文殊菩薩への礼賛偈とナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文の読誦が終わると、同校パサン・ツェリン秘書官が、法王が大学の要請に応じられ、今年の卒業式に出席されたことへの謝辞を述べた。続いてゲシェ・ケルサン・ダムドゥル学部長が来賓と政府高官、高僧の方々に歓迎の辞を述べ、チベットの指導者としての法王のご活動に感謝を捧げた。さらに仏教論理大学の設立は1979年、法王のお誕生日の7月6日であることを述べ、同校の沿革を簡単に説明した。
最初に、29人の学生たちが10年コースで般若学と中観学を学び始めた。このカリキュラムは後にニンマ派、サキャ派、カギュ派の伝統的な教えも包含するまでに広がった。講師は南インドのバイラクッペにあるナムドルリン僧院から招待された。また、学生たちはチョントラにある学問寺として知られるゾンサル学院と、ビルにあるシェラブリン僧院でも修学した。さらに、現在16年コースでは、インドの伝統的な仏典の修学に加え、密教の修学も行われている。
チベット文化の保護と促進を目的として創設されたこの大学は、1991年に創設者ロブサン・ギャツォ師がサラに土地を買い、チベット大学を設立した。建物の竣工時には法王がこの地を加持され、落慶法要をされた後、チベット亡命政権(CTA)文部省が同校を認可した。教育課程にはチベット学の学部課程、チベット歴史学とチベット文学の大学院課程の他に教員養成プログラムがある。
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リメー・ゲシェの証書を授与するチベット亡命政権宗教・文化省のペマ・チュンジョル大臣。2016年4月26日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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チベット亡命政権宗教・文化省のペマ・チンジョル大臣が、リメー・ゲシェ(チベット仏教四宗派の教えをすべて学んだ者に与えられる超宗派のゲシェの学位)の証書を授与するために招待されていた。14人の候補者のうち、学位授与式に参加できたのは11人のみだった。続いてグドゥップ・ツェリン文部大臣が28人の卒業生にチベット学の学士号を授与した。そのうち2人は通信教育課程を修了し、7人はチベット歴史学の修士号、6人はチベット文学の修士号を授与された。学位を授与される卒業生はガウンと角帽を着用して参加した。法王は論文誌とチベット語に翻訳された科学誌の最新号、及び科学のDVDを受け取られ、一般公開された。最後にペマ・チンジョル大臣が大学の職員9人に20年に及ぶ校務に感謝を表わす記念品を授与した。
続いて、グドゥップ・ツェリン文部大臣がスピーチをし、卒業生に祝辞を述べた。そして卒業生たちが修めた学業は、本物の専門知識を身に付けるようにとの、法王のチベット人たちへの助言に近づくものであると述べた。また文部省は、これまで支援してきた学部課程に加え、さらに学業を続けたい学生の支援も継続していくという意志を伝えた。大臣は、聖者ミラレパ が師のマルパに述べた、「私には修行のほかに何も捧げるものがありません」というお言葉を引用して卒業生を喩えた。さらに「今達成したことに満足せず、”the sky’s the limit”(可能性は無限だ)と英語で言われているように、さらに前進するべきです」と述べた。
大臣は、2012年からチベットの学校で伝統的な問答を教育に取り入れたことに触れ、教員向けのハンドブックが現在準備中であることを語った。また、エモリー大学が草案を作成した世俗的倫理教育 のカリキュラムが モデルスクールで試用されたことにも言及した。大臣は最後に、法王のご長寿を祈願してスピーチを締めくくった。
法王は、仏教論理大学とサラ・チベット大学の業績をチベット人の難民生活に関連させて、1959年にラサを発った時を振り返りつつスピーチを始められた。
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卒業式でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2016年4月26日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「私たちがラサを離れたのは3月17日のことでした。夜の10時にノルブリンカ宮殿を出発しました。駐留中国軍の包囲を突破しなければならなかったので、無事に翌朝を迎えられるかどうかさえ定かではありませんでした。チェラ峠の頂上に着いたところで、ようやく当面の危険はなくなりました。地元の人が連れてきてくれた馬に乗った時、最後に振り返ってラサをこの目に焼き付けました。そして私たちは出発したのです」
「インドのある官僚が後で教えてくれたことですが、当時私がラサを去った知らせを受けた時、インドの対中関係が悪化することを恐れたクリシュナ・メノン防衛大臣はダライ・ラマのインド入境を反対したそうですが、ネルー首相はそれに鋭く反発し、『法王をお迎えするべきだ』と言われたそうです」
「ルンツェ県(Lhuntse Dzong)に到着すると、もはや身の危険はありませんでしたが、インドに入れるかどうかはまだわかりませんでした。私たちはブータン国境とインド国境へ向かうグループに分かれました。インド国境に近づくと、インドの政府関係者が私たちの到着を待っているとの情報が入りましたが、同時にラサが砲撃されたことも知りました。当時私たちはインドに何十年もいることになるとは予想もしておらず、すぐに戻れるものだと思っていました。私たちは頭上には空が、足元には大地がある以外は何もわかりませんでした。私たちは、チベットの人々を助けてくれるようインド政府にお願いしました」
「1959年4月の終わりにムスリーに到着すると、すぐにネルー首相が会いに来てくれました。私たちは1955年に北京で初めて会って以来、お互いを知っていましたが、私がネルー首相の話の矛盾を指摘すると、彼は苛立って机を叩きました。私たちはチベット人がどうやって生活の糧を得るかだけでなく、チベット人の居住地と学校をそれぞれ別に作ることについて話し合いました。ネルー首相は一個人としてこれらをやり遂げる責任を持つと約束し、それ以来、私たちチベット人は生き抜く精神を絶やさずに今日まで過ごしてきたのです」
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卒業式でダライ・ラマ法王のスピーチに耳を傾ける列席者たち。2016年4月26日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
法王は、チベット難民は最初から多くの援助と支援をインドから受けてきたことを説明された。インドには独自の言語があり、シャーンタラクシータ(寂護) とカマラシーラ(蓮華戒)のおかげで途絶えることのなかったナーランダー僧院の仏教伝統があった。そしてナーランダー僧院の学匠たちによるインドの伝統的な仏典をチベットでも手にすることができたのもまた、チベット語に翻訳したシャーンタラクシタ(寂護)の功績によるものだった。
また法王は、1973年に初めてヨーロッパを訪問された時のことを思い出され、BBC放送のマーク・タリー氏に訪欧の理由を聞かれた際、法王はご自身を世界の住人だと捉えているからだと答えられている。様々な違った人々や場所についてもっと知りたいと思い、何よりも、チベット人は一切有情の幸福を祈っているからだと法王は語られた。また、世界各国を訪問されたことでたくさんの友人ができたことや、様々な物質的発展を目にしてきたが、そのわりに皆が幸せではないことについても述べられた。
さらに、法王は次のように続けられた。「私は幼少の頃から科学に興味がありました。ある時ダライ・ラマ13世の持ち物だった望遠鏡を持ち出して、月の表面に山の影が映っているのを見ました。それを見て、私は月が自ら光を発しているのではないと知ったのです。私に初めて科学の話をしてくれたのはハインリッヒ・ハラー氏です。その後、30年以上前から科学者の方々との対話を続けてきました。私は科学者たちがどんな世界観を持っているかに関心があったのです。彼らの研究は私の関心を満たすだけではなく、他の多くの人たちの助けになると思いました。もっとも、科学者たちの主な興味の対象は物質的な世界なので、古代インドの心理学が得意とする心や感情の体系についての知識は、ごく限られたものでした」
「中国の仏教徒は、私たちと同じようにナーランダー僧院の伝統に従っていますが、彼らは論理学と認識論の修学をしていません。それはディグナーガ(陳那)、ダルマキールティ(法称)、サキャ・パンディタによる論理学に関する著作が、チベットにしか残されていないからです。私たちは論理と根拠に基づいて仏教哲学を学んでいます。さらに、私たちは心と感情の科学にも通じています。これは私たちが他の一般の人々と共有できる知識なのです。現代の科学者たちも、仏教が提供する心の科学に関心を寄せています。そんな科学者たちと討論をする時、私は論理と根拠に基づいて考えるという訓練をしてきたことが大変役立っていると感じています」
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卒業式でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2016年4月26日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
さらに法王は、心の平穏を得るためには、ドラッグやアルコールに頼るのではなく、心の訓練をすることが大切であることを明確にされた。 チベット人が1000年以上守ってきた伝統は、チベット人だけではなく、他のすべての人たちの幸福にも役立つ、と法王は述べられた。そして仏典に示されている教えは、科学、哲学、宗教の三つの分野に分類できるとされ、宗教は個人の関心によるものだが、科学と哲学は一般的な学術分野として探求できるものである、と語られた。つまりこの2つの分野は、個人の信仰の有無に関わらず、誰もが学べる分野なのである。法王は、仏教の科学と哲学のエッセンスを要約したチベット語の書籍を刊行され、現在英語、中国語、ドイツ語や他の言語への翻訳が進行中であることを述べられた。
法王はインドの古典的な仏典を学んだ学生たちに向かって、その知識を他の人たちと共有するように、そしてその際は、前世や来世の話を絡めず、厳密に現世の話だけに絞るようにと述べられた。
「私は僧院長の方々に、このメッセージを他の人たちにも伝えるようお願いしました。7月に南インドを訪問する際に、さらに詳しく話し合う予定です。この知識を共有することは、他者への奉仕につながります。セラ・ジェ学堂には様々な言語を習得した僧侶がいると聞いています。またゲシェマ(女性の仏教哲学博士)の称号を授かろうとしている尼僧たちもいます。私は50年前、ナムギャル僧院の僧侶たちに、儀式を執り行なうだけでなく、論理と根拠に基づく仏教哲学も学ぶよう指示しました。これは、仏陀が自らの教えを単なる信心から鵜呑みにするのではなく、金細工職人が金の純度を満足できるまで鑑定するように、その教えを自分で調べて分析し、確信を持った上で信心するべきである、と説かれたのと同じです」
「私たちは21世紀の仏教徒ですから、まず仏教を学んで理解することが必要です。そのようにするならば、仏教は数世紀の間途絶えることはないでしょう。私たちは、チベット語という私たちの言葉で仏教を学び、理解することができるのですから、それに誇りを持つべきだと思います。また、一般的にチベット人は、正直で、道徳的で、礼儀正しいことで知られています。仏教論理大学とサラ・チベット大学は、チベット文化の保護と促進に貢献しているのですから、私たちはそれを限りなく発展させていくことができるのです。私は今日卒業される皆さんを、心から祝福したいと思います」
「私たち仏教徒は、古代インドの世界観として三千大千世界を説きますが、大切なのは、私たちの兄弟姉妹である70億人の人間です。私たちは人間として素晴らしい叡智を備えており、その叡智を前向きに生かすことが大切です。私たちは今こうして平和に過ごしていますが、世界のどこか別の場所では、今この瞬間に殺される人がいて、餓死する人がいるのです」
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卒業式終了後、卒業生たちとの記念撮影に応じられるダライ・ラマ法王。2016年4月26日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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私たちは時として人智の使い方を誤り、ネガティブな感情を増やすためにそれを使ってしまっている、と法王は言われた。私たちには、虎やライオンのように尖った牙も爪もなく、柔らかく丸い指をしているにも関わらず、私たちは他の人たちをひどく傷つけることもできるのである。世界を平和にしたいと望むなら、まず、自分自身の内なる心の平和を築くことが必要であり、もし心が怒りや恐れで溢れているならば、世界平和を築くことなどできない。世界の非軍事化を求めるなら、まず自分の心の武装解除が必要だと法王は語られた。
「心と感情についての知識は、学校の普通教育の中で教えるべきことです。心や感情の働きを理解すると、健康で幸せな個人、家族、コミュニティ、社会を築くことができます。現在、世俗的倫理教育のカリキュラムをエモリー大学の支援を得て準備しています。この草案をもとにして、様々な活動につなげていけるよう働きかけています」
「先ほど述べたように、今日卒業する皆さんを心から祝福したいと思います。ただし、皆さんに自制心がなければ、ただの知識はさほど役に立ちません。私たちが基本的に持っている慈悲の心を高めていくためには智慧が必要です。小さな子どもたちはやさしく、他の人たちに対しても開かれた心を持っていますが、成長と共に自分と他者の二次的な違いに気を取られ、自己中心的になってしまいます。しかし、心を訓練することで、他の人たちを心から思いやり、効果的に助けることができるようになるのです。それにより、信頼が生まれ、信頼は友情を育む土台となります。友情は、私たち人間が皆必要とするものなのです」
ゲシェ・ケルサン・ダムドゥル学部長が謝辞を述べ、『教法興隆祈願文』を読誦して式典を締めくくった。法王は公邸への帰路につかれた。