ミネアポリス・コンベンションセンターに到着され、車を降りられると、法王は地元のチベット人会の代表者たちに迎えられた。そして建物の中に入られると、伝統的なチベット暦新年を祝う供物(新年の初めに捧げるツァンパ、バター、大麦酒)で歓迎を受けられた。法王がステージに上がられると、チベット人の子供たちが喜びの歌と踊りを披露した。法王のお顔は健康的な明るい表情に満ち、聴衆に手を振られて、ラマたちや僧侶たちに挨拶をされた。ミネアポリス市長ベッツィー・ホッジス氏とミネソタ州キャロライン・レイン代議員が法王に歓迎の辞を述べた。
次に、アメリカ・ミネソタ州のチベット財団会長ツェワン・ゴドゥプ博士から簡単な挨拶があり、博士は法王のご健康を喜び、法王が財団からの招聘を受けてくださったことに対して謝意を述べた。博士はまた、今日はチベット暦新年を祝う祈願祭の期間中であることに加えて、「神変大祈願祭」の前日でもあり、パドマサンバヴァ(蓮華生)とご縁のある幸運な猿の年の始まりであるという慶事が重なっていることにも触れた。博士は続けて、ミネソタ州在住のチベット人たちは亡命したチベット人の中でも活発に活動し、地元のコミュニティーに貢献しながら地球市民としてふさわしい行動をするように努めていることを述べて、最後に法王の治療のご成功を祈念した。
法王は、観音菩薩、薬師如来、パドマサンバヴァの仏画の前に着座され、お話を始められた。
「私はいつも話を始める前に、兄弟姉妹であるみなさん、と呼びかけてご挨拶をしています。私は聴衆の方々や7億人の人類すべてを私の兄弟姉妹だと考えていますので、寂しいと感じることはありません。大勢のチベット人が亡命してミネソタ州に移住しましたが、多くの人がすでに亡くなり、今はこの地で生まれ育った新しい世代が暮らしています。私はメイヨークリニックで治療を受け始めてから10年以上にわたり、時折みなさんとお会いしてきました。2年前もみなさんとともにチベット暦の新年を祝いましたが、今日ふたたび皆さんとお会いできたことをとても嬉しく思います」
「みなさんがチベットの伝統の価値を守ろうと努力されていることを、私は大変嬉しく思っています。60年前にチベット本土で騒乱が始まり、私たちが亡命してから57年になりますが、今でもみなさんが意気を高く維持しておられることは素晴らしいことです。私たちが大切にしてきた伝統的な価値観を守り続けているみなさんに感謝しています。チベット人は強い精神を持ち、チベットの文化や宗教的な伝統を守ってきました。ひいては世界全体に対する貢献でもあるのですから、これはとても大事なことであり、誇りに思うべきことです。ナーランダー僧院の伝統は論理的なものの考えかたに基づくものなので、現代の科学者たちも関心を寄せています。私たちチベット人は、自分たちの言語でこれらの伝統を学ぶことができるのですから、他の言語に頼る必要もありません。これらの生きた伝統を維持し、愛情を込めて子供たちを育てる責任は私たちにあります」
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コンベンションセンターで話されるダライ・ラマ法王。2016年2月21日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁) |
「今日、私は仏教徒やダライ・ラマとしてではなく、ひとりの人間として私の考えや経験をお話ししたいと思います」
「私は人類がより幸福に、より平和に暮らせる方法を他の人たちと分かち合うことを使命としています。その鍵は、他者の幸福を願う心を養うこと、つまり慈悲心を養うことです。私たちが直面する問題の多くは私たち自身がつくり出しているのであり、中でも最悪の問題は、人の命が奪われていることです。誰かがトラやゾウに殺されていると聞くと、私たちはかわいそうだと思いますが、人間が互いに殺しあっているというニュースを聞いても、それを当たり前のことのように受け入れてしまう傾向があるようです。みなさんは今ここで居心地よく座っているかもしれませんが、この同じ時に、世界のどこかでは誰かが暴力的に命を奪われていて、時にはそれが宗教の名のもとに行われているのです。私たちのからだと言葉による行動は、感情と結びついます。もし、怒りや憎しみ、疑いなどではなく、愛情と優しさをもって行動すれば、他者に対するより大きな尊敬の念が自然に生まれ、私たちの行動は非暴力的なものとなるでしょう」
「私たちは人間の価値がないがしろにされる物質的な世界に住んでいます。私たちは心の温かさよりも物質的な満足感を求める傾向がありますが、人間は社会的な生活を営んで生きていく動物です。私たちは友情を必要とし、その友情は信頼関係の上に成り立っています。信頼とは、他者を思いやる心や他者の権利を守ることによって成り立ち、他者を傷つけることで育まれることはありません。友情は直接温かい心に結びついており、それはまた、私たちのからだの健康にも役立っています。常に怒りや恐れ、疑いの気持ちを抱いていると、からだの免疫機能も低下してしまう、という事実を科学者たちが発見しているのです」
「私自身の経験から言うと、私たちに必要なのは平穏な心であり、温かい心がその基盤となります。温かい心があれば、家庭や地域社会、国の一員として幸せに暮らしていくことができるのです。もし、私たちが現代の若者たちの心にそういったよい資質を育てることができれば、今世紀のうちにより平和な世界を築くことができると私は信じています。私が人間の価値を高めることに力を注いでいるのは、私たちはみな同じ人間であるということが忘れられがちだからです。もし、みなさんが私のことを友人だと思うなら、私と同じ行動を起こしてください。これは政府や国際連合に期待することではありません。真の変化は個人のレベルから始まるのです。私たちひとりひとりの努力が必要とされているのですから、みなさんもどうかその努力を惜しまないようにお願いしたいと思います」
会場の3,000人近い観衆から拍手が沸き起こった。
さらに法王は、次のように続けられた。「もうひとつ付け加えるならば、私は30年以上にわたって科学者たちと対話を行なってきました。多くの科学者たちが、仏教が提供する“心の科学”を学ぶことに興味を示してくれています。まだ発展段階の初期とも言える現代の心理学に比べると、古代インドで育まれた心についての知識と理解は、はるかに深遠なものだと言うことができるでしょう」
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ダライ・ラマ法王のお話に聴き入る聴衆。2016年2月21日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス(撮影:テンジン・プンツォク)
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「しかし、科学者たちは、まだ言葉を話すこともできない幼い子供でも、害を与える行ないと思いやりのある行ないを描いた絵の違いを識別することができるのであり、害を与える行ないを嫌い、思いやりのある行ないを好むという反応を示すことを実験結果として報告しています。これを理由に、科学者たちは、基本的な人間の性質は慈悲深いものであるという結論に至っており、これは私たちに希望を与えてくれるものです」
次に法王は、ご自身の二番目の使命は異なる宗教間の調和を図ることである、と説明された。宗教による明らかな哲学的見解の違いはあっても、すべての宗教は愛、許し、寛容といった共通のメッセージを伝えており、その共通した目的は、慈悲の心に満ちた人間を育てることである。これに関して法王は、人類への奉仕活動に身を捧げる宗教人たちを例に挙げられた。そして、仏陀も、時や場所、相手によって異なる教えを説かれたことに触れられた。これは、仏陀ご自身が混乱されていたのでも、相手を混乱させようとされたのでもない。人はそれぞれ異なった気質と関心を持っているため、自分に合った考えかたを選ぶことができるように、様々な考えかたが提示されていた方がよいからである。これは、病気の種類が異なれば、それを治す治療方法も異なっているのとまったく同じである。
法王は、多くの宗教はこの世の創造主としての神の存在を説いているが、サーンキヤ学派の一部、ジャイナ教、そして仏教は因果の法を信じているので、自分の行動に対する責任は自分にあり、自分の身に何が起こっても、その責任は自分の肩にかかっていると説いていることを指摘された。しかし、無限の愛の本質として神の存在をとらえ、神を模範として行動することは大変効果のある実践である。
「私たちは宗教に基づく実践をしている者として、異なる宗教間の調和を図るという責任を負っているのです」と法王は述べられた。
法王は法話中、時折チベット語で話され、通訳者にその要旨を伝えるよう指示されたが、それ以外は英語でお話しになった。
法王はまた、次のように述べられた。「私もチベット人であり、幼いころからチベット人に育てられてきましたので、チベット問題の解決をあきらめることは決してできません。2001年に、私は政治的最高指導者としての立場から半ば退き、2011年には完全に引退しましたが、私がそうしたのは民主主義を育てるためです。現在も、チベット本土、そして亡命先に住むチベット人たちはみな私に希望を寄せてくれていますが、今の私が負っている責任は、標高が高く乾燥した気候のため、破壊されやすいチベットの自然環境を守ることです。チベット高原の気候の変化は、世界的な気候変動の問題として、北極、南極の変化と等しく重要であり、環境学者たちの中にはチベット高原を第三の極と呼ぶ人たちもいて、チベット高原に対する特別な措置が必要とされているのです」
法王は、チベット文化は平和と非暴力の文化であることを説明され、チベット文化は、より平和で慈悲にあふれた世界を築くために貢献できるものである、と述べられた。そしてチベット仏教の伝統は、論理学、心理学、さまざまな哲学的見解などを含めて、インドのナーランダー大学の伝統を最も完全な形で受け継いでいるように見受けられる、と語られた。これらの伝統は、主にサンスクリット語からチベット語に訳された300巻以上の仏典に収められている。
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法話中にステージ前まで歩み寄ってきたチベット人の少女。2016年2月21日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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このとき、赤いチベットの衣装を着た幼い少女がステージ前まで歩み寄り、法王を見上げた。法王は微笑まれて少女に手を振られ、年齢を尋ねられると、少女は4歳だと答えた。少女はしばらく法王の目を見つめてから家族のもとに駆け戻っていった。法王は次のように述べられた。
「この女の子のように、幼い子供たちはとても純粋で開かれた心を持っています。偏見や既成概念はありません。肌の色や信仰、国籍、富や教育があるかないかなど、大人がとらわれるような二次的な違いに左右されることもありません。私たちは幼い子供を見習うべきであり、その特効薬となるのは、私たちはみな同じ人間であるということを思い出すことです」
法王は、ナーランダー大学の偉大な学匠であったシャーンタラクシタ(寂護)によって、チベットにナーランダー大学の伝統がもたらされた話に戻られた。シャーンタラクシタは、チベットの国王ティソン・デツェンの招聘を受けてチベットを訪れている。シャーンタラクシタの偉大さは、今日でもその著書『真理綱要』から窺うことができる。法王は、南インドにあるニンマ派のミンドゥルリン僧院、そしてタシルンポ僧院に、このテキストを僧院の履修科目に取り入れるよう提案したことを述べられた。シャーンタラクシタはチベットにおいて初めて比丘の戒律を授与した方である。そして、サムイェーに最初の仏教僧院を建立する手助けをし、偉大なテキストの解説をして、仏典をチベット語に翻訳することを推進しながら自らも翻訳事業に参加された。20世紀初頭に何度もチベットを訪れた著名なインド人旅行家ラーフル・サーンクリッティヤーヤンは、チベットにはパドマサンバヴァ像が広く普及しているものの、シャーンタラクシタの像をひとつも見たことがないということに驚いていた。
仏教は8世紀に栄えたが、その後9世紀にチベットの政治が混乱したことにより、仏教は衰退した。その後11世紀に、吐蕃王朝の子孫であるンガリ地方の王がインドのヴィクラマシーラ大学からアティーシャを招聘した。アティーシャはトディン(托林 / トリン)で代表作となる『菩提道灯論』を著された。アティーシャの一番弟子であったドムトン・ギャルウェー・ジュンネはカダム派の伝統を創始した方である。カダム派には、インドの古典的なテキストを学ぶカダム聖典派、ラムリム(修行道の段階)の教えに従うカダム・ラムリム派、秘訣の教えに従うカダム秘訣派という三つの系譜がある。ゲシェ・ポトワの弟子で、法王が今回法話を行なわれる『心を訓練する八つの教え』の著者ゲシェ・ランリタンパは、カダム聖典派の導師である。
このテキストを手にされた法王は、「私はすべての有情たちを常に慈しむことができますように」と述べられている第1偈は、利他の心の実践を説くものであると説明された。しかし、ここでいう「私」とはいったいどのような存在なのだろうか、と法王は聴衆に問いかけられた。インドの哲学学派の多くが、独立した自我の存在を肯定しているものの、仏教の四つの哲学学派はみな、永遠で、他の条件に依存せず、それ自体の力で独立して存在する自我があるという考えを否定している。そこで法王は、ナーガールジュナの著作から次の偈を引用された。
- 人は地ではなく、水でもなく
- 火でもなく、風でもなく、虚空でもなく
- 意識でもなく、そのすべてでもない
- 人はそれ以外の何であろうか
人とは、地・水・火・風・空と意識という6つの構成要素の集まりに対して与えられた名前でしかなく、これらの各構成要素もまた、単なる名前に他ならない。法王は、これは容易に理解できることではないということを明確にされたうえで、ご自身も過去60年にわたって取り組んでこられたが、40年前からようやくその意味がわかり始めた、と語られた。これを理解することが何の役に立つのかと言うと、それは自分の心に平和を育むことに結びつくのである。法王は、先日キリスト教の修道女たちにお話をされたとき、ひとりの修道女に、人間の強いエゴにどう対処したらよいのかと尋ねられたことを話された。法王はその修道女に、自分とは神のすべての創造物の中の、ほんの小さな一部に過ぎないと考えることは非常に役に立つ、と答えられたそうである。
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コンベンションセンターでお話をされるダライ・ラマ法王。2016年2月21日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス(撮影:テンジン・プンツォク) |
法王は、再び『心を訓練する八つの教え』に戻られた。そして、第1偈は他者に対する愛と慈悲の心について、第2偈は謙虚な姿勢について、第3偈は日常の中で注意深さを維持すること、例えば、心の中に怒りが生じたときは、愛をその対策として用いることが説かれている。第4偈では、粗野で手に負えない人に出会ったときは、怒りに屈するのではなく慈悲の心を示すこと、第5偈では、負けを認めて勝利を他者に譲ることを勧めている。第6偈は、自分が助けた人が自分をひどい目に合わせても、忍耐する心を育てること、第7偈では、他者の苦しみを引き受けて自分の幸せを与えるという実践を観想するトンレンの修行について説かれている。最後の第8偈は、八つの世俗的なとらわれ(世俗の八法)に屈することなく、あらゆる現象は幻であり、独立した実体など微塵もないと考えるべきことが説かれている。
その後法王は、2,000人のチベット人を含む3,000人近い聴衆を導かれ、菩提心生起の土台となる三つの偈をともに唱えられた。最初の偈は、仏陀・仏法・僧伽に対する帰依であり、他の宗教の信者たちは自らが帰依する対象を観想し、その対象に向かって帰依の言葉を唱えていると考えるようにと述べられた。二番目の偈は、実際に菩提心を生起するための偈であり、最後の偈は、その実践を奨励し、菩提心を高めるための祈願である。
- すべての有情を救済しようという願いによって
- 悟りの真髄に至るまで
- 仏陀・仏法・僧伽に
- 常に私は帰依いたします
- 智慧と慈悲を持って精進し
- すべての有情を利益するために
- 私は仏陀の御前に
- 完全なる菩提心を生起いたします
- この虚空が存在する限り
- 有情が存在する限り
- 私も存在し続けて
- 有情の苦しみを取り除くことが出来ますように
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法話の最後に3,000人を超える聴衆に手を振られるダライ・ラマ法王。2016年2月21日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁)
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最後に法王は、『般若心経』の真言で示されている5つの修行の段階を簡潔に説明して法話を締めくくられた。最初の「ガテー」は資糧道に行け、二つ目の「ガテー」は加行道に行け、「パーラガテー」は見道に行け、「パーラサムガテー」は修道に行け、そして最後の「ボーディ・スヴァーハー」は無学道に至って悟りを成就せよ、と言われていることを説明された。
主催者グループの代表者たちが白い絹のスカーフ(カター)を献上すると、法王は微笑まれ、満ち足りた表情の聴衆に手を振られてステージを後にされた。昼食後、法王は再び車に乗り込まれ、ロチェスターに戻られた。