法王は花びらを宙に撒きながら、吉祥偈を唱えられた。ベトナム語の読誦に続き、チベット人僧侶たちが『ラムリム(菩提道次第論)の相承系譜の導師たちへの祈願文』と『般若心経』を読誦すると、『吉祥経』がパーリ語で唱えられ、さらに韓国語による読誦が捧げられた。
法王は、短いお話を始めるにあたり、仏陀への礼讃偈を唱えられた。そして、宗派の異なる兄弟姉妹たちがこれほど多く集まったことは、大きなよろこびである、と述べられた。法王は、ベトナム人の経頭が手元に置いていたチベットの金剛鈴を手にされると、この金剛鈴は空を理解する智慧を表わすので、菩提心を表わす金剛杵と共に用いるとよいでしょう、と述べられて、「金剛鈴は、鳴子のみで、あるいは縁(ふち)のみで音を出すのではありません。鳴子と縁が一緒になってはじめて音を出すのです」と説明された。
「さきほど『般若心経』を唱えましたが、『般若心経』は、空の見解を説いた般若経の教えを簡潔にまとめたものです。『般若心経』のなかで、「五蘊もまた、その自性による成立がない空の本質を持つものである」と述べられているのは、五蘊などをはじめとする法無我だけでなく、人無我も間接的に説かれていることが示されています。『般若心経』の真髄は、「三世におわす全ての仏陀たちもまた、般若波羅蜜をよりどころとして無上の完全なる悟り(無上正等覚)を達成して仏陀となられたのである」(三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提)と述べられている部分にあります。菩提心を生起することによって直接的に補完される空の理解が、完成された智慧の土台なのです」
「『
色
は空である。空は
色
である』(色即是空 空即是色)と述べられていますが、空とは何でしょうか? 物質的な存在(
色
)を調べ、分析するならば、それ自体の側から成立している実体のある物質的な存在ははない、ということがわかるでしょう。つまり、
色
は他の条件に依存することによって存在しています。ものの現われと空は、互いに補い合って存在しているのです。初転法輪では、人に関する無我(人無我)が説かれました。しかし第二法輪では、空、すなわち無我の教えには、人に関する無我(人無我)と五蘊などをはじめとするすべての現象の無我(法無我)があることもまた明らかにされました」
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デューグ・ベトナム仏教寺院の落慶式の一環として、ベトナムの若者たちに向けてお話をされるダライ・ラマ法王。2016年6月19日、アメリカ、カリフォルニア州 ウェストミンスター(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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質疑応答と昼食休憩の後、法王は、ベトナムの若者たちに向けてお話をされ、知性を活かすことやあたたかい心を培うことについて、そして他者に対する思いやりの心を育むことがどれほど自分自身の役に立つかを語られた。また法王は、自信を持つべきであるが、盲目的な自信ではなく、分別のある賢い自信を持たねばならないことを強調された。
「人間であることにおいて、私たちはみな同じです。私も皆さんと同じ人間であり、仏教哲学を学んでいる生徒です。仏教哲学の知識がない人たちにとっては、私は先生かもしれませんが、最高位の学者たちのなかでは、私は生徒なのです。「般若波羅密」(完成された智慧)の目的は、怒りをはじめとする破壊的な感情(煩悩)を滅することにあります。それには、怒りの根拠を調べ、その怒りが何かの役に立つかという検証が有効です。破壊的な感情は、現実を誤って認識するという無明に基づいていますから、空を理解することが無明を対治する唯一の対策となるのです」
質疑応答のなかで、世界中で起きている暴力に対して立ち上がるために、若者には何ができるでしょうか、という質問が挙がると、法王は、先日ダラムサラで、紛争によって分裂した国々からやってきた若者たちに会われたときの話をされて、若者たちが強い意志を持って行動を起こそうとしていることに胸を打たれた、と述べられた。
不法侵入の罪で刑務所に入っていたという若い男性は、これまで法王の法話からいかに多くのことを学んだか、そして法王に会えたことをどれほどうれしく思っているかについて語った。
ある若い女性が、法王が最後のダライ・ラマとなる可能性についてお尋ねすると、法王は、「仏教は、この2600年間にわたって守り伝えられてきましたが、仏陀の転生者として認定されたラマはいませんでした。最後のダライ・ラマになったとしても、これを補わなければならないような問題は残らないでしょう」と述べられた。
最後に、幼い少年が、「法王様は子どもの頃、大人になったら何になりたいと思っていましたか?」と質問し、その妹も「どのようにして有名になられたのか教えてください」とお尋ねした。法王は、4歳のときにダライ・ラマとして認定されたので、将来を自分で選ぶことはできなかった、と述べられた。しかし、他の人たちの力になろうとするときにはダライ・ラマという名前を持っていることが非常に役立つことがわかったので、ダライ・ラマとして他の人たちの力になれるよう取り組んでいる、と述べられた。
近くのゲデン・チューリン・センターを訪問された法王は、創設者のケンスル・リンポチェ師とロサン・ジャムヤン師のことは長年にわたり知っているので、こうしてセンターを訪れることができたことをうれしく思う、と述べられた。また法王は、「仏教哲学は今日の社会にとって有意義な教えであり、なかでもナーランダー僧院の伝統は、論理的思考と知性の活用を促すという意味においても優れています。このセンターが、仏教徒以外の人たちも学ぶことができるような学問の場となるよう願っています。そしてこのセンターの二つ目のプロジェクトとして、カンギュル(経典)とテンギュル(論書)をベトナム語に翻訳するとよいでしょう」と述べられた。
数日間にわたるロサンゼルス周辺での行事が終わり、法王は明日、ユタ州のソルトレイクシティへ向かう途中でカリフォルニア州の州都を訪問される。