アメリカ、ミネソタ州 ロチェスター
よく晴れた寒い日の午前中、法王はミネソタ州ロチェスターで、カリフォルニア州アナハイム市長のトム・テイト氏、ケンタッキー州ルイビル市長のグレッグ・フィッシャー氏、ミネソタ州ロチェスター市長のアーデル・ブレーデ氏など、思いやりのある街づくりに尽力している人々と会われた。アナハイム市は「やさしさの街」という名を、ルイビルは「思いやりの街」という名を掲げている。
法王は市長一行を歓迎し、「私たちは現代社会で、最近の難民問題のような多くの苦しみを目の当たりにしています」と語られた。「私たちは、いったいこの世界の何が悪いのか疑問を持たねばなりません。私には、他の人たちの命を尊び、他の人たちの幸福を願う気持ちが欠けているように思えます。私たちは、私が!僕が!と主張して、自分のことしか考えていません。これこそが現代の問題の根本原因なのです」
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思いやりのある街づくりに尽力する市長、関係者たちとダライ・ラマ法王。2016年2月11日、ミネソタ州ロチェスター(撮影:テンジン・タクラ、法王庁) |
法王は、思いやりのある街づくりに向けた各市長の努力を称賛され、「思いやりのある優しい人々を育む組織的な取り組みをはじめる時代がようやく到来しました。これは、信仰を持つ持たないに関わらず、70億人の人類すべてを包含できる方法です」と語られた。
「すべての子どもたちは、母親の深い愛と慈しみをその身に受けています。これは生物学的な要因であり、宗教に基づくものではありません。こうしたレベルで愛情の価値を推進する方法がきっとあるはずです。これが私が唱える“世俗の倫理”です。ここでいう“世俗”とは、信仰を持つ者も持たない者も尊重するという、インドの伝統的な考え方における“世俗”のことです」
法王は、世俗の倫理を一般的な普通教育の中に取り入れたカリキュラムをつくる重要性について熱心に説かれ、「エモリー大学の支援によって、“世俗の倫理教育カリキュラム”の草案ができあがりつつあります。このカリキュラムは科学的な教育を基盤として、私たちの常識と経験に結びついたものです。このカリキュラムの草案を完成させるため、今年中にインドとアメリカで会議が開かれることになっています」と語られた。
法王は、この教育カリキュラムの推進は自らの使命であると熱く語られた。「私は、人類70億人がひとつの人間家族となるように死ぬまで尽力していくつもりです。私は人と接するときはいつも、その人も人間家族の一員であり、仲間だと思って接しています。そうすると、自然に深い親しみの情が湧いてくるのです。しかし、他者との二次的な違いにとらわれている人は、孤独感に苛まれて人生を過ごすことになってしまいます」
「“世俗の倫理”に強い関心を寄せ、思いやりとやさしさがどれほど重要であるかということに気づきはじめた方々にお目にかかって、私は大変勇気づけられました」と法王は語られた。「これは明るい兆しです。“世俗の倫理”を広めていく上で、アメリカは重要な役割を担っていると私は思います」
「アメリカは経済的に最も影響力のある国家であり、これは実に素晴らしいことです。しかし今、人間の内なる豊かさや内なる価値にもっと目を向けるときが来ました。アメリカは大きな可能性を秘めています。この国に“やさしさと思いやりの街”が増えれば、やがて真の人間の価値に基づく教育カリキュラムが普及し、社会全体によい影響を与えることでしょう。すでに多くの人たちが、物質的な進歩だけでは幸福な生活を送ることはできないということに気づいているのです」
その後、ルイビル市長のグレッグ・フィッシャー氏が、「法王が2013年にルイビルにいらしたとき、“世俗の倫理”という考え方をこの地域で実践してみてほしい、と私におっしゃいました。これはその後の私の経験ですが、“世俗”という言葉を反宗教の意味にとらえてしまう人たちもいて、私たちが“世俗”という言葉を使うといくぶん不安げな様子でした。そこで、“人間の価値”や“普遍的な価値”という言葉に置き換えてみたところ、だいぶ受け入れやすくなったようです」と、人間の基本的な価値としてのやさしさと愛、慈しみについて語った。
フィッシャー氏は法王に対し、「ルイビルでは、学校制度の中で人間の基本的価値を教えていく“思いやりのある学校”プロジェクトを実施しています」と語った。「私たちは三つの学校を開設し、やさしさ、愛、慈しみの心、注意深さや瞑想などに基づいて、社会に役立つよい感情を高める行動をすることを幼い子どもたちに教えています。この学校の子どもたちは、それぞれ難しい生活環境の中で過ごしてきましたが、この学校で生まれて初めて穏やかな気持ちになり、心を開いて学びはじめているのです」
その効果について、報告書が作成されたり、調査が実施されたりしたのかどうかを法王が問われると、フィッシャー市長は、「私たちはバージニア大学と協力して、この科学的方法を導入した10校と導入していない10校で試験を行って両者を比較し、恒久的にどのような違いが生じるかを確認する予定です」と述べた。
それに対して法王は、次のように語られた。「この10年間、私は科学者や教育の専門家など多くの人と話し合ってきましたが、皆さんが賛同してくださったのは、物質的な価値に焦点を当てた従来の教育制度には足りないものがある、という点でした。つまり、やさしさと思いやりを高めるための教育をつけ加える必要があるのです。初期段階ではこうした取り組みも小規模に実施せざるを得ませんが、その効果が明らかになれば、より多くの地域の学校で実施できるようになります」
「政治的指導者たちは、現在抱えている問題に対処するだけでめいっぱいです。しかし、この取り組みは未来の問題を解決するためのものです。人間の真の価値に基づく教育を受けて成長する21世紀後半のリーダーたちなら、もっと心優しい人間になってくれるだろうと私は確信しています。そうなれば、21世紀を平和と慈しみの世紀にすることができるのです」
次に、別の参加者がカナダの学校で行っている “思いやりプログラム”について語った。「私たちは、この“思いやりプログラム”を通じて、子どもたちが教室の枠を超えた生きる術を培っていることに気づきました。子どもたちは学校で学んだことを家に持ち帰って両親に話します。すると、ご両親から、『うちの10歳の子は夕食のときに紛争解決の話をするんですよ』というお電話をいただいたりして、私たちも嬉しく思っています。また、そうした良い影響を目にすると、ご両親もこのプログラムに関心を持ってくれるようになります」
法王は、一行に軽い昼食をふるまわれた後、その日集まった参加者たちに感謝の気持ちを示された。