会見の中で法王は、学ぶことによって私たち人間だけに備わっているすぐれた知性を活かすことが大切である、と強調された。そして、教育や知性を活用するための最善の方法は、思いやりの心を育むために使うことである、と述べられた。さらに法王は、科学者たちもまた、人間には本来的にやさしさや思いやりが備わっていることを裏付ける証拠を明らかにしつつあることにふれられて、「やさしさや思いやりといった良い資質を高めていく方法が明らかになるならば、より平和で、より思いやりに満ちた世界を築くことができるのではないでしょうか」と述べられた。
「仏陀の弟子として、そしてナーランダー僧院の伝統を引き継ぐ者として、私たちは学んだことを活かして穏やかな心を培い、内なる心の平和をつくりあげていかなければなりません」
「皆さんは台湾から来てくださいました。私も何度か台湾を訪問したことがありますが、すばらしく秩序だった国であることに感銘を受けました。皆さんは古代中国文化の継承者であると同時に、仏教に関心を持っておられる方々です。これはじつにすばらしいことだと思います。しかし近年は政治的な理由により、私が台湾を訪問することはできない状態が続いています。馬英九氏は、台北市長であった頃は親しくしてくださいましたが、総統になってからは打ち解けた関係ではなくなりなりました。彼の立場を考えれば理解できることですし、私としても、だれにも迷惑をかけたくはありません。私の側としてはいつでも台湾を訪問する準備ができていますが、台湾政府を困らせることをしたくはないのです」
法王のこの言葉に、台湾の人々は拍手喝采で応えた。
法王は開場前の法話会場に移動され、文殊菩薩の許可灌頂を授与するためにラマ(阿闍梨)に必要とされる準備の儀式を約40分かけて行なわれた。準備の儀式が行なわれている間に、会場は次第に参加者で埋められていった。法王が準備の儀式を終えられると、日本の僧侶たちが法王の前に並び、『般若心経』を唱えた。続いて、中国人の僧侶と尼僧たちが法王の前に並んで座り、中国語で『般若心経』を唱えた。
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法話最終日の始めにダライ・ラマ法王の前で『般若心経』を唱える中国人の僧侶と尼僧たち。2016年5月13日、大阪(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、『般若心経』の中に、「三世におわす全ての仏陀たちもまた、般若波羅蜜をよりどころとして無上の完全なる悟り(無上正等覚)を達成して仏陀となられたのである」(三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提)と述べられている部分について、三世におけるすべての仏陀たちもまた、空の理解を育み、般若波羅蜜に至る修行の道を歩むことによって完全なる仏陀の境地(無上正等覚)に至ることができたのであり、これから未来に現われる仏陀たちもまた、この同じ道を歩むことによってすべての障りを滅し、一切智の境地に至ることができるのである、と説明された。
そして、『般若心経』の中にある「偉大なる聖観自在菩薩が〔世尊の加持を受けて〕深遠なる般若波羅蜜の行をよく観じ、五蘊も
また、その自性による成立がない空の本質を持つものであると見極められた」(観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空)というお言葉の中に、「
また」という副詞が入っていることには非常に重要な意味がある、と述べられて、次のように説明された。第二法輪は無相法輪ともよばれ、般若経にまとめられている空の教えが説かれている。空、すなわち無我の教えには、人に関する無我(人無我)と人以外のすべての現象の無我(法無我)があり、「
また」という短い言葉があることによって、五蘊などをはじめとする法無我だけでなく、人無我も間接的に説かれていることが示されているのである。
さらに、「色即是空 空即是色」と述べられているお言葉は、物質的な存在、すなわち「色」は「空」の本質を持つものであり、「空」の本質を持つがゆえに物質的な存在(「色」)が成立する、という意味であり、「すべての現象は空である」と言われているのは、まったく何も存在しないということではない、ということを説明された。
続いて法王は、『般若心経』の最後に述べられている「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」(掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲 諦菩提薩婆訶)という真言について次のように説明された。「ガテー」というのは「行け」という意味の命令形なので、「行け 行け 彼岸に行け 彼岸に正しく行け 悟りを成就せよ」という意味であるが、これは「資糧道に行け 加行道に行け 見道に行け 修道に行け 無学道に到って悟りを成就せよ」と、悟りに至る五つの修行の道を段階的に上っていくべきことが述べられているのである。
そして法王は、「今日は菩薩戒を授与します」と述べられると、菩薩戒の前に在家信者戒を授与することを伝えられて、アティーシャの『菩提道灯論』の偈を引用された。
- 波羅提木叉の7つの戒律〔のいずれか〕を
- 常に守っている者には
- 菩薩戒〔を授かる器となれる〕という恵みがあるが
- 他の者にはない
法王は、①人を殺さない、②盗みをはたらかない、③邪淫をしない、④ひどい嘘をつかない、⑤飲酒を慎む、という在家信者が守るべき五つの戒律について説明された。「飲酒を慎む」という戒について、法王は、リン・リンポチェが在家信者戒を授与された時の話をされて、ある年配の男性が、自分はお酒を断つことだけはどうしてもできないと思い、「それだけはちょっとできません」と頭をかきながら申し上げた話をされた。するとリン・リンポチェは大変やさしい方だったので、お酒を完全に断つことができなければ、ほんの少しならかまわないでしょう、とその男性に言われたそうである。法王は、飲酒による過失は酔っ払って理性を失った時に犯してしまうものなので、飲酒を完全に断つことができなくても、せめて酔っ払わない程度にとどめることが大切である、と説明された。また法王は、一日限りの戒もあるが、在家信者戒は一生涯のものである、と述べられた。
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『入菩薩行論』の解説をされるダライ・ラマ法王。2016年5月13日、大阪(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、在家信者戒と菩薩戒の授与に続き、文殊菩薩の許可灌頂と真言の伝授をされた。そして、法王ご自身はこの灌頂の伝授をクヌラマ・リンポチェ、タクダ・リンポチェ、リン・リンポチェ、ティジャン・リンポチェから授かっていることを説明された。さらに法王は、クヌラマ・リンポチェからお聴きしたことであるが、と述べられて、多くの偉大なインドの導師たちが文殊菩薩の礼賛偈を書くように請願されたが、その礼賛偈が書かれると、どの礼賛偈にもまったく同じ内容が述べられていた、という話をされた。
昼食休憩後、1時間にわたって質疑応答が行なわれた。キリスト教徒が仏教の勉強をしてもかまわないでしょうか、という質問に、法王は、「もちろんです。キリスト教徒が仏教を学んだとしても何も問題はありません。仏教もまた、愛、思いやり、許し、寛容、知足、自己規制という同じメッセージを伝えているのですから、信心している宗教が何であれ、どなたにも役立つはずです」と述べられた。
台湾人の女性が、新しい総統を迎える台湾の人々に助言をいただきたい、とお願いすると、法王は、「私は現地の実情をよく知らないので具体的なアドバイスはできませんし、アドバイスをする立場でもありません。しかしながら、大切なのは人間のすぐれた知性を良いことのために使うことです。貧富の差をなくすこと、そして、武力ではなく対話によって争いを解決することが今の私たちにとって重要な課題であり、これらの問題は緊急な取り組みが必要だと思います」と述べられた。
次の質問者が、仏教のさまざまな宗派の教えを同時に学ぶことは、かえって混乱を招くのではないでしょうか、とお尋ねすると、法王は、「ナーランダー僧院の導師たちはさまざまな哲学学派の見解を学ばれましたが、けっして混乱することはありませんでした。自分が属する宗派の教えだけを学ぶのではなく、他の宗派の教えも学ぶことができれば、より広い知識を得て、互いのすぐれた点を知ることができます」と述べられ、チベット仏教のすべての宗派がナーランダー僧院の伝統を共通の土台としている点を指摘された。そして法王ご自身もまた、サキャ派の導師たちをはじめ、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェやトゥルシク・リンポチェなどニンマ派の導師たちから教えを受けられるとともに、他の宗派の重要なテキストを読んでおられることに言及された。法王は、シュクデンの信奉者たちが「ゲルク派に属する者たちはニンマ派のテキストに触れてもならない」という厳密な戒めを強いていることについて、これは偏った宗派主義を意図的にかきたてようとする行為である、と述べられた。そして、かつては法王ご自身もシュクデンの霊をなだめる修行をされたことがあったが、ダライ・ラマ5世が書かれた文書を読まれ、様々な調査をされたことでシュクデンが悪霊であることがわかってからはその修行を完全にやめた、と述べられた。
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昼食後の質疑応答セッションで、ダライ・ラマ法王に質問をする参加者。2016年5月13日、大阪(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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モンゴル人の学生が、今世でたくさんの仏教の教えを受けてきましたが、もし釈尊がすべてのことを説ききってしまっておられるならば、なぜ私たちは修士号や博士号の課程に進む必要があるのでしょうか、と質問すると、法王は、「ナーランダー僧院の導師たちがおられた時代には、現代社会において重宝されているコンピューターやその他の科学技術は存在しませんでした。私たちは現代を生き抜くための物質的な設備を必要としていますので、これからも勉強を続けてください」と述べられた。
そして最後に、「相手のことを考慮するということは、自分にとって必要なものを諦めるということではありません。相手のために行動することで、自分にも利益が生まれるということなのです」と語られた。
法話会の終了後、法王はチベット人の参加者たちに向けて、彼らの法王に対する揺るぎない信念に感謝の言葉を述べられた。そして、インドに亡命してすぐにチベット亡命政権を樹立され、民主政治のひな形を築かれた経緯を語られた。法王は民主化を着実に進められ、2001年に政治的指導者としての立場を半分引退された。そして2011年、政治的指導者としての全責任を選挙で選ばれた新しいリーダーに委譲されたのである。法王は、政治的指導者としての立場を引退されたのは失意のあらわれではなく、チベット人の将来のことを考えて自ら喜びと誇りを持って引退されたことを強調されて、チベット語をはじめとするチベット独自の文化や自然を保護することについてはかつてと同じように取り組んでいる、と熱意を込めて語られた。
法王は、「ダライ・ラマがチベットにいた頃は、ダライ・ラマに会うことのできる人はほとんどいませんでした。しかし、私はこうして世界中の国々を訪問できるようになったおかげで、世界中に友人ができました」と述べられた。
「私は内気な性格ではありません。私たちチベット人ははっきりした気質なのです。私はツォンカパ大師と同じアムドの出身ですし、性格もはっきりしています。幼い頃は勉強に対してあまり熱心ではありませんでしたが、それでもチベットで受けた教育や修行のおかげで西洋の科学者たちと心の科学について充分な対話ができるまでになり、この対話を30年間にわたって続けてきました」
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昼食後の質疑応答セッションで、質問に答えられるダライ・ラマ法王。2016年5月13日、大阪(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「チベット仏教のことをラマ教と呼ぶ人たちがいますが、これは大きな間違いです。私たちチベット仏教徒はナーランダー僧院の伝統の継承者であり、今日の世界において最も包括的な仏教の伝統を引き継ぐ者である、と断言することができます。ナーガールジュナ(龍樹)の『中論』、マイトレーヤ(弥勒)の『現観荘厳論』などの古典的なテキストに加え、ダルマキールティ(法称)が書かれた論理学と認識論に関する七巻の論理学書を私たちはチベット語で読むことができます。チベット語で読むことができるだけでなく、これらが生きた教えとして途切れることなく今日まで引き継がれてきたのです」
「先日アメリカの病院で前立腺の治療を受けていたとき、チベット人の皆さんが大勢集まって私のために祈りを捧げてくれたことを聞きました。この場を借りてそのお礼を伝えるとともに、私の元気な姿を見て、皆さんに安心していただきたいと思います。真実はやがて明らかになります。中国も変わりつつあります。私たちは再び共に暮らせるようになるでしょう。それまでは、自分にできる範囲で勉強してください。学びを深めることに努め、その他のことについてはあまり心配しないことです」
法王は、一部の中国人たちと個別に会見の場を持たれ、「中国人の皆さんは、世界のどこにいてもアイデンティティーを貫き、懸命に働いています。この40年にわたる中国の変遷を見ると、多くの中国の人々が再び仏教に関心を抱いていることがわかります。現在、中国における仏教人口は世界で最大です。民衆の関心が変われば、制度も変わっていくでしょう」と述べられた。また法王は、習近平国家主席が2年前にパリで、「仏教は中国文化にとって重要な役割を果たすだろう」と発言し、その後デリーにおいても同じ発言がされたことについて、中国共産党のリーダーの発言としてこれは予想外であり、注目に値する、と述べられた。
「私は人生の大半を亡命下で暮らしてきました。もうすぐ81歳になりますが、健康状態は良好で、体力も充分にあります。おそらく90歳か100歳位まで生きられるでしょうし、そうすれば中国と中国の人々のためにも役立つことができるのではないでしょうか。皆さんには、このことを心に留めておいていただきたいと思います」
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質疑応答セッションの終了後、中国人の信徒たちにお話をされるダライ・ラマ法王。2016年5月13日、大阪(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「この数日の間に、じつにたくさんの中国の方々にお目にかかりました。数年前に、ある中国人のグループに会ったのですが、その中に一人の貧しい農夫がいました。村の様子を訊ねると、状況は極めて厳しく、激しい貧富の差がある、と話してくれました。ここにおられる皆さんは恵まれた方々です。どうか困っている人たちを助けてあげてください。たとえば、中国の農村部における教育状況は、私が非常に心配していることの一つです。習近平国家主席は汚職の撲滅に取り組んでいますが、これは大きな挑戦です」
法王はこのグループとの質疑応答の中で、「戒律(ヴィナヤ)が維持されているところには仏法が繁栄するであろう」という仏陀のお言葉を繰り返され、僧院生活において戒律を守ることがいかに大切であるかを強調された。そして仏教には、仏教科学、仏教哲学、修行の実践という三つの側面があり、実践に関しては仏教徒がするべきものであるが、科学と哲学の面に関しては、心と感情の働きや縁起の見解を理解するならば、仏教に関心のない人にとっても大いに役立つものである、と述べられた。
チベット仏教徒が肉を食することについての質問に、法王は、「肉を食すことについては明確なガイドラインがあります。しかし仏教僧には托鉢の伝統があり、施された物は何であっても受け入れなければなりません」と述べられた。さらに法王はご自身の話に移られ、完全なベジタリアンになることを試みた結果、黄疸を発症した話をされた。その治療の一環として医師から肉を食すよう勧められたことから、法王は週に何度か肉を食されている。しかしながら、法王はチベットにおられた頃から晩餐会で肉をふんだんに使うことを戒められ、亡命後も僧院の厨房では肉料理をできるだけ控えることを奨励されてきた。法王は、「他の人たちにはベジタリアンになることを勧めていますが、私自身はベジタリアンになれませんでした」と言って笑われた。
法王は、勉強することの大切さについて繰り返し述べられ、「真言を唱えているだけで満足していてはいけない、といつもチベット人に言っていますが、中国人の皆さんにも、阿弥陀仏にお祈りをするだけで満足していてはいけません、とお伝えしておきたいと思います」と述べられた。そして最後に、「私自身、菩提心生起と空の理解を深める修行を積むことで、私の心にはじつに大きな変化がもたらされました」と述べられた。
明日、法王は大阪を出発し成田空港に向かわれて、インドに帰国される。