インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ
今朝、ナムギャル寺の中庭は花々や旗で鮮やかに飾られていた。僧侶たちが角笛を吹き鳴らすと、ダライ・ラマ法王が到着された。
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ツクラカンに到着され、仏陀釈迦無尼像に敬意を表されるダライ・ラマ法王。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、いつものように笑顔で人々に声をかけながら7,000人の群衆の前へと歩まれ、仏陀釈迦牟尼像に敬意を表されてから法座に座られた。法王が長寿灌頂法要のための準備の儀式に入られている間、会場の人々は『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』、『観音菩薩の転生者たちへの祈願』、ターラー菩薩の真言などを唱えて祈りを捧げた。
「本日は、釈尊が、三十三天にお生まれになった母君に教えを説いて雨季を過ごされ、天界から地上に降臨された日です」と法王は述べられると、次のように語られた。「パーリの伝統を維持する小乗仏教徒の人々もまた、今日という日をお祝いしています。本日行われる私の長寿祈願法要は、バルカム県のロンポ、バルカム県のソクショ、ティドゥ県、カム中央実行委員会の皆さんが中心となって主催してくださいました。今日はおめでたい日ですので、まずは皆さんへの返礼として長寿の灌頂の授与から始めたいと思います。ここには灌頂の施主の皆さん、ダラムサラの住人の皆さん、ヒマラヤ地域の皆さん、キリスト教を信仰する国々からいらした皆さんなどさまざまな方々がいらっしゃいます」
「来賓の中には、私が明日から二日間かけて対話を行なうことになっているアメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterprise Institute)の皆さんもいらっしゃいます。このような儀式をご覧になるのはおそらく今回が初めてでしょう」
法王は、チベットで仏教が広まった経緯を説明され、その修行は僧院の規律である「律」、一点集中の瞑想によって高められた禅定の力である「止」、鋭い洞察力によって空の理解を育む「観」に重きが置かれていることを説かれた。これには「三十七道品」という悟りに至るための三十七の実践が組み込まれている。自性による成立はないという「空」の理解と利他の心である菩提心を培うための修行、そして六波羅蜜の修行はサンスクリット語の伝統(大乗仏教)として守り伝えられてきた教えである。法王は、「これらの修行の根本的な目的は他者を助けることにある」と述べられた。
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ツクラカンで行なわれたダライ・ラマ法王に捧げる長寿祈願法要で伝統楽器を奏する僧侶たち。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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続いて法王は、意識のレベルについて説かれた。たとえば、起きているときの意識は五感に支配されていて最も粗く、夢を見ているときの意識は微細で、深い眠りにあるときの意識はさらに微細であり、気絶しているときの意識はきわめて微細である。最も微細な意識が現れるのは死ぬときである。法王は、仏教の修行者のなかには死ぬときに最も微細な意識に焦点を合わせることのできる修行者がいて、そのような場合には、からだが腐ることもなく、生き生きした状態のまま何日も保たれる場合がある、と述べられた。この現象を解明するために、現在、科学者たちが調査を進めている。
法王は、先日ナーシクで、ご友人であるヒンドゥー教徒のスワミに会われたときの話をされ、「そのスワミは仏教哲学に関心を持たれていて、前世を思い出すことのできる人々が存在するということは前世があるというしるしである、ということにふたりの意見が一致した」として次のように述べられた。
「私たち仏教徒は、微細なレベルの心を顕現させる方法を修行道において実践します。これはチベット人が考え出したものではありません。これはチベット人に教えを授けてくださったインドのナーランダー僧院の学匠たちから学んだ教えなのです」
また法王は、サンスクリット語の伝統である大乗の教えが浸透した国々の仏教徒は、「般若波羅蜜」(完成された智慧)の教えの短縮版である『般若心経』を唱える習慣があることにふれて次のように述べられた。
「しかしながら、チベット語においては長編の般若経(般若波羅蜜多経)が複数残されているだけでなく、ナーガールジュナ(龍樹)とその弟子たちによる完全な解説も残されています。これはシャーンタラクシタのおかげです。ナーランダー僧院で伝授されてきた解説や注釈をシャーンタラクシタがチベットで確立してくださったことに、チベット人はとても感謝しています。シャーンタラクシタはまた、チベット人が母国語で経典を学べるように、インドの仏典をチベット語に翻訳することを勧めてくださいました。そして、ナーランダー僧院で生まれた教えを論理的に学べるようにしてくださったのです。その結果、チベット語は最も多くの仏典を包括的に守り伝える言語となりました」
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ツクラカンで行われたダライ・ラマ法王に捧げる長寿祈願法要の模様。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、仏陀を医師になぞらえて「医師が患者の病状を診断して薬を処方するように、仏陀の助言の真髄は、他者が確実に幸せになれるように導き、それによって自己もまた幸せになることにある」と述べられた。
「私たちは無知を克服しなければなりません。仏陀は“心を徹底的に手なずけよ”と明確な助言をしておられます。私たち人間が間違ったものの考えかたをしてしまうのは、無知であるがゆえに本来のもののありようを誤解しているからです。私たちは、ものが現れてくるその姿にとらわれているのです。つまり、現れてくるその姿は、他のものに依存せずに独立して存在していると思い込んでいるのです」
法王は、アメリカ人の精神科医でご友人のアーロン・ベック博士の研究にふれて、かき乱れた心がどれほど強くものの現われと関わっているかについて説明された。だれかに腹を立てているとき、私たちは完全にネガティブな状態にあるが、そのときに現われているものの90パーセントは自分自身の心の投影にすぎないのである。
「現実のありようを理解すればするほど、ものには固有の実体があるという間違った考えかたにとらわれなくなります。逆に、ものには固有の実体があるという間違った考えかたにどれほど自分がとらわれているのかを理解するまでは、修行を先へと進めることはできないでしょう。つまり、“心を徹底的に手なずけよ”という仏陀のお言葉は、無知を断滅せよ、という意味なのです。そしてそのための第一歩が、戒律と禅定の修行なのです」
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ツクラカンで行なわれたダライ・ラマ法王に捧げる長寿祈願法要で、供物を捧げようと待機する主催者グループの人々。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、過去には、チベットにおいても一般市民の多くはその信仰心から仏教徒を名のっていたにすぎなかったことを示唆された。そして法王は、「現在は全体としての教育水準が上がったのだから、ただ信心するだけでなく、仏教だけが持つすぐれた特質を理解することが大切である」と述べられ、般若経の注釈書であるマイトレーヤ(弥勒)の『現観荘厳論』を学ぶよう助言された。
「教えの内容や主題、その目的をよく考えてください。一時的な目的は何なのか、究極的な目的は何なのか、それがどのように関連しているのか、ということをよく検討してください。このような意味において、“金細工職人が金の純度を満足できるまで鑑定するのと同じように、私の教えもよく吟味してから受け入れるべきである”と仏陀が弟子たちに述べられたことを心に留めておくことが大切なのです。教えを考察し、調べ、試してください」
「私も、これを土台として科学者たちと対話を行なってきました。それが論理的に解釈するということなのです。私たちチベット人には誇りにすることのできる智慧があります。私は仏教徒への改宗を勧めているのではありません。しかし、たとえば、仏教心理学を理解することは、人類全体の幸福に役立てることができます。他者を利益(りやく)しようとすることが自分自身を利益することになるという教えは、だれにとっても役立つはずです。他者を思いやる心によって自己中心的な考えを滅するなら、そして智慧によって無知を滅するなら、それは人のためとなり、長寿を全うする価値があるというものでしょう。しかしゲシェ・ポタワが述べられたように、他者に害を与えているだけの人生なら、短いほうがよほどよいのではないでしょうか」
続いて法王は、白ターラー菩薩の長寿灌頂を執り行なわれ、菩提心生起へと受者たちを導いていかれた。続いて、法王に捧げる長寿祈願法要の儀式がナムギャル寺僧院長によって執り行なわれた。この儀式もまた白ターラー菩薩に基づくものであった。男性、女性、年少者、高齢者が入り混じった四組の施主のグループがうれしそうな表情を浮かべて会場の端から端まで列を作り、供物を捧げた。
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ナムギャル寺の中庭でダライ・ラマ法王に感謝の品を献納するバルカム県のソクショチベット人会の人々。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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第二部の行事は、ナムギャル寺の中庭で行なわれた。最初にバルカム県のソクショ・チベット人会の代表から、法王に感謝のしるしが捧げられた。ソクショ・シャブドゥン・リンポチェは、法王の人生を讃える言葉を読み上げた。それは、観音菩薩が雪の国チベットにおられたときの特別な場所やダライ・ラマ5世が描いておられたチベットの政治的・精神的指導者としての権限について、そして14世法王がアムドにお生まれになったことについて述べられていた。
また、法王がシュクデン(ドルギャル)の霊をなだめる修行に問題があるとして注意を喚起されたこと、ジェ・ツォンカパの教えの正統性を明らかにされたことへの感謝の言葉もあった。リンポチェは、シュクデンを礼拝しないことをチベット人会として誓約していることを表明すると、いつかチベットに帰還し、法王の教えを祖国で拝聴できる日が来ることを全員が祈っている、と語った。続いて、チベットをかたどった金メダル、長寿を司る無量寿仏(阿弥陀仏)、ダライ・ラマ5世の治世以来、バルカム県のソクショ・チベット人会の人々がダライ・ラマと結んできた関係についての叙述が法王に捧げられた。
続いてバルカム県のロンポ・チベット人会の人々から、法王に金の法輪が捧げられた。彼らもまた、シュクデンの霊をなだめる修行をしないことを誓約し、シュクデンの修行をしている同郷の人々を説得したい、と語った。
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行事の一環としてナムギャル寺の中庭で伝統の踊りを披露するバルカム県のソクショ・チベット人会の人々。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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続いて、バルカム県のソクショ・チベット人会の人々が『ラマは三世にわたる仏陀の顕現である』という伝統的な歌と踊りを披露した。
それに答えて法王は、「1959年に亡命する以前も、そして亡命以後も、私はあなた方と常に固い精神的絆で結ばれている」と述べられた。
「クムブム寺の近くの村に生まれた幼い少年がチベットのリーダーになったのです。私たちの間にはカルマによる強いつながりがあるということでしょう」
「同郷の人々の中に今もシュクデンの霊をなだめる修行をしている人々がいると言われましたが、このダライ・ラマもかつてはその修行をしていたので彼らを責めることはできません。私は1950年にドモでその修行を始め、1970年まで続けていました。当時、シュクデンにはゲルク派を守護する役目があると言われていたからです。一部のラマはその系譜を引き継ぎましたが、他のラマは引き継ぎませんでした」
「このところ、シュクデンの支持者たちが私に抗議をしています。彼らは私を偽物のダライ・ラマと呼んでいます。彼らは私をイスラム教徒と呼び、チベット人は私を支持してはならない、と言うのです。このような抗議をけしかけている人物は、個人的な恨みからやっているのだと思います。しかしながらチベット人の皆さんには、彼らに対して腹を立てることのないよう助言をしておきます。私は毎日、菩提心を育み、空を理解するための修行をしていますから、私自身について言えば、彼らに対して怒りを感じてはいないのです」
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ナムギャル寺の中庭で聴衆にお話をされるダライ・ラマ法王。2015年11月3日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「私もシュクデンの霊をなだめる修行を始めた頃は懐疑的でした。そこで400年近くの歴史を遡って調査してみたのです。じつにさまざまな調査を行ないました。私は無知であったがゆえにその修行をしていたのです。調査の結果、私はその修行をやめることにしました。しかし同時に、調査によって判明したことを人々に知らせるのは私の責任である、と思ったのです。私が言っていることに耳を傾けるかどうかはその人の自由です」
法王は、16歳でチベットの最高指導者としての責任を担われてからその身に起きた出来事を手短かに振り返られた。1959年に庇護を求めてインドに亡命されたときのことにふれて、法王は、「時代はすでに21世紀であり、世界は変わった。今求められているのはチベット人と中国人の双方にとって有益な解決策である」と述べられた。
「1959年にインドに亡命してきた人々は年々少なくなっています。しかし、私たちの後にインドへ来た若い人々は強靭な精神を持ち続けています。私たち皆が強い気持ちを持ち続けなければなりません。ありがとうございました」