対話ショー収録のあと、法王は、2015年の終わりにエモリー大学と共同で発表した「世俗的倫理教育」と題するカリキュラムを試験的に実施した結果について話し合うための会議に出席された。ミーナクシ・タパン教授は、法王が「思いやりこそ、教育理念の核心です」と述べられて、普通教育のなかで思いやりの心を育むことの大切さを語られた日のことを振り返り、法王が世俗的倫理教育にとりわけ力を入れておられることを強調した。
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世俗的倫理教育の導入に向けた討論会で語るミーナクシ・タパン教授。2016年4月7日、インド、ニューデリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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タパン教授は、このカリキュラムを試験的に実施することに関心を示した教師たちには、「感情の認識」と「許し」という二つの要素が実際にどのように作用するのかを観察するよう助言が与えられた、と説明した。タパン教授が法王に、会場の人々に向けてのお言葉をお願いすると、法王は次のように述べられた。
「まず最初に、皆さんが世俗的倫理を浸透させていくことについて真剣に考えてくださり、こうして討論会に出席してくださったことに感謝を申し上げます。私たちはこのように快適な場所に集まっていますけれども、世界の別の場所では、殺戮や殺し合いといった想像を絶するようなことが、今、この瞬間にも行なわれています。何百万人という子どもたちが餓死している一方で、かつてないほど危険な兵器を準備するために巨額のお金が投じられています。武力行使を急き立てる声があちこちから聞こえてきます。汚職がはびこり、貧富の差が拡大しています。ここデリーでは、すばらしい施設のなかで楽しい時間を過ごしている人々がいる一方で、街路で物乞いをしている人々がたくさんいるのです。習慣づけられた考えかたを変える方法はあるのでしょうか?」
「幸い、科学者たちの実験の結果から、人間は本質的によい性質を持っていることが明らかにされています。また、絶えず怒りや恐れ、疑いの心を抱くことが免疫機能の低下につながることも明らかにされています。私たちのだれもが、お母さんのおなかから生まれてきたという共通の経験を持っており、これは冷酷な独裁者でさえも同じです。母親の愛情がなければ、彼らも生き延びることはできなかったはずです。人間は本質的にやさしくて愛情深いものである、と科学者たちが結論づけているということは、希望があるということなのです」
「知性を働かせることによって、教育は発展します。私たちは思いやりの意義を研究することも、怒りに価値があるかどうかを調査することもできるのです。知性を働かせることによって、人間に生まれつき備わった思いやりの心を高めることができるのです。しかしそのためには、感情について学び、感情の衛生学というものを開発していく必要があります。私の友人で心理学者のポール・エクマン博士は、この開発に役立つようにと、感情の働きを明らかにするために心の地図を作る作業に取り組んでくださっています。ほかの科学者たちの多くは、脳の働きとは別個に働く意識が存在する、ということにかつては懐疑的でしたが、脳神経に柔軟性が備わっていることが発見されたことで、彼らの考えかたも変わってきました。今日の討論会は、どちらかというと学究的なものではなく、世界をどのように変えていくのかについて話し合うことが中心です」
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討論会の参加者たちとともにエモリー大学代表の発表に耳を傾けられるダライ・ラマ法王。2016年4月7日、インド、ニューデリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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続いて、世俗的倫理のカリキュラムの草案を作成したエモリー大学の代表者たちが、その取り組みについて発表した。ゲシェ・ロブサン・テンジン師は、法王が世俗的倫理の必要性について述べられたことを受けて、国連の「2016年版世界幸福度報告書(World Happiness Report 2016 Update)」の内容に言及した。ジェニファー・ノックス氏は、異なる人物写真を見たときの反応を検証することが、人間が行なう判断というものを学ぶのにどのように役立つのか説明した。ノックス氏は、その例として1997年に死刑判決を受けた後に2015年9月に死刑が執行されたケリー・ジッセンダナーというアメリカの女性死刑囚の2枚の異なる写真を見せて、「習慣づけられた考えかたを変えることができるのは、信頼ではないでしょうか」と語った。
法王は、心のよき本質についての学びが生徒たちの心を動かすことを強調された。思いやり深いときほど心が穏やかであることは、万人に共通の経験である。ゲシェ・ロブサン・テンジン師は思いやりの心を深めることに関して、現在は思いやりを能力として測定する方法がいくつかある、と語った。
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ダライ・ラマ法王との討論会で、世俗的倫理教育の導入を試験的に実践した結果について発表するニューデリーの学校の教師たちの一人。2016年4月7日、インド、ニューデリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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プーサ・ロードのスプリングデールズ・スクール、ガジアバードのイエス・アンド・マリア修道会とGDゴエンカ公立学校、プーサ・ロードのバル・バーティ公立学校、アンドラ・プラデーシュ州のロヒニ・スクールとリシ・バレイ・スクールの教師たちが、世俗的倫理教育を試験的に導入した結果について発表した。教師たちの多くは低学年を対象に実施し、「他者を許すこと」を授業に取り入れた。争いを解決するなかで「許し」がどのような役割を果たすのかということを子どもたちが理解できるように、物語作りや役割練習を用いた授業が行なわれた。その成果として、ある8歳の生徒が、「ごめんなさい、を言うと、心が軽くなるのでうれしくなります」と語った話が紹介された。
この報告に、法王は「すばらしい成果ですね」と述べられた。マサチューセッツ工科大学の「ダライ・ラマ センター」の責任者を務めるテンジン・プリヤダルシ師は、倫理と変化を生む力を育むことを目的とした同センターの取り組みと、ゲームやアプリなど科学工業技術を用いることの可能性について説明した。プリヤダルシ師は、「われわれは、内面的価値をもって教えてほしいと思っているほどには、内面的価値を教えたいとは思っていません」と語り、実際に重要なのは、子どもたちと教師たちが学んだことを同じように消化できるように内省の時間を取ることである、と強調した。
ミーナクシ・タパン教授は午前の部の総括として、内面的価値というものは、本来は、学校で進められていることの一部分であるべきである、と語った。かつては優秀な成績を修めた者が優秀な生徒とされてきたが、今、「優秀」の模範が変わりつつある。講義中心でない、より柔軟性のあるカリキュラムが求められていることがわかってきたのである。このプロジェクトに、よりホリスティック(全体的)な視野を取り入れていく必要があることは明白だ。タパン教授は、「このカリキュラムは、私たちがなろうとしている善良な人間というものの概念をどのように伝えているでしょうか」と問いかけて話を結んだ。
昼食後、法王は午後の部に入られ、次のように述べられた。
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世俗的倫理教育の導入に向けた討論会の午後の部のはじめにお話をされるダライ・ラマ法王。2016年4月7日、インド、ニューデリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「この会議の長期的な目的は、教育と認識を通して平和な世界をどのように築いていくかについて話し合うことです。人間には内なる平和とよろこびが必要です。感情の認識というものを、学究的な見地から導入していく必要があります。だれもが平和な世界で暮らしたいと思っていますが、その平和を壊している原因が怒りや憎しみであることを理解している人はまだ多くはありません。そしてこれが、一人ひとりが内なる平和を築くことを長期的な目標としている理由なのです。一人ひとりが内なる平和を築くことができれば、今よりももっと思いやりのある社会を築くことができるでしょう」
法王は、現在のカリキュラムは草案にすぎないので、引き続き試験的な実施を重ねながら必要に応じて修正していく必要があることを強調された。万事順調であることが確認できれば、さらに広い範囲での実施が可能となる。今後も会議を開いて結果を報告しあうことで、改善を図ることができるだろう。
普遍的責任財団(the Foundation for Universal Responsibility)の事務局長ラジブ・メヘロートラー氏は、現在進行中の倫理と教育の促進のためのプロジェクトについて説明し、内なる平和と外なる平和を育むことによって、平和や非暴力、共存の心を築いていきたい、と語った。これを受けて法王は、「この財団の活動範囲がインドの他の地域や近隣諸国へと広がっていくことを期待しています」と述べられ、「私は皆さんの手を何本もお借りしていますが、その手を最大限に使わせていただく時が来ました。今すぐに行動を起こし、今すぐに取りかかる必要があるのです」と述べられた。
ミーナクシ・ゴピナス博士は、Wiscomp(治安、対立の管理、平和のために行動する女性たち / Women in Security, Conflict Management and Peace)の活動内容を紹介するとともに、智慧と思いやりについて語った。Wiscompは瞑想を推進するとともに、インド・パキスタン紛争やカシミール紛争の調停に積極的に関わってきた。
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討論会を振り返り、感想を述べるゲシェ・ラクドール師。2016年4月7日、インド、ニューデリー(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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最終討論の中で、ゲシェ・ロブサン・テンジン師は、このカリキュラムの教材の大部分は法王の著作である『幸福論』と『宗教を超えて』を元に作成されたものであることを指摘した。プリヤダルシ師は、倫理を直接的に自分に関わることとして訴えていく必要があることを強調した。ゲシェ・ラクドール師は、21世紀の世俗的倫理にとって何が障壁なのか調査する必要があるのではないか、と提唱したうえで、ここで語られてきたことの多くが方法論的な側面からの意見であり、洞察的な認識や智慧という側面からの考慮がほとんどなされていなかったことに言及した。ナレシュ・マトゥール氏は、オーロビンド・アシュラムと関わりを持ちながら内面的価値に取り組んでいるという友人の見解を紹介し、現在のカリキュラムはあまりにも模範的すぎるのではないか、と語った。ゲシェ・ガワン・サムテン師は、今以上にホリスティック(全体的)なアプローチが必要である、という意見に同意である、と語った。
法王は結びに、「現時点で大切なことは、意見を出し合い、結果を観察することではないでしょうか」と提言された。そして、「また一年後に集まりましょう」と提言されると、すかさずミーナクシ・タパン教授が、「これまでの勢いを維持し、学んできたことをかたちにするためにも数週間のうちに研究会を開きましょう」と語った。
会議は、この教育開拓に参加した人々、そして支えたすべての人々による感謝決議で幕を閉じた。