タシルンポ僧院長のカーチェン・ロブサン・ツェタン師は、ダライ・ラマ法王を観音菩薩の化身としてステージにお迎えし、続いてガンデン座主リゾン・リンポチェ、ガンデン僧院副座主(ガンデン・シャルツェ・チュージェ、ガンデン・ジャンツェ・チュージェ)、年配のラマたち、政府高官や来賓の方々をステージに迎えると、このように正式な落慶法要を開催できたことへの感謝の言葉を述べた。その中でカーチェン・ロブサン・ツェタン師は、チベット本土のタシルンポ僧院は1447年にダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプが57歳の時に創立された、と説明した。その後、ダライ・ラマ2世ゲンドゥン・ギャツォが1世の転生者として認定されて、タシルンポ僧院で即位された。パンチェン・ラマ4世ロブサン・チューキ・ギャルツェンの時代、タシルンポ僧院は顕教(スートラ)と密教(タントラ)の両方を学ぶための学府となった。その結果、タシルンポ僧院は中央チベットにおけるチベット文化の砦となったのである。
1970年代、インドに亡命したわずか数名のタシルンポ僧院の僧侶たちがここ南インドのバイラクッペに僧院を再建した。以来、ダライ・ラマ法王のご厚意によってダライ・ラマ基金の援助を受け、タシルンポ僧院の伝統は完全な復興を果たしたのである。カルマパ猊下もまた、惜しみない関心と支援を送られてきた。
タシルンポ僧院長は、この新しい本堂の仏像はガンデン座主リゾン・リンポチェが「金剛怖畏(ヴァジュラバイラヴァ)」十三尊の儀式に則って開眼供養をされたものであることを述べた。また僧院長は、悪霊ドルギャル(シュクデン)に関して、タシルンポ僧院もタシルンポ僧院に在籍する僧侶やその支援者も一切関わりがないことを明言した。さらに、とりわけチベット本土においてはパンチェン・ラマの名を語ってこの悪霊信仰を普及しようとしてきた者たちが僧侶を装っているケースがある、としたうえで、「そのような者たちに対しては真っ向から立ち向かうつもりである」と語った。
また僧院長は、タシルンポ僧院は「中道のアプローチ」を支持している、と明言した。そして遠く海外から集まった大勢の来賓に感謝の言葉を述べると、最後に、ダライ・ラマ法王とパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チューキ・ニマに福寿長命の祈願を捧げた。
法王が今年80歳を迎えられたことを記念し、タシルンポ僧院は法王への感謝のしるしとして白檀のダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプの像、金貨、法螺貝の装飾品を献上した。
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ロブサン・センゲ主席大臣と亡命チベット代表者議会のペンパ・ツェリン議長とともに冗談を交えて談笑されるダライ・ラマ法王。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ、タシルンポ僧院(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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中央チベット政権の政治的最高指導者であるロブサン・センゲ主席大臣はスピーチの中で来賓に挨拶の言葉を述べ、タシルンポ僧院が再建を果たして新本堂の落慶に至ったことを祝した。主席大臣は、法王がパンチェン・ラマ11世として認定されて以来、行方がわからなくなっているパンチェン・リンポチェ(パンチェン・ラマ)に対し敬意を捧げた。そして、中央チベット政権はあらゆる機会を使ってパンチェン・リンポチェの解放を求めていく、と語った。主席大臣はまた、タシルンポ僧院とヒマラヤ地域に住む人々が古来より結ばれていたことに言及した。亡命チベット代表者議会のペンパ・ツェリン議長もまたお祝いの言葉を捧げた。
ガンデン座主リゾン・リンポチェはスピーチの中で、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは父と息子のような関係にある、と語った。そして、かつてティジャン・リンポチェがデプン僧院ロセリン学堂の問答の広場について、「仏陀の教えが広まっている所はどこであれ、平和で幸せな場となるだろう。すべてはダライ・ラマ法王にかかっている」と述べられていたという話をされた。
主賓のカルナータカ州知事の到着が遅れていたため、法王は聴衆に向けてスピーチを始められた。その中で法王は、学びの場としてタシルンポ僧院が恵まれた環境にあることを高く評価された。そして、最も大切なのは仏法の勉強なのだということを強調された。さらに法王は、仏教はチベットに隈なく広まったが、それでも仏教に関する教養が民衆にもあるとは言い難い、と述べられた。そして、法王がヒマラヤ地域を訪問した時に会われた人々は「仏陀、仏法、僧伽の三宝に帰依します」と唱えてはいるものの、仏陀と仏法と僧伽が何なのか明確には知らなかった、と語られた。
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新本堂の落慶法要に出席される各チベット僧院の僧院長や元僧院長。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ、タシルンポ僧院(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「私たちは21世紀の仏教徒なのですから、仏陀の教えをよく理解した仏教徒にならねばなりません。そのためはもっと教育に力を入れていく必要があります。伝統宗教はどれも人々の役に立っているのですから、どの宗教もすばらしいのです。中国、韓国、日本にもナーランダー僧院の伝統に従っていますが、この教えを中心に据えて細部まで厳格に従っているのはチベット仏教だけなのです。私たちは今、ナーランダー僧院から伝わる知識と智慧を語り伝えることのできる人々を必要としています。インドをはじめ、さまざまな国で仏教への関心が高まっているのです」
カルナータカ州知事のシュリ・ヴァジュバイ・ルダバイ・ヴァラ氏が到着すると、法王はステージを下りて知事を迎えに出られた。お二人はともに階段を上られ、バターランプに火を灯された。続いて法王は、タシルンポ僧院に代わって記念品を州知事に贈られた。
「兄弟姉妹の皆さん、今日、この場に立てたことを大変うれしく思います」と州知事はヒンディー語で語った。「じつに素晴らしいことです。皆さんの前途がすばらしいものとなるようお祈りしています」
「チベット人の皆さんをこのカルナータカ州にお迎えしてから長い年月が経ちました。皆さんは観光客を魅了するすばらしい仏教寺院を建てられました。インドは仏陀の地であり、ソンツェン・ガンポ王が仏教に関心を持たれて以来、インドとチベットには深い絆があります。また私は、この素晴らしい仏像にお目にかかれたこともうれしく思っています」
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新本堂の落慶法要でスピーチをするカルナータカ州知事シュリ・ヴァジュバイ・ルダバイ・ヴァラ氏。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ、タシルンポ僧院(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「また同時に、ここにパンチェン・リンポチェのお姿がないことが残念でなりません。パンチェン・リンポチェは、ダライ・ラマ法王が1995年にパンチェン・ラマ11世として認定されてからずっと行方不明のままです。その前任者であるパンチェン・ラマ10世は、チベット人の安寧のためにたゆみない努力をされたと聞いています」
「このタシルンポ僧院はヒマラヤ地域出身の学僧を多く迎え入れてきたと聞き、大変うれしく思っています。われわれインド人は常に皆さんと共にあり、チベット人とインド人は共に手を携え合っているのだということを忘れないでください。いずれチベットは自由を手にするでしょう。それには、マハトマ・ガンジーがインドのためにされたように非暴力のアプローチを貫かねばなりません。心を強く持ってください。絶対に希望を失わないでください」
群衆が拍手喝采を送ると、州知事は微笑み、着席した。法王は、州知事、僧院関係者、来賓に敬意を表されると次のように述べられた。
「法友の皆さん、ここにお集まりいただいたことにお礼を申し上げたいと思います。1960年代、パンディット・ネルー首相は各地の州政府に手紙を書いて、チベット人が居住するための土地を提供することができないか尋ねてくださいました。とりわけ惜しみない返事をくださったのがマイソール州と、ニジャリンガッパ氏でした。そこで私たちはムンゴットとコレガル、そしてここバイラクッペへの入植を始めたのです。私たちはカルナータカ州の皆さんのご親切を忘れませんし、祈りの中でニジャリンガッパ氏のことを忘れたことはありません」
「私たちは千年以上にわたって慈悲と非暴力の文化を守り伝え、これを絶やさないことを優先してきました。そのために私たちは入植地に学校を創り、チベット人の子どもたちが現代教育とチベット人としての教育の両方を受けることができるようにしたのです。長い年月が経ちましたが、成果は出ていると思います」
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新本堂の落慶法要でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ、タシルンポ僧院(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
「チベット仏教の根幹にはナーランダー僧院の伝統があり、チベット仏教はこんにち最も包括的な仏教の伝統を引き継いでいます。修行については仏教徒のみが実践することですが、論理学や認識論、心の科学についての知識は、仏教徒だけでなくあらゆる人々が役に立てることのできるものです。チベット仏教の学府もカルナータカ州に再建され、ここバイラクッペにもセラ僧院、タシルンポ僧院、ナムドルリン僧院が再建されました」
「州知事がこうして今日来てくださり、若きパンチェン・リンポチェに対するお気持ちを表明してくださったことにお礼を申し上げたいと思います」
謝辞に続き、来賓に昼食が振る舞われた。
昼食後、新本堂が再び聴衆でいっぱいになると、『般若心経』や『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』などが唱えられて、午後の部が始まった。
法王は、「法話を説く時も聴く時も、純粋な熱意を持って取り組まねばなりません」と述べられて、次のように語られた。
「法話は自慢したり見せびらかしたりするためのものではありません。他の人たちのために役に立つ方法を求めるのが法話なのです。私たちは、『世俗の八法(世俗の八つの思惑)』に惑わされないように、どのように行動すべきかを学ばなければなりません。私たちの行ないが仏法の実践となるためには、三宝への帰依が土台として必要であり、仏像を家に置いて敬意を表しているだけでは充分ではないのです。自分の心が鎮められていなければなりません。三帰依や菩提心生起の偈を唱える時は、仏陀は有情のなした不徳を水で洗い流すことも、その手で有情の苦しみを取り除くこともできないということを思い起こしたうえで、仏陀・仏法・僧伽に帰依する必要があります。仏陀が現実のありようを明らかにし、苦しみを滅して解脱に至る道を示されたことを思い起こさなければなりません」
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タシルンポ僧院で法話をされるダライ・ラマ法王。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「私たちが帰依するべきものは、三宝の中でも主に仏法となります。仏法によって、苦しみの真の消滅がありること、そして、解脱という苦しみを断滅した境地に至るための方法が明らかにされているからです。私たちは、煩悩でいっぱいのかき乱された心を鎮める必要があります。そこで私たちは、無明を滅する道を明らかに示された仏陀に礼拝しているのです」
「今日はこれから論理学と認識論についての法話に入ります。これらは本来サンスクリット語の伝統(大乗仏教)に属していた分野です。仏陀は、時と場に応じて教えを説かれました。仏陀の教えの中でも、般若経は文字通りに理解することができますが、『解深密経』など他の経典には、究極の明らかな意味を示すもの(了義)と解釈を必要とするもの(未了義)があります。仏陀は弟子たちの気質に合った教えを説くという思いやりと技術を併せ持っておられました。仏陀が助言されたように、私たちも論理を用い、正しい根拠を示すことで、どの教義が了義で、どの教義が未了義かという判断をすることができるのです」
「ダルマキールティ(法称)は論理学と認識論に関する七巻の論理学書を書かれました。これらをはじめ、サキャ・パンディタのようなチベット人の成就者たちが書かれた著作もチベット語で読むことができます。中国にはダルマキールティの著作は1巻しか残されていません」
「私は、ダルマキールティの『量評釈自注』の解説の伝授をリクジン・テンパ師から受けました。テンパ師はキノール出身のすばらしいラマでした。リン・リンポチェも私に概論を伝授してくださいました。リグジン・テンパ師はガンデン・シャルツェのゲシェから伝授を受けられました」
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新本堂の落慶法要に出席するタシルンポ僧院の支援者たち。2015年12月19日、インド、カルナータカ州バイラクッペ、タシルンポ僧院(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「ツォンカパ大師はダライ・ラマ1世ゲンドゥン・ドゥプに論理的認識方法(量。プラマーナ)に焦点を定めるよう勧められましたし、私たちはタシルンポ僧院に集まったのですから、この教えをここで説き始めるのがよいと思ったのです。ここにいる間に“菩提道次第”(ラムリム)の法話を終えなければなりませんが、今このテキストを説き始めればいつか完結させることができるでしょう」
法王は、ディグナーガ(陣那)の『集量論』の読誦を始められた。続いて法王は、ダルマキールティの『量評釈注』の説明に入られた。テキストは、この書を著す際の著者の決意と約束の言葉から始まり、「このテキストを書くことが私の利得になるだろうという考えは私には一切ない」という一文が添えられている。タイトルがサンスクリット語とチベット語で記され、次に「若き文殊菩薩に礼拝いたします」という礼拝の言葉が捧げられている。テキストは4つの章で構成されている。法王はここで、本日の法話の終了を告げられた。
明日から、「菩提道次第(ラムリム)」の法話が再開される。