ツクラカンの中庭は、ダライ・ラマ法王のご到着を心待ちにするチベット人の老若男女で埋め尽くされ、期待感と熱気にあふれていた。チベット人学生たちの鼓笛隊が演奏を始めると、公邸に通じる門を通ってこちらへ来られる法王のお姿が見えた。法王は笑顔で観衆に手を振りながら、ヒマーチャル・プラデーシュ州政府の大臣らと共に中庭を通って演壇に向かわれ、着席された。
本日は、三重の意味のある特別な記念祝典である。第一に、今年はダライ・ラマ13世がチベットのラサにメンツィ・カンを設立されてから100周年を記念する年である。第二に、本日は、ダライ・ラマ法王が亡命先のインドにメンツィ・カンを再建されてから55周年を迎えた日である。そして第三に、今年は、ダライ・ラマ5世がラサのチャクポリに医科大学を創立されてから320年を記念する年なのである。
全員が起立し、チベット国歌を斉唱した。お茶と吉祥を祝う甘く味付けしたご飯が配られはじめると、メンツィ・カンの職員と生徒たちが今日のために特別に書き下ろした歌を披露した。続いて、メンツィ・カンの所長を務めるタシ・ツェリン氏が最初に英語で、次にチベット語でスピーチをした。ツェリン所長は、法王、政府高官たち、主賓たちに向けて挨拶の言葉を述べてから、メンツィ・カンの目標は、癒しの医術といわれるチベット医学(ソワ・リクパ)を守り伝え、これを人類のために役立てることである、と重ねて強調した。そして、その目標の達成のためにそれぞれの役割に取り組んでいる研究所の職員と生徒たちに感謝の言葉を贈った。またツェリン所長は、ダライ・ラマ法王が1961年にインドにメンツィ・カンを再建され、創設者にイェシェー・ドンデン医師を任命されたことを振り返り、少人数の職員による再出発であったが、時が来ればチベット医学はその真価を証明するはずである、と語った。
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メンツィ・カン100周年記念式典のために特別に書き下ろされた歌を披露するメンツィ・カンの職員と生徒たち。2016年3月23日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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ツェリン所長はチベットでの苦難にふれて、中国軍によってチャクポリの医科大学が破壊されたこと、ラサのメンツィ・カンは破壊こそ免れたものの、医師長たちの多くが投獄されたことについて語った。そして、テンジン・チューダク医師とロブサン・ワンギャル医師もまさにその例であり、何年間も投獄されていたが、ついにダラムサラのメンツィ・カンで共に働けるようになったのである、と語った。ツェリン所長はまた、メンツィ・カンとジャンムー・カシミール地方、ヒマーチャル・プラデーシュ州、アルーナチャル・プラデーシュ州、シッキム州間で協力態勢が進んでいることにもふれた。また、ティソン・デツェン王によって招集されたサムイェー寺の会議には、チベット医学のみならず、アーユルヴェーダ(古代インド伝統医学)、中国医学、ユナニ医学(アラブ・イスラム医学)に従事する医師たちが出席したことにも言及した。その会議を通して学ばれたことは、後にユトク・ヨンテン・ゴンポ医師(1126-1202)によって『四部医典』にまとめられている。ツェリン所長は最後に、法王のお言葉を紹介した。
「人間には健全な心と健康なからだが必要です。たとえ難民として暮らしていても、私たちチベット人はこの二つの要素に貢献することができるのです」
続いて、ヒマーチャル・プラデーシュ州政府森林管理担当大臣であるシュリ・タクール・シン・ブナムーリ氏が壇上に招かれた。ブナムーリ大臣は、法王が亡命生活に入られてすぐに先を見通してメンツィ・カンの再建に取りかかられたことを讃えて、今日このようにチベット医学があるのはそのおかげである、と語った。またブナムーリ大臣は、伝統医学に携わる者全員がもっと互いに相談し合い、支え合っていくべきである、と提唱した。そしてヒマラヤ地域が薬用植物の宝庫であることにふれて、人間は母なる自然の恵みを使わせていただくことに対して思慮深さが必要である、と警鐘を鳴らした。
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メンツィ・カン100周年記念式典の壇上で、ヒマーチャル・プラデーシュ州アーユルヴェーダ(古代インド伝統医学)担当大臣のシュリ・カラン・シン氏に謝意を述べて記念品を贈られるダライ・ラマ法王と、お二人を見守るヒマーチャル・プラデーシュ州森林管理担当大臣のシュリ・タクール・シン・ブナムーリ氏。2016年3月23日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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アーユルヴェーダ(古代インド伝統医学)担当大臣のシュリ・カラン・シン氏は、法王の隣に座らせていただくという望外の光栄を授かったことが信じられなかったので、何度も頬をつねって、これが夢ではないことを確かめた、と聴衆に語った。シン大臣は、伝統医学省の大臣として、メンツィ・カンの取り組みに深く感銘を受けている、としたうえで、チベット医学は2010年にインド政府によって伝統医学として公認されているので、インドのみならず世界中で活用される日を心待ちにしている、と語った。
チベット人の長年の友人でメンツィ・カンの支援者でもあるラホール・スピティ地方のシュリ・ラヴィ・タクール市区長は、法王がラホール・スピティ地方を何度も訪問されて、カーラチャクラ灌頂をはじめ、現地で法話を説いてこられたことに感謝の念を捧げた。また、メンツィ・カンの取り組みに対する惜しみない賛辞を送ると、ほかの出席者たちがみなそうしたように、最後に法王のご健康とご長寿を祈願してスピーチを終えた。
法王は、インドの政治家たちとロシアのイリンズイ・マトカーノフ議員に記念品を贈呈された。マハノフ議員はブリヤート共和国出身で、ロシア連邦下院健康保護委員会のメンバーである。また法王は、イェシェー・ドンデン医師の長年の功労を讃えられるとともに、医師たちや薬剤師たちに感謝の意を表された。
続いて司会者が法王に出席者へのお言葉をお願いすると、法王は、「ご来賓の皆さんにおひとりずつ申し上げたいところですが、ここにお集まりくださったすべての方々に心からご挨拶を申し上げます」と挨拶をされて、次のように述べられた。
「私たちはチベットの歴史において最も困難な時代を生きていますが、それでも精一杯できるかぎりのことをしてきました。メンツィ・カンの再建は、その努力の証のひとつと言えます。私たちはよそ者で、難民としてインドに来ましたが、難民支援組織の方々から大変親切にしていただきました。そのおかげで、亡命生活が50年を過ぎた今もなお、チベット人にはチベット語という独自の言語があるということ、そしてチベットの豊かな文化を守り伝えるにはチベット語という媒体が欠かせないということが広く知られているのです。チベットには、主要五科、副次五科といわれるそれぞれ五つの学問の分野があります。主要五科には、サンスクリット文法、医学、美術工芸、論理学、仏教哲学があり、副次五科には、修辞学、記号論・意味論、辞書学、占星学、戯劇学があります」
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ツクラカンで行なわれたメンツィ・カン100周年記念式典でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2016年3月23日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、サンスクリット語の伝統である大乗の教えを確立したインドのナーランダー僧院の導師たちにとって、論理学と認識論がきわめて重要であったことを強調された。仏陀が助言されたように、ナーランダー僧院の導師たちは仏陀の教えを吟味し、検証された。検証することによって、文字通りに理解できる教え(了義)なのか、解釈を必要とする教え(未了義)なのか、ということを区別されたのであるが、これができたのはその検証が道理と論理に基づいていたからである。法王は、「論理学と認識論については、ディグナーガ(陣那)とダルマキールティ(法称)による広範な著作がチベット語で残されています」と述べられ、チャパ・チューキ・センゲ(1109-1169)の論理学の系統を受け継ぐとサキャ・パンディタ(1182-1251)の著作『量理宝蔵』がチベット学研究に取り入れられていることに言及された。
美術工芸について、法王は、「大規模ではありませんが、ノルブリンカ研究所では仏陀、菩薩、ラマの像の制作をはじめ、さまざまな伝統技術を守り伝えています」と述べられた。そして、クヌ・ラマ・リンポチェが法王に、美術工芸というものは外面的とも内面的とも見なすことができる、と語られたという話をされた。心をよりよいものへと変容させていく仏教の修行は、後者の分類に入る。法王は、厳格な学びと修行によって実践的な体験を育むことのできるチベットの伝統はじつにすばらしい文化である、として称えられた。
「私は、自分自身の経験を通して、チベット人が守り伝えてきたチベット仏教のすばらしさがわかるようになりました。仏教はチベット全土に行き渡りましたが、それでもチベット人の大多数は今も仏典を読むことはなく、そこに書かれていることを知りません。チベット仏教の存続を望むのなら、知性を用いて仏教に関わっていかなければなりません。教えを論理的に理解することなく、ただ盲目的に信心していたのでは、仏教は存続しないでしょう」
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ツクラカンで行なわれたメンツィ・カン100周年記念式典でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2016年3月23日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「どれほど長い時間をかけたとしても、ただ祈るだけでは大した変化は生まれません。私はナーガールジュナ(龍樹)を信奉するひとりの弟子ですが、ナーガールジュナに祈りを捧げるだけでは大したことは習得できないと思っています。習得するには、勉強し、理解しなければならないからです。勉強しないことには、300巻以上あるカンギュル(経典)とテンギュル(論書)も無駄になってしまいます。仏陀たちは、有情のなした不徳を水で洗い流すことも、有情の苦しみをその手で取り除くこともできません。仏陀たちは、ご自身が学ばれたことを教えとして説くことによって、有情たちを救済しておられるのです。心を浄化するには、それを妨げている煩悩というかき乱された感情を克服しなければなりませんが、そのためには広範囲にわたる勉強が必要です。たとえばゲルク派に属していても、できればニンマ派やサキャ派、カギュ派の教えも勉強してほしいと思います」
「チベット医学については、通信手段の乏しい8世紀にあのように壮大な会議を召集することができたのですから、今は容易に連絡を取りあえますし、もう一度あのような会議を開催できるはずです。チベット医学は、チベットの伝統医学のみならず、アーユルヴェーダ、中国医学、ユナニ医学に由来しています。ですから、これらの伝統医学に従事する者が集まり、意見交換をするとよいと思います。『四部医典』だけに頼るのではなく、他のさまざまな研究結果や所見を考慮せねばなりません。自己満足している場合ではないのです。どのような貢献ができるか、何を学ぶことができるのか、ということを常に考えて興味を広げてください。急を要する病気には、逆症療法のほうが適している場合が多いものです。しかし慢性病には、チベット医学の治癒効果は絶大なのです」
法王は、メンツィ・カンがチベット独自の医学、天文学・占星学の伝統を維持するために大いに貢献してきたことを称えられたうえで、しかし、チベット人居住区で慢性病を抱えた人々に会うたびに、見落としてきたことがあるのではないかと考えてしまう、と述べられた。
「今のまま続けていけば大丈夫だと思っているかもしれませんが、批判に対しても耳を傾け、問題点を調べ、それを解決する方法を見いだしていかねばなりません。たとえばチベット医学には、予防医学という大切な役割もあるのです。どのように改善できるか考えていきましょう。お伝えしたいことは以上です。ありがとうございました」
法王は演壇を下りられると、再び笑顔で観衆に挨拶をされながら公邸に戻られた。中庭では、歌や踊り、昼食が配られるなど、記念式典のお祝いが続いた。