二日間にわたって行なわれる対話講演のはじまりに、キャメロン・テイラー氏は会場に集まった人々に挨拶の言葉を述べ、続いてこの対話講演の支援者でもあるヒラリー・ウィリアムズ=パップワース夫人をステージに招いた。ヒラリー夫人は、夫のウィリアムズ=パップワース氏が一年前に亡くなったことについて、法王様は同世代なので顔を合わせると「最初に旅立つのは誰でしょう」とふざけておっしゃったものですが、夫が最初に旅立ちました」と語った。ウィリアムズ=パップワース氏は、法王より1カ月年上であった。法王の第一英語通訳者で学者のトゥプテン・ジンパ氏は、ウィリアムズ=パップワース氏はチベット人のみならず人類にとって偉大な援助者だった、と語った。ウィリアムズ=パップワース氏は対話によって問題を解決することを強く支持し、難しい問題に直面するたびに「私にできることはありませんか」と声をかけていた。
続いて、元法務長官で法廷弁護士のスコットランド女男爵が司会を務め、対話講演の第一セッションが始まった。スコットランド女男爵は、ダライ・ラマ法王は智慧の実践者であり、元カンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ師は伝説的なすばらしい聞き手である、と聴衆に紹介した。そして自身については、お二人のお話に参加させていただけることを光栄に思っている、と述べて、法王にマイクをお渡しした。
「敬愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は今日、ひとりの人間としてここへ来ました。私はお話をするとき、自分のことを特別な存在と考えてお話をすることはありません。私はアジア人だ、仏教徒だ、というふうには考えてはいないのです。だれかに会うたびに、「ああ、ここにもひとり、私と同じように問題を抱えている人間がいる」と考えます。私たちのだれもがこの小さな青い地球で暮らしていて、互いに依存しあうことで生活が成り立っています。ですから、物事を地球レベルで考えなければなりません。私の国、私のコミュニティと考えるのは時代遅れです」
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対話講演「智慧を育み、人を育てる」の会場となったハンフリー・クリップス卿シアターの光景。2015年9月16日、イギリス、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ、クリップス・コート(撮影:イアン・カミング)
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「時は常に流れています。過去を変えることはできませんが、未来はまだ私たちの手の中にあります。しかし、そのような絶え間ない変化の中にありながらも、私たちは古いものの考えかたを変えようとしません。こんにち私たちが直面している問題の多くは、私たち自身がつくり出した問題です。問題を解決するには、未来への展望を持ってホリスティック(全体的)に考えていかねばなりません。私が今日ここへ来たのも皆さんのご意見を聞くためなのです。耳をそばだてていたいと思います」
ローワン・ウィリアムズ師は、人類という大家族が直面している問題について、ひとつの国あるいはそれに関心を持っている団体のみで解決することは不可能である、と語った。そして、ギリシャのことからもわかるように、世界経済に国境はない、と語った。バングラデッシュの人々が教えてくれるように、気候変動にも国境はない。またガーナやシエラレオネの人々が教えてくれるように、伝染病にも国境はない。さらにローワン・ウィリアムズ師は、争いとは怖れ以外の何ものでもないのであり、私たちはあまりにも簡単に怖れに打ち負かされてしまう、と語った。そして、なぜ怖れを感じるのか、その原因は何なのか、なぜそれに固執するのか、ということをよく考えるようアドバイスした。
スコットランド女男爵が聴衆に意見を求めると、詩人として著名なベン・オクリ氏が、謙虚であることが大切であり、両者が謙虚に向き合わなければ対話を持つことはできないのではないか、と述べた。
そこで法王もまた、人間の性質というのは本質的にはよいものであるが、教育に問題があるがゆえに知性を正しく用いることができず、物質主義的なものばかりに目を向けている、と述べられた。そして、私たちは狭い視野で自己中心的に物事を考えることがあまりにも多いのではないか、と述べられた。その逆に、誠実に他者のことに心を配るようになれば信頼が生まれ、やがて友情となる。法王は、それには感情の働きを理解することがきわめて有用だと考えている、と述べられた。
若い女性も意見を述べ、テレビのニュースを見るのを止めたら不安から解放された、と語った。ある若いイスラム教徒の科学者は、イスラム教徒のなかには家に自分の居場所がないと感じているのを理由にシリアのような国々へ行って戦うことを選ぶ若者がいる、と説明した。彼らは自分は「人間である」と考えるよりも先に、自分はシーア派だ、スンニ派だ、と区別してしまうのである。
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対話講演「智慧を育み、人を育てる」の開会式に参加した詩人のベン・オクリ氏。2015年9月16日、イギリス、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ、クリップス・コート(撮影:ジェレミー・ラッセル、法王庁) |
ローワン・ウィリアムズ師は、ソロモン諸島のひとつを内戦後に訪問されたときのことについて語った。地元のリーダーのひとりが、同胞の多くは戦争の原因は相手側にあると言うが、自分は戦争の原因は全員にあることがわかっていたと言って、ウィリアムズ師の前でひざまずいて、全員の罪を赦してほしいと頼んだという話をした。
続いて聴衆席から、今回のイベントのスポンサーのひとりでもあるルミ・ヴェルジー卿が、発展と豊かさについて定義を改める必要がある、と述べた。そして、発展や豊かさというものが、銀行にお金をたくさん持っていることやセレブであることと混同されていることが多い、と語った。マチウ・リカール師は、男女の平等化がもっと進めば結果的に暴力が減るという考えを表明した。そして、善良というものが凡庸化されていて、美徳がニュースとして取り上げられる価値がなくなっているように思われる、と語った。ヨルク・アイゲンドルフ氏は、この意見をメディアに対する批判というよりもアドバイスとして受けとめたい、として、メディアというものは私たちがよろこぶものを与えるのだから、私たちの側で目を向けるものや観るもの、読むものを吟味すべきである、と語った。また欧州の難民問題については、私たちの思いやりの限度がどこまでかを問う必要がある、と提言した。
法王はこの最後の提案に対して、現実として大切なことだと思う、と述べられた。そして、中東の全人口が欧州に移住することはできないのだから、私たち全員が彼らの祖国に平和を取り戻せるように支援しなければならない、と述べられた。また法王は、もっと多くの女性のリーダーが必要であると同時に、思いやりを育むためにもっと真剣に取り組む必要がある、と述べられた。法王は、中東で起きている問題の多くには、パレスチナ問題が未解決であることが根底にあるように見受けられる、として、この根本的な問題を鎮静化するための処置を取ることを強く求められた。
スコットランド女男爵は、アフリカのある場所で複数の平和会議が行なわれていたときに女性の出席者がひとりもいなかったので男性たちに問いただすと、女性がいたら譲歩してしまうからだ、という答えが返ってきたという話をした。スコットランド女男爵は、北アイルランドで女性の調停者たちが解決をもたらした成功例を忘れてはならない、と参加者に言い聞かせるように語った。
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対話講演「智慧を育み、人を育てる」の初日、グループ・ディスカッションに加われてお話をされるダライ・ラマ法王。2015年9月16日、イギリス、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ、クリップス・コート(撮影:イアン・カミング)
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コーヒーと紅茶で休憩が取られた後、参加者は四つのグループに分かれてディスカッションを行なった。法王も、ウィリアムズ師とスコットランド女男爵とともにグループを順番に回られて、対話に耳を傾けられた。一つ目のグループでは、再生エネルギーと貯蔵技術を高めることについて話し合われていた。二つ目のグル―プでは、親が子どもに話しかけることの大切さがテーマだった。そこで法王も、心の平和が大切であることを述べられて、それを自覚することが環境を守るカギでもある、と述べられた。若い女性が、直接的な行動を起こすことをあきらめかけると、法王は、誠実かつ現実的に取り組むようアドバイスされた。
昼食後、バスカル・ヴィラ博士の司会の下で、再び環境問題について対話が行なわれた。ヴィラ博士は、将来どのような気候変動が起こるか、それによってどのような影響が自然環境にもたらされるかということを考えると、怖れを抱かずにはいられない、と語った。そして、気候変動の影響によって膨大な人口の移動とそれに伴う問題が生じることがすでに予測されている、と述べた。
ウィリアムズ師は安心という概念を取り上げて、ふつう私たちが財産を蓄えようとするのは安心していたいという概念が根底にあるが、しかし、豊かさを追い求めすぎれば自然界の限界点を超えてしまい、安心ばかりか地球を守る能力まで失ってしまうという事態さえ引き起こしかねない、と語った。
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対話講演「智慧を育み、人を育てる」で、お話をされるダライ・ラマ法王。2015年9月16日、イギリス、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ、クリップス・コート(撮影:イアン・カミング)
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法王は、その解決策は教育と現状に対する意識を高めることにある、と述べられた。そして、世界中のあまりにも多くの人々が食べていくことに必死で、そのような意識を高めるための時間や余力を持ち合わせていないことを強調された。これは、貧困の格差が深刻な問題であることの具体例でもある。とはいえ、21世紀を生きる世代が今すぐ展望を持って解決に取り組むなら、今世紀が終わるまでには今よりも平和で幸せな世界になるだろう、と法王は語られた。
続いて、グループ・ディスカッションの各チームの代表者たちが対話の結果を報告した。ウィリアムズ師は、あらゆる物事がコストという面から考えられているのはじつに残念な傾向である、と語った。そして、私たちに必要なものはひとりひとり異なるので、このような考えかたが人類にとって適切であるはずがない、と語った。
法王は、女性が平和会議の席からはずされていた問題に戻られて、男性たちが怒りを手放し、女性たちの反応がごく自然で適切であることを受け入れる勇気を育むにはどうするべきか考えなければならない、と述べられた。そして、アメリカ人の精神科医であるアーロン・べック博士が、怒りや執着という感情の90パーセントは心の投影であり現実ではないという研究結果を出していることに言及された。
1日目午後の部の終わりに、ヴィラ博士は思慮深い意見交換の場となったことを称えて、主催者のキャメロン・テイラー氏をはじめこの対話講演のために尽力した人々、そして参加したすべての人々に謝意を表明した。対話は、明日も行なわれる。